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ヒルデガルト研究会

12世紀ドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神学・医学・薬草学・音楽についての研究

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ヒルデガルトの医学

問題意識の所在
① スピリチュアル・ケアとは何か。
② 霊あるいは魂とはなにか―霊[魂]と身体とはどのような関係にあるのか。
③「癒える」(恢復する)とはいかなる意味か、それは何を根拠に可能であろうか。

Ⅰ ヒルデガルトの全体性治療
A) ジグヴィツァの症例
① すでに7年以上病んでいるジグヴィツァという「悪霊にとりつかれた若い高貴な女性」がいる。
②「正しい感覚と行動を奪われて、しばしば叫び、見苦しいやりかたで振舞った。」
③ ブラウヴァイラー修道院ですでに一度大掛かりな悪魔祓いを経験しているが、悪霊は再度、すぐさま舞い戻った。
④「民衆を長い間不安に陥れた女をじかに見たり声を聞くようになるこの女の到着に始めはかなり動揺した。だが男の人の手を借りることもなく、この病人を修道女たちの住まいに連れて行った」

B)悪魔憑きについて 
①「私は真のヴィジョンの中で、この症状はある悪魔によって一つの球の中に集められた黒い影と煙が神の許しの下に、その娘を暗くしたものであるとみたのです。これが彼女の理性ある魂の敏感な部分の全域を圧迫し、彼女の高い理性[深い知恵]をもって行う祈りを許しませんでした。」
●⇒3)6)12)以下「悲しみの霧・蒸気」
②「(悪魔はその本来の姿で人間に入ることは許されないので)黒い影と煙の形で人間に浸透して正気を失わせる。人間の内部に住み着くのではなく、身体各部を外部から動かしているに過ぎない。その間、人間の魂は眠ったようになっており、肉の体が何をしているかしらない」(『ヒルデガルトの生涯』253~254P)⇒霊の本来的な働きを阻害している状態
③「たいていの人は、発狂した人を悪魔に取り憑かれていると考えがちだが、そうではなく、悪魔は狂気の働きに応じてこの病苦に近寄り闇討ちにするのである。」(90 狂気)

● 「しばしば叫んだ」と描写されるこの叫びには女性特有の抑圧と、それへの怒りを推測させるが、ヒルデガルトは怒りの奥に悲しみを見、体液の変化を見、その奥に更に魂の働きを見、こうして全体的な治療法と処方が決定される。(後述⇒Ⅱ)

C) 具体的な薬草の処方と治療
①精神錯乱(狂気)への処方
1) 帽子の着用
2)フェンネルとコストマリー
② 怒りへの処方
1) 香りの療法
「ローリエの乾燥漿果にセージ、マジョラムの乾燥粉末を加えたものを小箱に入れ顔の近くに置く。(『病因と治療』怒り)
●「正しい感覚と行動を奪われた」ジグヴィツアの理性に、香りが働きかける。
2) 塗り薬                 
「この粉末の一部を少量の冷たいワインと混ぜ、額、こめかみ、胸を清めるとよい。」
3) 食事療法
1. かゆ
「油ではなくバターかラードで作ったセモリナ(訳注:小麦の粗びき粉)のかゆ。これは脳の虚ろを満たし、脳の冷えを温める。」
2. スープ
「ナツメグとカヤツリグサの粉末にグラジオラスの根とオオバコをすり潰したものに塩を入れ、小麦粉と水を加えた薄いスープを作り、これを飲ませる。」
3. ワイン
「ワイン、蜂蜜酒、ただの水は避ける。フェンネルとコストマリーから造った醸造酒とビールはよい。」(168 狂気)
③ 瀉血療法
●薬草の処方に瀉血が加わるのが一般的である。瀉血には性別・年齢・季節・瀉血量などの細かな規定がある。その他、乱切法を用いることもある。
D) 共同の祈り
①自分たちの修道院と、修道院を取り巻く周辺の地域共同体の住人全員に、聖母マリアの清めの日(2月2日)から復活祭前日の聖土曜日に至る少なくとも50日を越える期間、ジグヴィツァのために祈りと喜捨が求められ、断食と苦行が捧げられる。
② 抜魔式
1) 1170年の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式の儀式が行なわれる。
2) 司祭は洗礼盤に湛えられた水を聖別し、水に息を吹き込む。
3) ジグヴィツアは恐れおののき、その細い足は地面を掘るほどに震え始め、口からは靄のようなものを吐き出す。
4)「サタンよ、この女の体という仮小屋から立ち去れ。」
5)不純な霊は重いおりものとなって体外へと排泄される。
●ジグヴィツァの精神に、悪と向き合えるだけの総合的な力が与えられる。「祓魔」とは、魂[霊]の働きを阻害するものを取り除くことである。(後述)

Ⅱ 病―感情・肉体・魂
A) 症状と病理
「人の魂は自分や自分の体にとって1)逆らうなにか(aliquid adversi:something adverse)を感じ取ると2)心臓や血管そして肺を収縮させ、3)心臓のまわりに霧のようなものが立ち昇って、4)心臓を曇らせる。それで人は5)悲しくなる」
「心臓を覆っていた6)悲しみの霧は、7)すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出し、この蒸気は8)胆汁をかき立て、9)この胆汁の苦みから10)怒りが生まれる。」
●悲しみから転化した怒りが治まらずに継続した場合、どのように精神を錯乱させるのか、そのメカニズムが次に述べられる。
「11)怒りが治まらないと、12)蒸気は黒色胆汁にまで達し、13)黒色胆汁をかき立てて黒い霧を外に送り出す。」
「14)この霧は胆汁に浸透し、15)胆汁から非常に苦い蒸気が生み出される。やがて16)この霧は蒸気とともに脳まで達して有害な体液をかき立て、まず最初に17)その人の頭を病気にする。18)ついで胃まで下りてゆき、19)胃の血管と胃の内部を襲い、20)その人をまるで錯乱状態のようにする。こうしてその人は知らぬ間に怒り出すのである。」
(『病因と治療』145 悲しみと怒り)
① 2)~20) 臓器反応の連鎖:魂⇒(心臓・血管・肺)⇒心臓⇒胆嚢(肝臓)⇒脳⇒胃
② 2)~20) 精神的反応の連鎖:「錯乱⇒怒り⇒悲しみ⇒魂の不快感」と、魂へと遡る。
―①②は現下の症状から遡って原因に迫る。
③ 1)「逆らうなにか」[敵対するなにか]を感じ取るのは、魂の自然的な働きである。
④ 9)amarus(bitter)の原義:「苦い・悲しい・感情を害する・不快な・嫌悪すべき」
―感情を表す言語は同時に身体感覚を表す言語であること。

B)  悲しみの根源(怒りの奥にある悲しみについて)
①「アダムがリンゴを食べ、善を知り、悪を行ったとき、アダムのこの矛盾がもとで、彼の中に黒色胆汁が生じた。・・・これがもとで悲しみと絶望とが生まれた。」(142 アダムの堕落と黒色胆汁)
②「人間が神の御旨に背いたとき、その心と体は変質した。・・・罪を犯した後は、すべてのものは別のもの――すなわち苦いものに変質したのである。」(33 アダムの堕落)
●胆汁の苦さと心臓における思念の苦さ
③「黒色胆汁は黒くて苦く、すべての病気を引き起こす元である。・・・この黒色胆汁はいかなる慰めも疑念で覆うという悲しみをもたらす。こうした人は天上的な命の喜びを感じることも、地上的な慰めに喜びを感じることもない。人がその初めに悪魔に唆されてリンゴを食べてしまい神の戒めに背いたそのときから、この黒色胆汁はすべての人間にとって本性となった。」(38 黒色胆汁)
●黒色胆汁は、原罪の記憶の体への刻印である。
●黒色胆汁の生み出す「悲しみと絶望」とは「疑念」=「いかなる慰めをも覆う疑念」のことである。それは神から離反した人間の本質的な悲しみ―人間の自然的本性である神性(知恵)―神からの離反と逸脱―魂の不快感(天上的な喜びと地上的な慰めの欠損)として、ヒルデガルトは見ている。
●逆に見れば、病は、体液の氾濫を通して魂の深部に導く働きである。病とは魂が、身体的・精神的自然からの逸脱を言い当てる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもあるということができる。
④ 「(悪魔は)嫉妬と憎しみと嘲笑という悪しき感情に起因するすべての悪事をなすもの」(『生涯』255P 要約)
⑤ 悪霊(daemonum:demon):「ルチフェルとともにこの世で謀を企むもの」
悪魔(diabolus:the devil):「ルチフェルの貪欲さと意志力を体現」
⇒「人間の魂を眠りこませるもの」=魂の働きを覆い隠すもの
●diabolus(悪魔・サタン)の原義は「中傷者」、新約では「試みるもの」(マタ4-3/
1テサ3-5)。
●『霊操』解説で門脇は仏教における根本的な煩悩(罪源)を「貪(ドン/むさぼり」「瞋(シン/いかる)」
「癡(チ/おろか)」としているが(「懺悔文」に同じ)、diabolusは「癡」に通じるという共通点がある。

C)「甘い-苦い」―魂(あるいは身体)の感覚
①「心臓に思念があるとき、その思念は甘さか苦さかのどちらかをもつている。甘さは脳を豊かにし、苦さは脳をからにする。思念に甘さがあると、その人の目、耳、口は喜びを表す。思念に苦さがあると、目は涙を流し、口と耳は怒りと悲しみを表す。」
⇒Ave Generosaの歌詞における「甘美な」の頻出⇒霊操の身体的感覚
②「自然に反した、無理な影響が、それも一気に起こる場合には、この影響は「苦しい」もの[苦い/苦痛]であり、逆に、自然の状態へと一気に戻る影響は、「快い」ものである
(『ティマイオス』116P)
●『ティマイオス』では「甘い―苦い」は理性から送られてくる思念の肝臓における反映である。(131P)
●イグナチオは霊動弁別の感覚を「憂鬱」と「はればれ」としているが、ヒルデガルトのこの感覚は「甘い」「苦い」であって本源的な生命の感覚に近いのではないか?

●まとめ(魂-感情-身体の関連)
肝臓(感情) 心臓     脳      魂
怒り(苦い) 悲しみ―苦い 虚ろ(癡) 都合の悪いもの―不快―疑念(癡)
喜び(甘い) 甘い 豊か 快―慰め(⇒ハーモニー)

① 怒りは脳から派生する感情というより肝臓に位置する身体的感覚として掴まれる。その怒りの奥には心臓の感知する「悲しみ」があるが、この「悲しみ」の根拠は、原罪に遡る「疑念に覆われた絶望」である。この疑念は「天上的な命の喜び」も「地上的な慰め」をも覆ってしまうが、この喜びと慰めから遮断された感覚を、魂は「苦い」ものとして―すなわちもっとも始原的な感覚である「不快」として表出する。
② 肝臓とは動物的生命力の位置するところでもあり、したがって怒りという感情は動物的な生命力が不快を感じたときの身体的発現ということになる。怒りという感情は人間の中の低次の動物性=生命性の発現であるが、感情・思念・理性は本来的に魂それ自体の活動でもある。怒りの奥にある「悲しみ」は心臓の「苦い」思念の表出を通して、魂にとって「不快なもの」を告発し、魂は自らの働きとして低次の動物性から霊的・人間的に昇化してゆく自己回復運動でもある。――この働き自体が「救済」の根拠であるという意味において、救済とは、人間の人間化を意味する。
③ 魂の快・不快と身体感覚としての快・不快は近い関係にある。(⇒識別の重要性)
④ スピリチュアル・ケアとは、怒りや悲しみなど表出する諸感情の奥に潜む、魂の快―不快の感覚を感じ取れるように手助けすることではないだろうか。

Ⅲ 臓器と魂
臓器(心臓・脳・肝臓)
① 「魂は心臓に位置し、窓を通り抜けるようにして思考し、燃える火が煙突を通り抜けるようにして思考力を脳に送り出す」「脳は思考を心臓で識別し、思考を体に広げる。」(同上 95 「魂の居場所」)
② 「知識は心臓に属し、感情は肝臓に、ふいごの機能と理性の回路は肺に属する。」
③ 「脳は本来湿っていて脂肪質であり、人の分別や知恵、理解力の質料(materia:material)である。・・・脳はまた思考する力をもつている。」
④「肝臓の獣的欲望に対する「理性」の反応が心臓の「怒り」として現れる」「心臓は脳と肝臓との対応関係を反映する部位である」(プラトン『ティマイオス』129P要約)

●まとめ
主体液 プラトン  ガレノス      ヒルデガルト
大脳 白色粘液 理性の霊  精神の霊 火の力 思考力・理解力の質料     
心臓 血液 感情の霊  生命の霊 *1 魂の場 思念/思考の識別 *4
肝臓 胆汁 強い欲望の霊 自然の霊 *2 液汁の器 *3 感情
*1 プネウマは左心室で精錬され、動脈により全身に運ばれるが、ガレノスはプネウマを勘案しなくても自説は証明できるとしている(ガレノス『自然の機能について』129P)
*2 自然の霊(生気)は肝臓に座をもち、このプネウマは静脈により全身に配られる。
*3 肝臓は心臓や肺、胃がその液汁を注ぎ込む器のようなもので、体のあらゆる部分にその液汁を注ぎ返す。(『病因と治療』「器としての肝臓」)
*4思念(cogitationes:thoughts)は心臓にあり、その思念が甘いときは脳を豊かにし、苦いときは脳をからにする。脳は思念を理解する。
●プラトン3霊説はガレノスにより「血流説」に採りいれられ、3つの臓器で「霊」(肝臓=自然の霊・左心室=生命の霊・脳=精神の霊)が作用・発生するとされた。
(⇒「ガレノスの血流説」の図参照)

●身体の諸感覚は魂の生きた働きである。
●ヒルデガルトにおける「精神」は、「肉体と精神」という対置の中で与えられる概念的な幅はもたず、ほとんど「意識」という程度に狭い概念で使われる場合が多い。
●脳はヒルデガルトにあっては必ずしも主要な身体的器官としてではなく、「狂気」の項で、感情の作用する場としていわば病理的に扱われる。
●胃についての特異な身体思想 :「人間は天地と一切の生きとし生けるものすべてを自身のうちにもつ」という「宇宙=人間」で見た人間論が基本にある。諸物を人間の内に取り込む一つの重要な行為が「食べる」ということであり、それを司る胃は、その宇宙論的な身体の中心的な臓器として位置づく。

Ⅳ 霊・魂・身体
A) ギリシャにおける「魂」(プシュケー)
① 「ギリシャ語プシュケーは、前5世紀から4世紀にかけてのアテナイの一般人にとっては、・・・・「生命原理」を意味するにすぎなかった。だが、ピタゴラス派が死後の魂の存在を信じ、来世に向けた魂の清めの重要性を信じたことから、魂は人間の本質的部分という理解に深まってきた」(ブラック『プラトン入門』155P 要約)
② 「プラトンにあっては、魂はイデアを感得することのできる部分のことである。
――魂は移ろいゆく非実在的な感覚世界と永遠の実在的なイデア世界のギャップを橋渡しするもの」(同上155P)

B) 霊と魂の一般的な区別
ヘブライ語  ギリシャ語 ラテン語
霊 ルーアク       プネウマ       スピリトゥス
霊・風・息        霊・風       風・匂い・息・霊
魂 ネフェシュ        プシュケー  アニムス
魂・精神・心   生命・魂・精神  生命・魂・精神・意識

C)『病因と治療』における「霊」
① 主の霊―火と命―が被造物の各々に、その本性に応じて命の息を吹き込んだ。こうして被造物は、その本性に応じて、その内に火と命を持つに至った。
② 「聖霊はその露をもって分別の生ける力(viriditatem)を満たす。こうして人は自分が知りたいことを知り、理解するようになる。」(同上67)
③ 聖霊は人間の本性全体を貫いている。・・・ありふれた人間の本性は、聖霊の炎によって、自分が思うよりもずっと善性の高い本性へと変えられてゆく。⇒「本性は善であること」

D)『病因と治療』における「霊と魂」の相関性
① 霊は(胎児の中に入ると)形相全体を経巡り、髄と血管を再び満たして強める。・・・(やがて)胎児は動くようになる。それは全能の神の意志を通して、生ける風――すなわち魂が形相に入り、形相を強めるからである。魂はこの形相を命あるものとし、形相の至るところを駆け抜ける。(62 魂の注入)
② 人間の魂は天から、神から人間の中に下り、命を与え、理性を育む。魂が人間を離れるとき、魂は死ぬのではなく、生の報いに向かうか、永遠に課される死の苦痛に向かうか、そのいずれかである。(21 魂の力)

E) 『病因と治療』における魂
① 魂は火と風と湿の性質を持つ。それは人間の心臓全体を支配している。(43 人間の内部)
② 魂は体に送り込まれるがゆえに、魂は息として存在する。(45 魂の注入)
③ 人間の魂は火の性質を持っており、四つの元素を自らに引き寄せる。この火において、魂は視覚や聴覚、あるいは同様の機能を駆使して人間を動かす。火が水の本質をなすように、魂は人間の中の特別な本質をなす。魂なしに人は生きてはゆけない。
●魂とは神の霊が人間の中に入って命を形作って以降の霊的作用全体を指し、理性・感覚諸機能も魂の働きの現れである。

F)『病因と治療』における「魂と身体」
① 「体が魂と分離している場所は一つもない。魂はその熱をもって体全体を覆っている。人は四つの元素によって成り立っているのだが、そのうち火と空気は霊的であり、水と土とは肉体的である。これら四つの元素は人の中で結合し、人を温め、こうして肉や血、身体諸器官が形造くられる。」
② 「体が要求するどんな仕事も、魂は体の中で実行する。体が欲し、魂が働く。もし人間が肉体をもたなければ、魂はその力の源泉を持つことがない。こうして魂は、神の作品である人間の存在全体を経巡り、人間を突き動かすのである。・・・このようにして人間は魂と肉体という二つの本性において存在する。」(62 魂の注入)
③ 「魂は善に向かう息である。肉は罪に向かう傾向をもっているので、時には魂が肉を抑えることが叶わず、罪を犯すことになる。」(84 魂と肉体の対比)
④ 人間の他の被造物との違いは4元素の調和的存在である。(⇒前回シャルトルのティエリによる人間的本性の元素的説明)

●まとめ
① 人間の精神を神との関係で捉えたものが「霊」であり、人間自体において捉えるとき「魂」と呼ぶ。
② 魂は被造物としての動物一般にも存在するが、神の霊を感受し作用する魂をもつことこそが人間的本性である。(理性に一面化して捉えるべきではない)
③ 体が魂と分離している場所は一つもない。魂の働きで命は形作られ、肉の諸器官・諸力能は発揮される。人間は魂と肉体という二つの本性において存在する。
④ 魂は人間を善へと突き動かす。
⑤ 体液的調和=身体的調和=魂の調和的働きの証=魂の作用を感じ取ることこそ人間の証である。

■参考:イグナチオ・ロヨラ 『霊操』における「魂」
魂の三能力:記憶力・理性・意思⇒脳の活動としての魂の理解
● ヒルデガルトは深い病の底でこのような3能力が無力だということを知ったのではないか?
⇒私の体験:「命の底で立ち上がる原初的な命の姿」ということについて。


Ⅴ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)
A)  「癒える」(恢復する)ことの意味
①ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトはジグヴィツァと同じ症状に襲われる。
② そしてジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。その姿は「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。
③癒す者(ホモ・コンパテイエンス)は、その全存在をかけて癒される者(ホモ・パティエンス)を全存在的に掴むことである。それは魂において魂と向き合うことでもある。
●恢復するとは、魂―感情―肉体全体のハーモニーが恢復することを意味するが、それは魂の自然的な本性によっている。したがって病とは魂の復元力の作用でもある。
●「癒える」(恢復する)とは、智すなわち魂[霊]自身の働きが妨げを排除して回復すること(神-人関係の根源的な状態の恢復)であるが、肉体が魂の成り立ちの不可分の前提である以上、スピリチュアル・ケアとは身体の全体的な恢復を前提とする。この全体とは共同体による祈りの集積とそれへの感謝、身体を包む住環境や孤独を癒す人間関係、体を養い力を与える食事や薬、瀉血、温浴などの、その総体である。

B) 参考:「魂とハーモニー」
①「世界が互いに調和しあう4つの元素で構成されているように、人間も互いにハーモニーを醸す4つの体液によって構成されている。この4つの体液がそれぞれ適切な秩序と適量を保っていれば、人は安らいでおり、健康でいることができる」(『病因と治療』57 要約)
②「魂とは、一部の人たちが主張するように、一種の調和(ハルモニア)である」(シミアス)
③ 「神が人間に聴覚を与えたのは、天にある理性の乱れなき循環運動に、我々の内なる魂が同族とし諧調(ハルモニア)をもち循環運動を行うためである」(『ティマイオス』72P)

Ⅵ 共苦する共同体―中世修道院の例
① 生活法にとって重要な6つの要素
1) 光と空気=環境 音楽と香り⇒ヒルデガルトの音楽 香りと塗油
2) 飲み物と食べ物
3) 運動と安静:「運動そして安静」(モトゥス・エト・クイエス)
4) 適度の睡眠
5) 体液の排泄または保持:水分の供給と入浴=体液と力の制御⇒入浴後の塗油
6) 感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る

■参考:ベネディクトRegulaから(ベネディクト:547年没)
1)「修道院を訪ねてくる来客はすべてキリストとして迎え入れる」
2)「貧しい人と巡礼者に対しては最大の配慮と気配りをもって受け入れる」
②修道院の建築構造:例)聖ガレン修道院の建築構造
●ベネディクト会則を体現した修道院建築として後世の模範となった。
1)病気または高齢な修道士のための病院―僧房の東側
2)貧困者と巡礼者の救貧院(オテル・ディユ:神の客たちの宿)―修道院の門の西側
3)集中治療室を備えた医師の住宅
4)患者浴場と瀉血室
5)修道院の会堂から少し離れたところにらい病病患者専用の治療所
6)新鮮な水を供給する水道施設と下水管―排水管―水洗トイレ施設
7)薬草園
●修道院建築は、祈りを中心とする共同体的身体の実現であり、頭から排泄までの全身的な身体諸機能をもつ。
●教会と住居・病院と作業所や菜園など簡素な生産施設を併せ持ったひとつの独立した町のような総合的な空間であった。

●結びにかえて
病んでいることは、中世にあっては、われわれに割り当てられたこの地上での限りある生の期間に、病める者と健康な者がともに共同して両者の永遠の救済を遂行する一つの生の形式なのである」(シッペルゲス「中世の患者」)
 
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ヒルデガルト序論―共苦する眼差し

①はじめに― 一枚の絵から―「宇宙=人間」
「人間は天地と一切の生きとし生けるもののすべてを自身のうちにもち、万物を自身のうちに保護し支えるただひとつの形姿」(『病因と治療』)なのである。

② ヒルデガルトという女性
1) 1098年、ドイツ・ライン川中流域ベルマースハイムの地方貴族の家に10人兄弟の末っ子として生まれ
2) 8歳でベネディクト会系女子修道院に入り、その生涯を修道女として過ごした。
幼時から81歳の死に至るまで、その生涯は、重い病の連続で時には数年間続く病臥を幾度となく経験した。
3) 3歳で最初のヴィジョン(幻視)を見る
42歳のとき、ひとつの大いなる輝きとともに轟きわたる天上の声に、見聞きしたすべてのことを書き表すように強く促される。
4) 預言書などの著作
第一の書『道を知れ』、『生の功徳の書』『神の御業の書』
⇒「預言書」「ヴィジョン」とは何か?
自然学・医学・薬学にも通じ、『自然学』(単純医学の書):百科事典
『病因と治療』(複合医学の書):総合的手引書
5) 音楽家・劇作家
6) 医学家・施術者:施薬院・療養所の性格を併せ持っていた修道院で、数多くの実践的な治療を施す。
●「病因と治療」

③ 時代背景1)
12世紀ルネサンス
2) 1147年:十字軍の第二次遠征
3) カタリ派(「清浄なるもの」南仏アルビ派)の異端審問の激しい時代:グノーシス主義(霊肉二元論)⇒マニ教(⇒ゾロアスター教)
4) シスマ:皇帝バルバロッサと教皇との関係

④ 思想的系譜または関連
1) 知恵の書を中心とする旧約―ヨハネ福音書・黙示録を中心とする新約
2) 教父神学 アウグスティヌスほか
3) アリストテレス以降のギリシャ思想―自然学
4) ガレノスを中心とするヒポクラテス以来のギリシャ医学とアラブ医学の影響の可能性

⑤ 治療例―ジグヴィツアという女性
A) 経過
1) すでに7年以上病んでいるジグヴィツァという「ごく若い高貴な一人の女性」がいる。
2)「正しい感覚と行動を奪われて、しばしば叫び、見苦しいやりかたで振舞った」。
3) 民衆を長い間不安に陥れた女をじかに見たり声を聞くようになるこの女の到着に始めはかなり動揺した。だが男の人の手を借りることもなく、この病人を修道女たちの住まいに連れて行った」
⇒「統合失調症」に近いものであろうか。当時は「悪魔憑き」と呼ばれた。

B) 祓魔式[抜魔式]
1) 1170年の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式の儀式が行なわれる。
2) 司祭が洗礼盤に湛えられた水を聖別し、水に息を吹き込む。
3) ジグヴィツアは恐れおののき、その細い足は地面を掘るほどに震え始め、口からは靄のようなものを吐き出す。
4)「サタンよ、この女の体という仮小屋から立ち去れ。」
5) 不純な霊は重いおりものとなってジグヴィツァの体外へと排泄される。

C) ジグヴィツアの病態とヒルデガルトの診立て
1)精神錯乱
「湿ったリボールが錯誤を生み出し、そのため彼は自分を引き裂き、邪悪で正気とはおもわれない言葉を発する。彼はまた邪悪でもあり、怒りやすく、脳は逆上しており、落ち着かず、めったに高齢まで達しない。」(「病因と治療」57 再び一時的精神錯乱について)
2) 怒りについて―悲しみと怒りの身体論
1. 「しばしば叫んだ」と描写されるこの叫びは、怒りを推測させる。
2. 悲しみはどのように怒りを生み出すか
「人の魂は自分や自分の体にとって都合の悪いものを感じ取ると心臓や血管そして肺を収縮させ、心臓のまわりに霧のようなものが立ち昇って、心臓を曇らせる。それで人は悲しくなる」
⇒「心臓を覆っていた悲しみの霧は、すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出し、この蒸気は胆汁をかき立て、この胆汁の苦みから怒りが生まれる。」(『病因と治療』悲しみと怒り)
「怒りが治まらないと、蒸気は黒色胆汁にまで達し、黒色胆汁をかき立てて黒い霧を外に送り出す。」
⇒「この霧は胆汁に達し、胆汁から非常に苦い蒸気が生み出される。やがてこの霧は蒸気とともに脳まで達して有害な体液をかき立て、まず最初に17)その人の頭を病気にする。ついで胃まで下りてゆき、胃の血管と胃の内部を襲い、その人をまるで錯乱状態のようにする。こうしてその人は知らぬ間に怒り出すのである。」(同上)

■4体液―体液説の一般的な説明 
体液病理学は古代ギリシャから18世紀にいたる。
「人間の体液は血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁からなり、その体液のバランスによって病気が引き起こされる」
1) 4元素(空気、水、火、土)
2) 4元性(冷、熱、乾、湿)
3) 4体液
1. 空気のように温かく湿った血液
2. 火のように温かく乾いている黄色胆汁
3. 水のように冷たく湿っている粘液
4. 土のように冷たく乾いている黒色胆汁

■固体病理学
●1) 古代ギリシャには固体病理学(臓器病理学)の学派があったがヒポクラテス(紀元前400年頃)コス派の体液説が優勢となる。
●体液説の主要な治療は瀉血や下剤によって悪い体液を排出することが中心。
●2) 古代ローマ時代、ガレノス(紀元130-200年)によって体液病理学は系統化される。
●3) 18世紀、モルガーニ(1682-1771)により4体液説が否定され固体病理学の基礎が固まり臓器病理学へと発展する。顕微鏡の発明。

■細胞病理学
●現代病理学の父といわれるウィルヒョウ(1821-1902年)によって細胞病理学(病気は細胞の質的・量的変化によって生じる)が誕生し、体液病理学の幕は閉じる。
●電子は粒子と波の両性格を持つ。
●身体論的には
東洋医学でいう五行「木・火・土・金・水」と4元素
「気・血・水」と4体液の相関性に戻って捉え返すことが、西洋医学と東洋医学の根底的な止揚にとって必要なのではないか。

●次にC)で見た見立てに対してどのような処方がなされるのか。

D) 薬の処方
a) 精神錯乱(狂気)への処方
1) 帽子の着用
 脳に冷えがあり、それにより頭がおかしくなった場合は、ローレルのベリー(液果)を粉末にし、それに小麦粉と水と混ぜこねたものを、頭を剃った上で頭部全体に塗る。頭の内部(脳)が温まるまで、こね粉を塗った上にフェルト帽をかぶって眠る。練り粉が乾いたらまた同じように造って頭に塗る。これを繰り返し行えば正気に戻る。
(166 狂気)
⇒これは冷えのある場合の処方。
2) フェンネルとコストマリー
 雑多な思念から知恵や理解力がなくなり、狂人になってしまった場合、フェンネルとその3倍量のコストマリーを茹で、この冷ましたゆで汁を頻繁に飲ませる。コストマリーの液汁は悪い体液を抑制し、正気に戻す。フェンネルの液汁は均衡のとれた幸福感をもたらす。この薬草に軟水を入れ加熱したものは、理解力を回復させる。(168 狂気)

●次に先に見た怒りに対しはどのような処方がとられるのか。
b) 怒りへの処方
1) 香りの療法
「怒りに駆られて具合が悪くなる人は、ローリエの漿果を熱い瓦の上で乾燥させ、それを粉末にしたものを用意する。セージとマジョラムも天日で乾燥させて粉末にし、それをローリエの漿果の粉末とともに小さな箱に入れる。心地よい芳香がするので、これを顔の近くに置くとよい。」(『病因と治療』怒り)
⇒香りの作用。「正しい感覚と行動を奪われた」ジグヴィツアの理性に、香りが働きかける。
2) 塗り薬                 
「この粉末の一部を少量の冷たいワインと混ぜ、額、こめかみ、胸を清めるとよい。ローリエの漿果は怒りによって乾の状態になった体液を湿らせ、マジョラムの熱は怒りに突き動かされた脳を鎮め、セージの乾いた熱は、怒りが打ち砕いた体液を凝集させる。これらが常温のワインがもつ本来の甘さと混じり合うと、怒りによって惑乱した額やこめかみ、胸の血管を落ち着かせる働きがある。」(同上)
⇒これは乾の体液状態の患者への処方。

3) 食事療法
■食事の基本
1. かゆ
「乾燥した食べ物は体液をさらに狂気の乾燥へと導くので避けたほうがよい。血液に程よい水分をもたらし、体液を適切なバランスに戻し、意識を狂気から逸らすには、良質であっさりした食べものを摂るのがよい。油ではなくバターかラードで作ったセモリナ(訳注:小麦の粗びき粉)のポリッジ(かゆ)を食べるのもよい。これは脳の虚ろを満たし、脳の冷えを温める。油は粘液を引きつけるので避けたほうがよい。」
2. スープ
さらにナツメグとカヤツリグサを粉にし、グラジオラスの根とオオバコをすり潰したものに塩を入れ、これに小麦粉と水を加えて薄いスープを作り、これを飲ませる。
3. ワイン
ワインは混乱した体液をさらに混乱させるので、飲まないほうがいい。蜂蜜は貧弱な体液をいっそうだめにするので、蜂蜜酒も飲まないほうがいい。ただの水は意識をいっそう愚鈍にするので飲むべきではない。フェンネルとコストマリーから造った醸造酒とビールは貧弱な体液と意識を抑えこみ、狂気の猛威を打ち倒すので飲んでもよい。」(168 狂気)
●ベネディクトのRegula(規則)の病者の食事に関する規則
病者には週3回は豚肉または羊肉・または鶏の肉

4) 瀉血療法
●これに瀉血が加わるのが一般的である。-性別・年齢・季節・瀉血量などの規定
 *乱切法
E) 全体性治療
1) まずジグヴィツァを収容した自分たちの修道院と、修道院を取り巻く周辺の地域共同体の住人全員に、聖母マリアの清めの日(2月2日)から復活祭前日の聖土曜日に至る少なくとも50日を越える期間、ジグヴィツァのために祈りと喜捨を奉げることを求め、そして実行される。
2) 修道院における共同生活
=建築思想:「オイコス(家:家政)」の概念 療養所はオテル・デュー(神の客たちの宿)
病室・看護所・薬局・医師の家・瀉血室・入浴場/食堂・書斎・図書館/薬草園・果樹園・菜園・養魚場
●教会と住居・病院と作業所や菜園などの生産施設を併せ持ったひとつの独立した町のような総合空間。
●身体としての建造物:共同体的身体 
1. 思考(頭)から排泄までの全身的身体機能をもつ
2. 祈りという精神性と労働という肉体性⇒「祈れ、そして働け」オーラ・エト・ラボラ」
1日7回の祈りと労働
3. 生の場であると同時に死の場でもある。(ソレムの予約された墓地)

3) 生活法にとって重要な6つの要素
1. 光と空気=環境(上記2参照) 
*音楽と香り⇒ヒルデガルトの音楽 香りと塗油
2. 飲み物と食べ物 特にぶどう酒の位置
3. 運動と安静
「運動そして安静」(モトゥス・エト・クイエス)
4. 適度の睡眠
5. 体液の排泄または保持
 水分の供給と入浴=体液と力の制御⇒入浴後の塗油

■特に性について
●女性性にまつわる精神的・社会的苦悩が身体化したもの
●ヒルデガルトにおける性の本質的な相補性の理解
「男と女はまったく互いのために創造されている」[男と女は一つの全体として互いに応えあう]「欠けることのない喜びを人間はけっして自分自身の内部だけから得ることはできない。人間はそれを他者からの贈り物として受け取らねばならない」(神の御業の書)
⇒ヒルデガルトにおける性の理解の自然性・寛容性とジグヴィツアの性的抑圧からの解放
(肉体を悪・穢れたものとするカタリ派への対応があった)
6. 感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る
⇒ジグヴィツアの場合は、ここが治療対象となっている。
 ――「言葉による治療」(ロゴテラピー)女の中の悪霊とのたえまない対話の継続
   *記憶の遡行
4) 病に対する総合力
こうして初めてジグヴィツァの精神に、悪と向き合えるだけの力が与えられる。力とは、共同体の祈りの集積とそれへの感謝、身体を包む住環境や孤独を癒す人間関係、体を養い力を与える食事や薬などの、その総体である。
●治療とはその総体であり、中心となるのは傷ついた魂の救済(と関係性の回復)である。

●「悪魔つきは肉体の病である」として掴まれて施される総合的な治療法は最終的には抜魔式という魂の救済の象徴的な場面で大団円を迎える。ではこのような一連の治療は、魂と身体をどのような関連の中でつかまれたものだろうか。

⑥ 魂と身体
1)「人間は原初から、つまり上部においても下部においても、外部においても内部においても、どの部分においても彼は肉体として存在している。そしてこれこそ人間の本質である。」
●肉体こそが人間存在の本質であるという明快な断定!これはパウロの霊肉論を含め、キリスト教思想の中では特異なものである。
(キリスト教的唯物論:ベーメ⇒テイヤール・ド・シャルダン)
2) 「樹木のうちなる樹液、それにあたるのが身体のうちなる魂であり、樹木がそのすがたを繰り広げるように、魂はその霊的な諸力を繰り広げます。魂は身体の内なる支えであり、担い手なのです。」(「道を知れ」)
●これは身体各器官に位階制のない流動的体液として理解される身体論によっている。
「ヒルデガルトは肉体の外なる魂の立場も、身体の内なるこの魂の場も知らない。魂は身体のどの部分にも生きている。ちょうど身体がまた魂によって生かされているように、身体と魂は相手なしには成り立たない関係である。」(シッペリゲス)
●肉体は細胞の一つ一つに至ってもなおそのうちに精神を宿すものであり、精神はその隅々まで肉体を負っているものである。

●ヒルデガルトにおける魂と身体との関係を見てきたが、身体―とくに各臓器についてどのように捉えられていたのか補足的に少しみておく。ここでは特に脳と心臓の理解に注目したい。

⑦ 身体論について
●まず各臓器と人間の精神的諸要素との関係について。
1)「知識は心臓に属し、感情は肝臓に、理性の回路は肺に属する。目は人の通路であり、鼻腔は人の知恵である。」
●脳はヒルデガルトにあっては必ずしも主要な身体的器官としてではなく、[狂気]の次の項目で、感情の作用する場としていわば病理的に扱われるに過ぎない。
「脳は良い体液と悪い体液の影響を受けるので、常に柔らかく湿っている。乾燥すると患う。脳は本来湿っていて脂肪質であり、人の意識や知恵、理解するための素材である。
脳はまた思考する力を持っている。煙突に口があるように脳には目、口、鼻という通路があり、この通路の出口が喜びや悲しみなどの感情を表す。」(病因と治療 91 脳)
「魂は心臓に位置し、窓を通り抜けるようにして思考し、燃える火が煙突を通り抜けるようにして思考力を脳に送り出す」「脳は思考を心臓で識別し、思考を体に広げる。」(同上 95 魂の居場所)
●心臓が中心で脳はその従位にある。
●胃についての特異な身体思想
2) 身体の根幹を占えめるのは脳や心臓ではなく、むしろ消化器である胃である。
●「人間は天地と一切の生きとし生けるものすべてを自身のうちにもつ」という「宇宙=人間で見た人間論が基本にある。諸物を人間の内に取り込む一つの重要な行為が「食べる」ということであり、それを司る胃は、その宇宙論的な身体論の中心的な臓器となる。

■脳死判定の身体論についての若干のコメント
●注:中世における脳と心臓の位階の転移(ル・ゴフ「中世の身体」)
1. 脳(頭)ローマ時代、脳は魂の座す場―体の統御機能を行使する器官:斬首・首狩は人格と力の切断を意味する。
2. 頭部の位置の上昇はキリスト教の体系の中で高められる。:キリストの体と頭であるキリスト
頭:教皇(教権) 心臓:君主(王権)⇒このメタファーは後に逆転したりする。
3. 12世紀終わりから15世紀にかけ、心臓のイデオロギーが花開く。
「体の中の太陽たる心臓」
⇒聖心信仰「イエスの柔らかなる心臓」(聖ベルナール)
⇒十字架上のキリストの傷口が右から左に移される。
●心臓か脳かの議論は、人間という存在の全体性の中で何を最重要と思っているかということを鋭く描き出す鏡であり、死生観を含んだその社会の身体論(生命論)の根本的な表白である。
「脳死」を法律化する社会とはどのような社会であるか?
●肉体は細胞の一つ一つに至ってもなおそのうちに精神を宿すものであり、精神はその隅々まで肉体を負っているものである。

●以上のような魂と身体との関係及び身体論を見てきたが、ではこのような身体ととって病とはなにか、を見てゆく。
●病とは忌むべきもの、避けて通りたいもの、できるだけ早く押さえ込み、直すもの、病とは敵なのだろうか。

⑧ 病とは何か
●ヒルデガルトにとって病の原因は、次のように考えられている。
1) 病の原因
1.原罪(アダム⇒黒色胆汁)⇒病とは根源的な状態の喪失を意味する。
●4体液の乱れ―わけても黒色胆汁の過剰として掴まれるHの体液論の根底には、アダムにおける「水晶のように輝いていた」原初的な生命-胆汁の均衡を保っていた身体の罪による崩壊と、それからの根源的快復の希望というキリスト教信仰の独自性がある。
2.病とは試みである⇒病とは人間的な本性に至る道筋である。
3.病は不節制による⇒肉体の自然的中庸からの逸脱
2) 病とは人間の自然的本性自体が、身体的・精神的自然からの逸脱を言い当てる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもある。
病とは「なされずにいる状態」「とりやめた状態」「欠如、あるいはズレの状態」の告知である。
●これらは論証されるべきものというよりは、ヒルデガルトが痛みの中で経験した信仰的真実というべきであろう。
3) 病者
「病者に対してはキリスト自身に対するように奉仕すべきである」(ベネヂクト「規則」)
「病者への介護は労働や個人的欲求や個人的願望よりも上位の、最上の地位を与えられ、神への奉仕よりも上位ですらあった。」(シッペルゲス「中世の医学」

⑨ 治癒することの意味
1) 「治癒する」とは、自然的本質の快復を通した存在の全体性とその関係性の快復を意味する。⇒それは必ずしも「旧に復する」とことを意味しない。
●世の終わりにおける快復への希望(⇒⑩参照)
2) 快癒に向かう治療は存在の全体に及ぶものである。こうして存在の総体に及ぶ治療において初めて「治療」(heilkunde)は、魂を含む存在の「救済」(heilskunde)となる。
●「治癒の歴史は同時に救済の歴史である」という時、この歴史すなわち時間性が人間の自然的本質の恢復する過程だとすれば、人類史はそれ自体として救済史であるという「希望」を意味する。
3) ヒポクラテスの箴言
「ことばが癒しえぬものは薬草が癒す。薬草が癒しえぬものはメスが癒す。メスが癒しえぬものは死が癒す。」
4)死という救いについて
 死からの自由と死という希望
⇒万物は滅びることができる(ヤコブ・ベーメ)

⑩ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)               
1) ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトはジグヴィツァと同じ症状に襲われる。
2) 癒す者(ホモ・コンパテイエンス)と癒される者(ホモ・パティエンス)との関係
3) ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。ヒルデガルトは自ら言う。「血脈は血液もろとも、骨は髄もろとも、死から目覚めたもののように、再び健康を取り戻しました。」
 その姿は「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。

結語に代えて
―私たちはこの世を巡礼する民である。
1) 一枚の絵に戻って
「このとき、今はまだ精神を身体に縛りつけている私たち人間の魂は、その魂に見合った体を身につけるであろう。こうして人間は全体として救われる。」(『生の功徳の書』)
「人間たちは魂も身体もその無傷の肢体において、すなわち身体と性の完全な状態において、ただ一瞬のうちに復活するであろう。」(『道を知れ(スキヴィアス)』)

2) 病んでいることは、中世にあっては、われわれに割り当てられたこの地上での限りある生の期間に、病める者と健康な者がともに共同して両者の永遠の救済を遂行する一つの生の形式なのある」(シッペルゲス「中世の患者」)            
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プロフィール

johanusuda

Author:johanusuda
臼田夜半
鴨川市在住
著作『病という神秘』(教友社)
  『ネロの木靴』(地湧社)
  『聖ヒルデガルトの病因と治療』(ポット出版)
制作『いのちの大切さ』
(文部科学省学習支援ソフト)

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