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ヒルデガルト研究会

12世紀ドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神学・医学・薬草学・音楽についての研究

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第4回ヒルデガルト連続セミナー「病とは何か」

第4回ヒルデガルト連続セミナー (2013・6・15)

第4回セミナー

Ⅰ 一精神疾患者の治療経過
Ⅱ 感情・肉体・魂の相関と病の根源
Ⅲ ヒルデガルトの全体性医療
Ⅳ 病とは何か
Ⅴ 治癒することの意味
Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)

Ⅰ 一精神疾患者の治療経過
A) ジグヴィツァの症状と治癒までの経過(『聖女ヒルデガルトの生涯』第20章~24章要約)
① ライン川下流域に住むジグヴィツァという名の高貴なる若い女性が悪魔に取り憑かれたという知らせが入った。彼女はすでに7年以上病んでいたが、正気を失い、下品な振舞いをし、しばしば叫んだ。
②ジグヴィツァを収容したある修道院では、3ヶ月にわたって治療を試みたがその効果はなく、ヒルデガルトに救援の手紙を送ってきた。
③ヒルデガルトは手紙を返し、断食・苦行・布施の後、ミサを執り行い、7人の司祭による伐魔式を行わせた。すると邪悪な霊は力の限りわめき、周囲の者を恐怖におとしめるほどに悲しく恐ろしい叫び声を上げ、半時間も狂乱状態が続いたあと、ついに悪霊は憑依していた器から去っていった。ジグヴェツァは自ら祭壇の前にひれ伏して神に感謝のことばを捧げた。会衆から歓喜の声が上がったのも束の間、彼女は全身を震わせて叫び、咆哮を上げ、以前にも増して荒れ狂い始めた。そして、空になった器に再び舞い戻った悪霊が叫んだ。「あの年老いた女の前でのみ自分は去るだろう」。悪霊はヒルデガルトを指名したのである。
④こうしてジグヴィツァはヒルデガルトのもとに送られてきた。民衆を長い間不安に陥れた女の到着に、会うまではヒルデガルトも恐れを抱いていたが、男手を借りることもなく大騒ぎになるともなく、ジグヴィツァを修道女たちの部屋に連れて行くことができた。
⑤修道院に移って以降、悪霊はジグヴィツァに混乱や恐怖を沸き起こし、嘲笑や下品な言葉を吐かせ、忌まわしい蒸気を吐いた。だがこの悪霊が聖堂から聖堂に移る際、あるいは女のために施しをした時や聖職者の祈りを聞いたときなどに、一瞬ひるむことがあるのを、ヒルデガルトは見逃さなかった。
⑥自分の修道院と近隣の人々に、聖母マリアの清めの日(2月2日)から復活祭前日の聖土曜日に至る50日を越える期間、ジグヴィツァのために断食し、祈りと喜捨を奉げ、苦行に励むことを求め、実行された。
⑦ジグヴィツァに聖霊の力が及び始めたのだろう、ジグヴィツァは洗礼の救いや聖体の秘蹟、破門の危機やカタリ派の破滅などを人々の面前で口走るようになった。●時代背景
⑧1170年(ヒルデガルト72歳)の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式が行なわれた。司祭が洗礼盤の聖別した水に息を吹き込むと、ジグヴィツアは恐れおののき、その足をばたつかせて震え始め、口からは靄のようなものを何度も吐いた。
司祭が命じる。「サタンよ、この女の体から立ち去れ。」
するとおぞましい霊はおりものとなって排出され、出て行った。こうしてジグヴィツァは解放され、その魂と身体の感覚は健康に保たれることになった。

B)ヒルデガルトの診立て
①「私はヴィジョンの中で、この症状はある悪魔によって一つの球の中に集められた黒い影と煙が、その娘を暗くしたものであるとみた。これが彼女の理性ある魂の敏感な部分の全域を圧迫し、彼女の高い理性をもって行う祈りを許さなかった。」
●この見立ては上記②の時点であり、遠隔にジグヴィツァの魂を見ていたことになる。
②「わたしは悪魔がどのような形で人間の中に侵入するのか知りたいと考えていた。
「たいていの人は、発狂した人を悪魔に取り憑かれていると考えがちだが、そうではない。」(90 狂気)
「悪魔はその本来の姿で人間に入ることは許されないので、黒い影と煙とをもって人間を覆って暗くし、正気を失わせ、下品な振舞いをし、叫ぶのである。・・・その間、人間の魂は眠ったようになっており、その間、肉の体が何をしているかを知らない」(『ヒルデガルトの生涯』253~254P)

C) ヒルデガルトには魂がどのように見えていたか―5種類の状態(Scivias Ⅱ-6 195P)
1) 体に光を、魂に炎をもつ人
2) 体は青ざめ、魂は暗く見える人―信仰において生温かく鈍い心のもの
3) 体に剛毛を生やし、魂には多くの穢れをつけて不潔になっている人
4) 体がきわめて鋭い棘に覆われ、魂には癩が現れている人―心が怒りや憎しみ、妬みに覆われている人
5) 体に血をつけ、魂は腐敗した屍さながらに悪臭を放っている人―血に染まった手で残酷な行為を行ったもの
●ある者は炎のような輝きを注がれ、他の者は暗雲に閉ざされたように暗くされていた。


Ⅱ 感情・肉体・魂の相関と病の根源
A) 怒りの奥にある悲しみ―症状と病理 
●上記に描写されるジグヴィツァの症状には「怒り」と「錯乱」がある。
「怒りは悲しみから生まれる。」(146 胆汁とアダムの罰)
①怒りと錯乱が発生する身体的メカニズムと魂の働き
「人の魂は自分や自分の体に1)*逆らうもの(aliquid adversi:something adverse)を感じ取ると2)心臓や肝臓そして血管を収縮させる。そして3)心臓の周りには霧のようなものが立ち昇り、4)心臓を曇らせ、こうして人は5)悲しくなる。」*見、聞き、考え
「心臓を覆っていた6)悲しみの霧は、7)すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出す。この蒸気が8)胆汁をかき立てる。こうして9)胆汁の苦みから静かに10)怒りが生まれる。」 
②悲しみから転化した怒りが治まらずに継続した場合、どのように精神を錯乱させるのか、そのメカニズムが次に述べられる。
「11)怒りが治まらないままでいると、12)蒸気は黒色胆汁にまで達して13)黒色胆汁をかき立てる。すると黒色胆汁はひどく黒い霧を送り出すようになる。」
「14)この霧は胆汁にまで達し、15)胆汁からは非常に苦い蒸気が吐き出される。さらにこの霧は蒸気とともに脳まで達して有害な体液をかき立て、まず最初に17)頭を患わせる。
18ついで胃にまで下りてゆき、19)胃の血管と胃の内部を襲い、20)その人を錯乱状態に陥れる。こうしてその人は無自覚なうちに怒り出すのである。人は精神の錯乱から荒れ狂うというよりはむしろ、怒りから荒れ狂うことのほうが多い。」
(146 悲しみと怒り)
① 2)~20) 臓器と体液の反応と連鎖
魂⇒心臓・血管・肝臓の収縮(注意!)⇒心臓周辺に霧(魂の場である心臓:悲しみ)⇒胆嚢[肝臓]に温かい蒸気⇒胆汁を掻き立てる⇒胆汁の苦味から怒りが生まれる」⇒(怒りの継続)⇒蒸気が黒色胆汁を掻き立てる[脾臓]⇒黒い霧を出す⇒⇒胆汁[胆嚢]に浸透して苦い蒸気⇒この蒸気が脳を患わせる⇒蒸気が胃に達し、錯乱し、怒る
② 2)~20) 精神的反応の連鎖:「錯乱⇒怒り⇒悲しみ⇒魂の不快感(逆らうなにか)」と、魂へと遡る。
③ 蒸気・霧はヒルデガルトに見えているもの
④ 1)魂は「逆らうなにか」[敵対するなにか]を瞬時に感じ取り識別している。
●上記の主語「魂」を「心」と読み替えることが可能だろうか?

■補足:どこにも「逆らうもの」がないときの魂の喜び⇒「甘い」
魂のもつ知識が自分の中に悲しいことや敵対的なもの、害するようなものを感じ取ることがなければ、心臓は花が太陽に向かって花開くように喜びを解き放つ。(149 喜びと笑い)⇒次項「甘い」
●「魂の注入」が川の流れのように描写されたように、体液の反応も川の流れのように見ている。川に岩礁があれば波立つように、体液も変化を通して「逆らうもの」を伝える働きをする。
●「自分の中に」とは、全身にいきわたる省察の感覚。糾明。祈って決める感覚に同じ。

B) 「甘い-苦い」―魂(あるいは身体)の内的感覚
●上記A)は診察側から見た「病理」であるが、病者の側の内的な感覚は「甘い」「苦い」であることが述べられる。この中には診察側の観察も含まれている。
① 甘い―苦い
1)「思い(cogitationes:thoughts)が心臓に留まっているとき、その思いは甘いか苦いか、そのどちらかを持っている。2)甘さは脳を豊かにし、苦さは脳を虚ろにする。3)思いに甘さがあると、その人の目や耳や口は喜びを表す。 4)思いに苦さがあると目は涙を流し、話しぶりや聞き方にさえ怒りや悲しみが表れる。5)人の目は天空に似せて造られている。」(91 脳)
1)「思いは心臓にある」
1)2)思いは脳ではなく心臓に座を占める魂の感覚であり、したがってこの「思い」は非言語的であり、アリストテレスのいう植物的・動物的生魂の感覚を含んでいること。(⇒後述)
2) 「思いの甘さ」とは、魂の基軸と一致した感覚であり、「苦さ」とは魂の基軸から「逸脱」(ずれ・歪み・無視)した感覚であること=「逆らうなにか」=魂が本来の働きを覆われている状態。
脳はこの心臓の思いの反映であること。
② 参考:プラトンとイグナチオの「甘い」
●「甘い」「苦い」はプラトン以来の霊的・肉体的感覚である。「自然に反した無理な影響が、それも一気に起こる場合には、この影響は「苦しい[苦い]」ものあり、逆に自然の状態へと一気に戻る影響は「快い」ものである」(『テイマイオス』116P)
●イグナチオは霊動弁別の感覚を「憂鬱」と「はればれ」としているが、これは「精神」に偏した感覚ではないか。ヒルデガルトの「甘い」「苦い」は、肉体を含む生命の感覚に近い。
3)目や耳や口が喜びを表すとは、「甘い」という感覚が「自然的・全的」であることを示している。(⇒「贖われるアダム」の図想起)
●ヒルデガルトの望診、特に魂の露出の場としての目の観察―死の兆候。
話し方や聞き方、理性や精神状態だけでなく、常に感覚作用の観察を通して魂の状態を見る。
●霧や靄や蒸気は魂を「覆い隠し、暗くするもの」であることがわかる。「暗さ」は魂が覆われているサインである。


■魂-感情-身体の関連
肝臓(感情) 心臓     脳            魂
怒り     悲しみ―苦い    虚ろ          逆らうもの―不快
喜び      喜び―甘い    豊か       どこにも逆らうものがない―快*「喜び」には霊肉の位相があり、それを識別する場は心臓である。
●スピリチュアル・ケアとは、シンプルにいえば、「甘い」「苦い」という魂の基本感覚の覆いを取り去り、露出させることになる。

■参考
主体液 プラトン  アリストテレス ガレノス ヒルデガルト
大脳 粘液 理性の霊   理性的霊魂 精神の霊 思考力・理解力の質料     
心臓 血液 感情の霊   動物的生魂 生命の霊 魂の場/思念・思考の識別
肝臓 胆汁  強い欲望の霊   植物的生魂 自然の霊 液汁の器・/感情

●プラトン・アリストテレスの3霊説はガレノスにより「血流説」に採りいれられ、霊は3つの臓器で霊が発生・作用するとされたが、ルデガルトにとって魂[霊]は一つであり、一つの働きである。

C) 怒りの奥にある悲しみについて―原罪と黒色胆汁
●怒りの奥にある「悲しみ」とはなにか。
①アダムがリンゴを食べ、善を知りながら悪を行った時、アダムのこの自己矛盾により、彼の中に黒色胆汁が生まれた。アダムが罪を犯してのちに抱く悲しみと絶望とは、この黒色胆汁から生まれたものである。この黒色胆汁はすべての人間にとって本性となり、すべての病を引き起こす源となった。
●黒色胆汁は、原罪の記憶の体への刻印であり、その「遺伝的」継承である。それは原罪を想起するために埋め込まれた記憶である。
②黒色胆汁は黒くて苦く、この黒色胆汁はいかなる慰めも疑念で覆うという悲しみをもたらす。こうした人は、天上的な命の喜びを感じることも、地上的な慰めに喜びを感じることもない。
●疑念とは「神が自分を守ってくださるという希望を見失う」ことである。
アダムの魂は自らに悲しみを招き寄せ、怒りの中で罪の責苦から逃れる道を探し求めたのである。怒りは悲しみから生まれる。
●「怒り」とは、罪の責め苦から逃れるための屈折である。この世を彷徨っているという悲しみから逃れようとする誤った抗いが、怒りとなって現れる。悲しみと怒りは何層にもなっている。それは黒色胆汁と胆汁との間を行き来する躊躇に現れている。
参考:プラトン「肝臓の獣的欲望に対する「理性」の反応が心臓の「怒り」として現れる。
●逆に見れば、病は、体液の氾濫を通して魂の深部に導く働きである。病とは魂が、身体的・精神的自然からの逸脱を言い当てる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもあるということができる。

D)ヒルデガルト体液論について
①「体液には四つの種類がある。二つの優位な体液は粘液と呼ばれ、それに次ぐ二つの体液はリヴォルと呼ばれる。」(50 体液)
②「火の性をもつ熱から乾いた粘液が、空気の性をもつ湿から湿った粘液が、水の性をもつ血から泡だった粘液が、土の性をもつ肉から生ぬるい粘液がかき立てられ、引き出される。もしこれらの粘液のうちどれか一つが過剰となり、他の粘液によって抑制されたり調整されるようなことがなれば、その人は衰弱し、死んでしまうであろう。もしそれぞれの粘液がしかるべき適量を守り、他の粘液によって相応の量を守るように調整されていれば、各々の粘液は人の体を調和のとれた状態に保ち、健康にする。もし一つの粘液が支配的になると、別の粘液はその下に忠実に従い、それ以外の二つの粘液はリヴォルとともに節度をもって従うようになる。こうした作用が働いて人の体は、鎮まった状態でいることができる。」(50 粘液の種類)
●シッペルゲスの見解:「四つの体液のうち二つの支配的な体液は粘液と呼ばれ、二つの副次的な体液は『リヴォル』と呼ばれる。しかしこのリヴォルという液体が病気の有機体に生ずる変化のうち何に該当するかを正確にいうことは不可能である。」(BH)

■ヒルデガルト体液論の理解と多田富雄「超システムとしての免疫論」の示唆
①「(脳胞を移植されたひよこ[キメラ]が脳自身への拒絶反応を示し、死に至る事態を受けて)身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって脳ではない。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。」(『免疫の意味論』18P)
●これは自己を決定するのは脳ではなく免疫系であるとする象徴的な実験。
②「免疫は「非自己」に対する反応系として捉えるよりは、「自己」の全一性を保証するために存在する。免疫は「外部世界」を監視する反応系ではなく、「自己」の「内部世界」を監視する調整系である。(同上47p)
③「免疫という生命反応を司る分子は、実はさまざまな作用をもった曖昧な分子である。・・・「自己」は本質的に「冗長性」と「曖昧さ」の上に成立する混沌の世界である。」
免疫系における「自己」と「非自己」のに識別能力は環境に応じた可塑性を示す。すなわち場に応じて多様化し、変容した新たな「自己」に適応し、「自己」に言及(リファー)しながら、新たな「自己」を組織化してゆくシステムを造り出す。この動的なシステムを、多田は「超システム」と呼ぶ。(同上104P)
●多田のいう「新たな自己を形成してゆくシステム」は、ヒルデガルトの人間観の核心「孕みの総体としての人間」の思想に含まれている。多田の「超システム」の中心にある自己形成の主体とその働きこそ、ヒルデガルトの統合する主体である「わたしの魂」であろう。「わたし」は「関係の総和」ではないことに注意。

D) ルチフェル―悪魔(Satan)―悪霊
●ジグヴィツアに対する総合治療は「悪魔払い」で仕上げられるが、いったい「悪魔」とはなにか?それは実体なのか、魂の状態なのか?
①旧約聖書:ヨブ記⇒Satan:Satan( or The Accuser ):「中傷者」
新約聖書:マタ4-3(荒野でのイエスの誘惑)⇒tentator:the tempter:「試みる者」「誘惑する者」
●diabolus(悪魔・サタン)の原義は「中傷者」、新約では「試みる者」(誘惑する者)
②ヒルデガルトにおける悪魔と悪霊
1)「悪魔(diabolus:the devil)は嫉妬と憎しみと嘲笑という悪しき感情に起因するすべての悪事をなすもの」(『生涯』255P 要約)
2)「大勢の悪霊(daemonum:demon)の群が普段は人間と一緒に暮らしており、ルチフェルに従ってこの世で謀を企むものである」(58 ルチフェルの墜落)
●悪魔・悪霊とも「人間の魂を眠りこませるもの」=「魂の働きを覆い隠すもの」として描かれており、悪霊の取りついたものの身体からは「黒い霧のようなもの」が発せられる。この黒い霧とは黒色胆汁の発するものであり、天上的な喜びも地上的な慰めも覆い隠す。その状態が固定化したものを「悪霊の取りついた状態」と呼ぶ。
●ヒルデガルトの「悪魔祓い」は、「外科手術もひとつの免疫療法である」という多田富雄の指摘に似て、外科療法的な手法であろう。多田によれば、癌の摘出手術を受けると、それまで癌を異物として認識できなかった免疫システムが働きだし、残留した癌に対して有効に作用し始めるというが、それと同じように、悪魔祓いの後のケアこそが重要であることを、ジグヴィツァの最初の悪魔祓いの失敗は物語っている。


Ⅲ 具体的な治療
●ヒルデガルトの施す治療法のベースはベネディクト会を中心とした修道会医学にある。
「病人に対してはキリストに仕えるように仕える」(ベネディクト『戒律』)
A) 生活法にとって重要な6つの要素(以下『戒律』)
① 光・空気・静寂などの環境 
②飲み物と食べ物
1)食事:第9時にのみ食事。木・日は第6時と夕食。ただし病人には早めに与えてよい。(食事時にランプの灯が必要でないような時間帯の配慮)
1日にパン1斤・調理したもの2品+果物
2)野菜が中心でソラマメ・人参・玉ねぎなど。
四足獣は禁止だが、「非常に衰弱している者は例外」となっている。
ヒルデガルトには四足獣(牛・豚・山羊)なども治療用に登場する。
3)ワインは一日1/4リットル。ヒルデガルトはワイン・ビール、薬用酒には寛容である。
③運動と安静
「運動そして安静」(motus et quies)
●労働―機織・糸巻き・写本・その他の手仕事(『病因と治療』では触れられていない)
④ 適度の睡眠(通常は6時間)) ●「治癒力のある睡眠、そして人をさわやかにする夢」
⑤体液の排泄または保持
●風呂はあまり勧められていない。ヒルデガルトは風呂・サウナを治療に活用
⑥感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る

B) 食事療法
●食養の基本
①「食物の摂取において人間は日々新たにすべての被造物との、きわめて具体的な肉体的な交わりを結ぶ。胃は世界の素材を交換する中心であり、したがって胃は宇宙の受容力と呼ぶことができる。」(『神の御業の書』Ⅳ105 BH138)
●「食べる」とは、被造物との交わりである。「知る」ということの意味。
②食物の摂取において重要なのは中庸である。
「悲しみにある人はよく食べるべきである」●怒りと胃
●狂気に対する食事の注意
①乾燥した食べものは狂気の乾燥へと導くのでこの病の人は避ける。血液に程よい水分を与え、体液を適正なバランスに戻すには、良質であっさりした食べものを摂るようにする。油ではなくバターかラードを使ったセモリナのポリッジを食べるのもよい。ポリッジは虚ろな脳を満たし、脳の冷えを温める。油は粘液を引きつけるので避ける。
②ワインは混乱した体液を更に混乱させるので、飲むべきではない。ハチミツ酒も飲むべきではない。ただの水も意識を更に鈍化させるので飲まない。ハーブ(フェンネル・コストマリー)から造った醸造酒かビールを飲むようにする。

C)ハーブの処方―被造物に秘められた御言葉を言い当てること
①「主は大地から薬を造られた。分別ある人は薬を軽んじたりはしない。一本の木によって水が甘くなり、木の備わる力が明らかにされたではないか。主は自ら人々に癒しの知識を授け、その驚嘆すべき業のゆえにあがめられる」(『シラ書』38-4~6)
②「目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることが出来ます。」(ロマ書1-20)
ⅰ) 脳の冷えが原因で頭が狂った場合は、ローレルのベリー[液果]の粉末に小麦粉と水を混ぜ、こね合わせる。頭を剃り、頭部全体にこのこね粉を塗る。頭の内部が温まるまで、こね粉を塗った上にフェルト帽を被せ、患者を眠らせる。こうすることで、脳に熱を運ぶことができるようになる。(166 狂気)
ⅱ)  種々雑多な思いから分別や理解力を失い狂気に至った場合、フェンネルとその三倍量のコストマリーを茹で、冷ましたゆで汁を頻繁に飲ませるようにする。コストマリーの液汁には悪い体液を妨げ抑制する働きがあり、体液が極度に不安定になることはない。この液汁は人を正気に戻す。フェンネルの液汁は、適度に調和のとれた喜びをもたらす。これらのハーブを混ぜ合わせ軟水に入れて加熱したものには、理解力を回復させる作用がある。
ナツメグとその倍量のカヤツリグサを粉末にし、グラジオラスの根と同量のオオバコの根を用意する。これをすり潰し、塩を加え、さらに小麦粉と水を加えて薄いスープをつくり、それを患者に飲ませる。(168 狂気)
●ただし処方は固定的とは思えない。

C) その他の療法
1)瀉血療法
●ハーブの処方に瀉血が加わるのが一般的である。瀉血には性別・年齢・季節・瀉血量などの細かな規定がある。
2)乱切法(scarification)
3)焼灼療法(ustion)
4)下剤(purgatives)
5)対話
●対話の情景は出てこないが、魂同士が向き合うことであり、いわゆる「対話療法」ではないだろう。
⇒イエスは「治りたいか」とだけ聞いた。
6)音楽:1日7回の時課 典礼音楽
●声は心身の診断である。

D) 共同の祈り
1)祈り・ミサ・最高の薬としての聖体拝領
●祈りとは霊による霊との対話である。(じつはこのことがヒルデガルトの一切である)
「わたしたちが語る言葉は、人の知恵に教えられたものではなく、霊によって教えられたものである。祈るとは、霊によって霊と対話することである。」(1コリ2要旨)
2)伐魔式―最後の仕上げ
●ジグヴィツァの精神に悪と向き合えるだけの総合的な力が与えられる。力とは、共同体による祈りの集積とそれへの感謝、身体を包む住環境や孤独を癒す人間関係、体を養い力を与える食事や薬、瀉血、温浴などのその総体である。そして伐魔式はその仕上げである。


Ⅳ 病とは何か
A) 病の原因―原罪と体液
①原罪―黒色胆汁
第2回で「原罪論は永遠の命の喪失―死や病の発生の根拠を求める衝動から来ている」ことを話した。ヒルデガルトにあって原罪論は体液論に貫通する。
「病は人間の犯した最初の悪に由来している。すべての病気を引き起こす元である黒色胆汁とは、体に刻印された原罪の記憶であり、原罪を想起させるために体に残された棘である。」
●体液自体が自然学としてだけでなく、神学的に掴まれる。
黒色胆汁の存在と体液の不調として掴まれるヒルデガルト体液論の根底には、アダムにおける「水晶のように輝いていた」原初的な生命―体液の均衡を保っていた身体の、罪による崩壊―原初的な状態の喪失と、それからの根源的回復の希望というキリスト教信仰の独自性がある。
②体液の乱れ
「体液がそれぞれ適切な秩序としかるべき適量を保っていれば、その人の体は安らいでおり、健康でいることができる。もし体液が衝突し合うと虚弱になり病気に罹る。」(57 健康)

B) 病の意味
①病は病の意味を問う。病は言い当てられることを求める。
②病とは、体液の氾濫を通して魂の深部に導く働きである。病とは魂が、身体的・精神的自然からの逸脱、「なされずにいる状態」「欠如、あるいはズレの状態」を言い当て、告げる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもあるということができる。
病とは告げ知らせるものである。
③ヒルデガルトのように、なんの咎もない人間が病を負うことがある。
ヨブ記:「見よ、幸いなるかな、神の懲らしめを受ける人。・・・彼は傷つけても包み、打っても御手で癒してくださる。」『ヨブ記』5-17)
●病とは試みである。試みとは存在に聞くことである。病者は神を内に見る。
「苦難は忍耐を、忍耐は*練達を、練達は希望を生む」(『ロマ書』5-3)
 *probatio:character⇒probation(車前草)
③深い病とは、自分個人ではなく人間という普遍を背負うことである。ヨブは人間という普遍を病む。それはキリストの欠けた部分を身をもって満たすことを意味する。

Ⅴ 治癒することの意味
①治癒の徴:甘い涙(伐魔式後のジグヴィツァン)
●治癒の徴は甘い涙となって表れる。それは私という存在の奥底の姿を見たからである。
「魂は悲しみを通して、あるいは理解することを通して、自分は本来、天に属するものであるのにこの世をさまよっているのだということを悟った時・・・魂は目に穏やかな涙を送るようになる。ここにはかすみも蒸気の旋風もなく、あるのは歓喜と幸福に満ちた吐息だけである。」
②病とはひとたび自分を死ぬこと、治癒とはひとたび死に、浄化された感受性とその五感において深々と世界と向き合うことである。(⇒Ⅵ③ヒルデガルトの恢復の姿参照)
③それは言い換えれば、自我としての「わたし」から真我=「わたしという魂」の姿に回復することである。
それは覆い隠すもののない敏感な魂がのびのびと発現することであり、理性を含めた魂の全感覚領域の解放として表れる。
(⇒右図「購われるアダム」想起)
「男はその香りを鼻で嗅いだが、口で味わうことも、両手で触れることもなかった。神は人間が全世界を見ることで知り、聞くことで理解し、嗅ぐことで区別し、(対象物の内的な力を口に入れて)味わうことで消費し、触れることで支配する(両手の業によって成就する)ように、人間に創造の武具を着せた。」(『神の御業』)●世界との創造的関わり
③「治癒」とは、関係性(共同性)の回復を含んでいる。(⇒Ⅵ「ホモコンパティエンス」)
●それは「旧に復する」ことを意味しない。実際に病が治るかどうかは、神に属する事柄であり、自分には属するものではない。それは病に限らず、生死ともにそうである。
●ヒルデガルトにおいて、自然的本性の恢復と救済への核心は、「魂は善に向かう」というこの不動の一点に拠っている。人類の歴史は救済の歴史であるというときも同じ確信である。なぜか。ヒルデガルトは深い病の底で、自我を脱ぎ払った命の原初的姿体―真我を見ており、それは自らの働きによるものでないことを知っているからである。

Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)               
①ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトは病に襲われる。
「この後、つまり彼女の解放後に大いなる病がわたしに侵入した。血管はその血が、骨はその髄が干上がり、内臓はばらばらになって全身は衰弱し、まるで緑を失った冬の植物のような有様でした。四十昼夜にわたり、わたしはこの病に苦しみました。」
●これはなんらかの施術上の誤りがあったのだろうか。ヒルデガルトには人の罪を引き取り、十字架上で購うイエスの姿がある。
②ベトサダの池での癒し(ヨハネ45-2~9)
「エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトサダ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが大勢横たわっていた。そこに38年も病気に苦しんでいる人がいた。イエスはその人が横たわっているのを見、また長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中入れてくれる人がいないのです。私が行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床(とこ)を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐによくなって床を担いで歩き出した。」
●イエスは病者の魂の低みへと降りて行く。それは命の底の低みである。魂は魂の共感において出会う。この一点が「共苦する」ということの根拠である。
③ ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。ヒルデガルトは自ら言う。「血脈は血液もろとも、骨は髄もろとも、死から目覚めたもののように、再び健康を取り戻しました。」その姿は「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。●文字通りヒルデガルトの関係性は「孕む」ということにある。
●そして共苦する共同体
「あなたがたはキリストの体、一人一人はその部分です。体の中では他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」(1コリント12-22/27)


資料1 共苦する共同体―中世修道院の例
●修道院の建築思想は「オイコス(家:家政)」の概念によっている。
① 例:聖ガレン修道院の建築構造(右図)
ボーデン湖 ライヒナウ島に建設され、ベネディクト会則を体現した修道院建築として後世の模範となった。
1)病気または高齢な修道士のための病院―僧房の東側
2)貧困者と巡礼者の救貧院(オテル・ディユ:神の客たちの宿)―修道院の門の西側
3)集中治療室を備えた医師の住宅
4)患者浴場と瀉血室
5)修道院の会堂から少し離れたところに癩病患者専用の治療所
6)新鮮な水を供給する水道施設と下水管―排水管―水洗トイレ施設
7)薬草園(養魚場)
●教会と住居・病院と作業所や菜園などの生産施設を併せ持ったひとつの独立した町のような総合空間。
●身体としての建造物:共同体的身体⇒思考(頭)から排泄までの全身的身体機能をもつ
■参考:ベネディクト会則
1)空腹な者には食を与える。
2)渇いたものには水を与える。
3)裸のものには着物を着せる。
4)他国人には宿を貸す。
5)捕えられた人は解放する。
6)死んだ人は葬る。

資料2 『病因と治療』の構成と特異な記述
●全体構成
BOOKⅠ 宇宙と元素
世界の創造と諸元素/太陽・月・星と人間の本性
BOOK Ⅱ 人間の本性と病気の原因
    アダムの堕落と諸体液/霊と魂・魂の働き/受胎論―妊娠・出産・胎児/病の発生と気質/男女の性衝動/諸臓器の病/目の多様性/女性の生理/食養/瀉血等の治療/無意識下の諸作用/怒りと笑い
BOOK Ⅲ 治療法(1)
BOOKⅡの諸病に対応した、主に臓器別の治療法
BOOK Ⅳ 治療法(2)
BOOKⅡの諸病に対応した症状別の治療法/家畜の治療法
BOOK Ⅴ 生と死の兆候
   生と死の兆候/各種の発熱/誕生時の月齢と気質の関連

●BOOKⅠの冒頭は次のような記述から始まる。
「世界が造られる以前から神は居られ、そして今も居られる。神に始まりはない。神はかつても、そして今も、光であり、輝きである。神は命である。」
これはヨハネ福音書、第一章「初めにことばがあった。ことばは神であった。万物はことばによってなった。ことばによらずになったものはなにひとつなかった。ことばのうちに命があった。命は人間を照らす光であった。」の、ヒルデガルトに与えられた解釈である。病の原因を観想するヒルデガルトの精神は、宇宙誕生の第一日目の瞬間にまで遡らざるをえない。それは、なぜ神は人間に肉体を―すなわち物質をまとわせたのか、という大いなる疑問から湧きおこる衝動である。肉体をまとったがゆえに、その滅びの死があり、病がある。この死と病を生み出した原罪こそが、ヒルデガルトにとっては病の根拠なのである。
●性行動において特徴的に描写される体液類型論が、ここでは病の類型として展開される。

BOOKⅤ 命の兆候
●生死の兆候とは、魂が肉体を離脱しようとしているか否かをめぐる観察である。
①目に現れる兆候
1)身体的に健康な人が、どのような色であれ純粋で澄んだ目をしている時は、命の徴をもっており、すぐに死ぬことはない。
2)健康なのに目に輝きがなく、荒れ狂った目をしている人は、たとえどのような虹彩の色であれ、それは死の兆候である。上の方が濃く下の方にガラスのような雲が認められない荒れ狂った目の人は、すぐ病気に罹り、やがて死ぬであろう。こうした人の視線には、魂の力強さがない。
3)何らかの病気で床についている病人の目が水槽のように輝いており、いくらか潤んではいるが目覚めたばかりの人のように顔が腫れている場合、その人は病気から回復できず、間違いなく死ぬであろう。魂は自分の火を目に現すので目は輝いて見え、また魂の火は体を離れるにあたって炎を生むので目は潤んで見える。これは魂が足早に体を離れようとしている徴である。
②皮膚に現れる兆候
1)艶々として汚れないリンゴがそうであるように、皮膚の色は、皮膚の下の色で識別される。頬の皮膚の下に赤い色が認められる場合、それは命の徴といえる。
2)頬の皮膚の上に、赤い色か、あるいは適度に赤い色が見えても、その赤みのため、その下の皮膚が見えない場合は、たとえその人が健康であったとしても、これは死の兆候を意味する。
③声に現れる兆候
1)これという病気もなく健康で丈夫そうに見える人の、それまではいつも明瞭であった声がときおりしわがれるようになった場合、それは死の兆候を意味する。
2)それとは逆に、普段しわがれていて不明瞭だった声が明瞭になり、それが続く場合、病気でなくともそれは死の予兆を意味する。
④知性に現れる兆候
1)体が健康なうちは常に知恵があり分別をわきまえていた人が、病気に罹ると、心の中に怯えがある人のように理性を失い、愚かしい状態に留まっている場合、その人はもはや生きず、死ぬであろう。魂は理性の翼を折りたたみ、出てゆく準備をしているのである。
2)魂のもつ理性の翼により、常に知恵があり分別をわきまえていた人が、病床にあって理性を失った場合、魂は命から手を引くかのように理性から手を引く。この病気の過程で、突然以前の分別を取り戻し、それを維持できるような場合、それは魂が以前のように理性の翼を広げ、再び命の徴を表したということであり、その人は辛うじて死を免れる。
3)体は健康であっても普段は愚かで無知であった人が、病気に罹ると知性的になった場合、その人の魂は、別の命のために知力と道筋を準備をしているということになる。もしこのような人が病気の状態から突然元の愚かな状態に戻り、その後もずっとそのままでいるような場合、この人は辛うじて死から免れるであろう。というのも、魂は体の中の以前の場所、すなわち慣れ親しんだ状態に戻り、まだそこから離れようとしてないからである。
⑤脈拍に現れる兆候
1)何らかの病気で病床にあっても、右腕の血管が規則的にバランスのよい脈を打っている場合、その人は生き永らえ、死ぬことはないであろう。魂が血管を死に向けて突き動かしていないからである。
2)右腕の血管の脈が速く、脈動が止まない場合、その人の息はほとんど止まりかけているとみてよい。その人は死ぬ。というのも、魂は体から離脱するほかないので血管を説得してそれを突き動かし、自分を血管から解き放とうとしているからである。
3)同じように速く脈打っている血管が、一度か二度、正常な脈を打ち、その後また元の速さに戻るような場合、それは魂がこの脈の速度を通して、体を離れるのは難しいということを表しているからであり、それゆえその人は死なず、生き永らえる。
4)生死の兆候は特に右腕に認められるので、右腕の血管には細心の注意を払う必要がある。というのも、もっとも偉大な力は、常に働いている右腕にあるからである。左腕は働かないので、その兆候を示すにはやや鈍感である。
5)魂が体を出ようとする時、関節は弛緩する。この関節部の血管が脈打つのは、死に向かおうとする時の激しい混乱の現われである。もし魂に体を出るつもりがなければ、いかに重篤な状態であっても、関節部の血管は静かで規則的な脈を打っている。
⑥血液に現れる兆候
1)血管から出た血が人の息のように濁った色をしていて、その色の中に黒い斑点があり、周辺部が蝋のような場合、神がその人の生命力を回復されない限り、速やかに死に至る。濁った血の色は、冷えによって体液が死にかけていることを表している。血中の黒い斑点は、黒色胆汁が死にかけていることの現れである。黒色胆汁が放散するものは濁っていて蝋のように見えるが、黒色胆汁はこのような状態で存在している。
2)血が蝋のような色をしておらず黒く濁っている場合は、神がその人の咎を解かれない限り、病から解放されることはないという深刻な絶望状態にあることを示す。しかしその人は死を免れる。なぜなら黒色胆汁と体液は死に向かって突き進んでいるが、胆汁は動くことをせず自らの場に留まっているからである。だから死ぬことはない。
⑦尿に現れる兆候
1)尿が毒や凝固した牛乳のように白い場合、そしてその中心が紫と白のどんよりした雲のように見える場合、それは死の兆候であり、その人は死ぬであろう。 
2)紫と白とどんよりした雲に似た尿であっても、その周辺部がわずかに澄んでおり、そのため完全には濁っていない場合、その人は重篤であっても、辛うじて死を免れる。周辺部が澄んでいて、そのため中心部が完全には濁っていないのは、体液がまだ完全には分離しておらず、互いにしっかり結合していることを表す。
⑧便に現れる兆候
1)便が黒くて乾いている場合、それは死の兆候を意味する。体液が死に備えようとする時、黒色胆汁は消化物をそのような乾いた黒色に変えるからである。
2)黒く乾いた便が普段と同じような臭いであれば、その人は辛うじて死を免れることができる。排泄物が黒く乾いているのは、黒色胆汁の働きが弱まっているからである。
3)便の臭いが普段と異なる場合、それは死の兆候を意味する。腐敗が完全ではなく、適切な熱の働きが失われているからである。




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第3回ヒルデガルト連続セミナー

第3回ヒルデガルト連続セミナー (2013・5・18)

Ⅰ 中世の身体―カタリ派を焦点として
Ⅱ 霊・魂・身体


Ⅰ 中世の身体

A) 中世におけるキリスト教的身体観
①本来、神への不服従を意味した原罪は、情欲の罪に一面化され、死を超えて命を継続する方法としての生殖が穢れとなる以上、肉をもった今生の生全体は穢れたものとなる。「魂にとって体は忌まわしい衣である。」(6~7世紀 大グレゴリウス)
アウグスティヌス以来、中世キリスト教世界を覆った身体論はこのことばに集約される。
だが肉体は魂の乗り物に過ぎないとするギリシャ思想には、肉を穢れとする観念論が根本にあり、「キリスト教はなにも抑圧しなかった。それはすでになされていたのである」(ポール・ヴェーヌ)といわれるように、それは西洋の長い歴史的な精神でもある。2~3世紀にはオリゲネスのように肉体を軽蔑し、自ら去勢するキリスト教禁欲者たちもいた。こうした歴史の上に12世紀ルネサンスは花を開こうとし、そしてそこにヒルデガルトがいた。
②鞭打、断食、不眠、沈黙等の苦行を「肉体の呪縛と専制から精神の自由を回復し、神への回帰を果たすための手段」とみなしたベネディクト修道会にあって、ユッタの死を身近に経験したヒルデガルトは、女性幻視者シェーナウのエリザベトに対し度を越した苦行を戒め、「際限のない禁欲が実を結ぶことはなく、むしろ悪魔のささやきであって中庸を尊ぶべきである」と述べている。
③「(上記のような支配的な考え方を引き継いではいたにせよ)アッシジのフランチェスコにとって身体はそれでも「兄弟」であり、病気は「姉妹」であった。」(ル・ゴフ『中世の身体』166P)

B) 恢復する肉体の兆し―涙と微笑み
1. 涙の肯定と意味の変化
①涙を流すイエス
②「涙の中に中世の謎のすべてがある。」(『中世の身体』104P)
③ 禁欲の一方法としての涙という伝統
「摂取する水分を減らせば罪の誘惑も減少するが、涙は体内の液体を排出し、体が罪深い性的使用に充てることを防ぐ。」(『中世の身体』99P)
④「毎日、祈るとき、涙と嘆息をもって神に過去の過ちを告白すること」(6世紀『聖ベネディクトの戒律』4-57)
⑤ 「魂は悲しみを通して自分は本来天に属するものであるのにこの世をさまよっているのだということを悟った時、目に穏やかな涙を送るようになる。」(⇒「甘い涙と改悛」)
●ヒルデガルトにとって涙はかなしみの表れというより、魂の所属の記憶であり、救済の印である。
2. 笑いの復権
①「ほほ笑みは中世の発明である。」(『中世の身体』112P)  
②笑わなかったイエス
③「笑いは肉体的な快楽と関係がある。アダムが罪を犯したとき、子を産むという穢れなき本性が性愛へと変化したように、アダムのもっていた天上的な喜びに満ちた声は、笑い声と馬鹿笑いへと変質した。」(199 笑い過ぎ)
⇒「笑いを誘うことばを口にしないこと。大声で笑いに興じないこと。」(『戒律』4-53・54)
●ヒルデガルトにあって涙は救済の印であり、笑いは一種の性愛であった。
12世紀的な霊肉の狭間にあって、ヒルデガルトの身体は開明と保守との矛盾を、伝統的な修道女として合わせ持っている。

C) 異端カタリ派
●ヒルデガルトの身体論にはカタリ派身体論との緊張がある。それはカトリックが長年教化してきた身体論の純化した姿でもあった。
① カタリ派:「清浄なるもの」
1) 1017年オルレアンで最初のカタリ派発覚
2) カタリ派の拠点ツールーズはヴェネチア、ローマに次ぐヨーロッパ第3の都市であり、古代文明直系たる南フランス諸都市は、独立の感覚と自由を愛する心を古代から受け継いでいた。
(⇒吟遊詩人トゥルバドゥールの自由精神:ラングドック・プロバンスなどカタリ派の地方と重なる)*織職人が多い。
3)アルビジョア十字軍は南仏を併合し、統一国家への過程での戦争でもある。(聖王ルイ)
4)1209年ベジェの大虐殺(3万―自称10万 カトリック教徒を含めた住民全員の虐殺)
5)1244年モンセギュールの陥落(アルビジョア十字軍:65年間・15県・100万の犠牲)
②教義―地上世界は悪と考える霊肉二元論 ●キリスト教的二元論グノーシスの流れ
1) 「初めにふたつの原理があった。善の原理と悪の原理である。永劫のうちにあって、前者には光明が、後者には暗黒が存した。光明にして霊的なるものすべては善の原理に由来し、物質的かつ暗黒なる一切は悪の原理に由来する」(カタリ派信仰告白冒頭部分)
2) 肉体は牢獄、この世は霊魂が贖罪を果たすための試練の場、肉体を脱ぎ去った天界こそが、霊魂本来の棲家であるとして、牢獄である肉体を蔑み、物質である現世を厭い、ひたすら堕落以前の霊魂に戻り天界に回帰することを願い、輪廻転生を信じ、一切の殺傷を禁じた。
3) イエスは神の被造物であり、その降誕化肉は仮現にすぎない。パンも葡萄酒も物質であり、物質である限り悪である以上、聖餐式を認めず、十字架・聖堂、一切の秘跡を否定した。また公開告白を行った。⇔カトリックにおける告解の義務化
4) 完徳者は無所有・結婚・性交・肉食・飲酒の忌避・[耐忍(エンドゥラ):死に至る絶食:13世紀以降]
5) 帰依者の誓い(リヨン典礼書)
1. 神と福音へ身を捧げる  
2. 油で調理された野菜・魚以外の肉や卵やチーズを食べないこと(生殖の結果である動物由来食の禁忌)
 3. 嘘言を吐かない
4. 誓約の拒否(都市誓約市民であることの拒否を意味する)
 5. 肉体の交渉に身をゆだねない
 6. いかなる形の死の脅しに対しても教団を棄てない
●「清貧と窮乏と断食の生活をするドミニコ会の成立⇒ドミニコ会・フランチェスコ会はカタリ派との緊張で創られた。⇒ヒルデガルトもカタリ派に対する防波堤の役割を担う(←クレルボーのベルナール)

Ⅱ 霊・魂・身体
●問題意識の所在
① 心と魂は同じだろうか。 ●心・魂・命の在り処
② 霊・魂・体はどのような関係にあるのか。
 ③ スピリチュアル・ケアとはなにか。

A) 心と魂
① アリストテレス『霊魂論』を巡って
1) Peri Psyches: De anima:「霊魂論」/「心理学」/「心とはなにか」(桑子敏雄)
●「プシュケー(ラテン語でアニマ)は、一般に近世ヨーロッパでは心、ないし魂と理解されてきた。ギリシャ語におけるプシュケーとはもともと、人が死ぬ際にその口から最後の息とともに飛び去る人の形をした透明な霊魂であり、ハデスに去ってそこに彷徨う実体であった。しかしその後、このプシュケーについての思想が深まるにつれて、それは気息よりも命であると解されてきた。しかしプシュケーが生命であるとすれば、それはまた人間の最も人間らしい生命としての精神的生の主体たる「霊魂」ということになり、そして他の生物の場合のプシュケーとはただの生命である、ということになるであろう。したがってギリシャ語でempsychon(魂を中に持つ)ということばは「生物」という意味である。このように、プシュケーは本来、「生命」または生命を司る主体「生魂」と訳されるべきである。それゆえアリストテレスの「Peri Psyches」は、正しく古典ギリシャ語的に読むならば『霊魂について』よりも『生魂について』、もしくは『生命について』といわねばるまい。」●今道友信『アリストテレス』265P
:人間と他の動物を区別するためのホイベルスの助言
② 旧約聖書
「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6-5)
・You shall love the LORD your God with all your heart, and with all your soul, and with all your might.
・Diliges Dominum Deum tuum ex toto corde tuo et ex tota anima tua et ex tota fortitudine tua.
③ 新約聖書(以下はヨハネ福音書のみ記述)
(1) エルサレム入城後、自らの処刑を予言される場面
「今、わたしは心騒ぐ。」(何と言おうか。「父よ、わたしをこの時から救ってください」と言おうか。しかしわたしはまさにこの時のためにきたのだ。)(ヨハネの福音書12-27)
・Now my soul is troubled.
・Nunc anima mea turbata est.
(2) ユダの裏切りを予言する場面
「(イエスは話し終えると)、心を騒がせ、断言された。」(ヨハネ13-21)
・After saying this Jesus was troubled in spirit.
・Cum haec dixisset Jesus, turbatus est spiritu.
(3) ペテロの離反を予告した後の場面
「心を騒がせるな。」(神を信じなさい。そしてわたしを信じなさい。)(ヨハネ14-1)
・Do not let your hearts be troubled.
・Non turbetur cor vestrum.
(4) イエスの死の場面
頭を垂れて息を引き取られた。[霊を引き渡す](ヨハネ 19-30)
・he bowed his head and gave up his spirit.
・Et inclinato capite, tradidit spiritum.

■参考:霊と魂の一般的な区別
  ギリシャ語    ラテン語
霊 Pneuma spiritus   
  霊・風  風・匂い・息・霊
魂   Psyche   *animus (m)          **anima (f)
 生命・魂・精神 生命・魂・精神・意識 微風(風)・呼吸・魂・生命・精神
                 *人間的霊魂(理性的霊魂)  **動物的霊魂(動物的生魂)

B) 病因と治療における霊
①「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。」(『創世記』1-1)
②「創造の初め、神のみことばが響き渡った時、創造された世界はまだ冷たく、火というものはなかった。そして主の霊――それは火と命である――が水の表を覆っていた。この霊がそれぞれの被造物に対し、その本性に応じて命の息を吹き込まれた。この息吹により、霊は被造物の中に火を灯したのである。」(22 物質と被造物の生命力)
●霊は風に同じ。「混沌」:「整わず形を持たず」(⇒第2回 Ⅳ「天地の創造」参照)

C) 霊と魂の関係-命の成り立ち
●発生過程における霊と魂
① 受精と凝固
・ヒルデガルトは女性の種が存在するかどうかについては明確な態度をとらない。
「精液がしかるべきところに落ちると、母親の血は精液と結合し、やがて肉のように凝固して固まる。」
 conjungo:合一する⇒conjunx(妻・愛人・配偶):発生段階での男女両性の合意の主張
② 受精後1ヶ月まで
1)「この凝固したものはやがて人間の形象(form)へと形造られ、その中には糸のように髄と血管が張り巡らされる。この髄と血管は体中に分岐してやがて結節のようなものになる。卵の皮膜のようなものが髄を取り巻き、それはのちに骨の中に入ってゆく。まだ手足のない皮膜の中に裂け目が出来、そこが将来手足となる。これが1ヶ月、すなわち月が満ち欠けする間に起こる業である。」(61 魂の注入) 
    第4週の胚          
受精後4週

    第5週の胎児
受精後5週

③ 受精後5週間―魂の注入
1) 神のお望みになり、準備された通り、母親が知らないうちに生命の息がやってきて、力強く温かい風のようにその形象に触れる。その息は四肢のすべての関節に入り込み、息が突き当ると四肢の分岐した部分は、太陽の光を受けて花が枝葉をつけてゆくように互いに独立してゆく。しかしこの形象はまだ動くことが出来ず、横たわったままで眠っているように、かすかに呼吸しているに過ぎない。」(⇒グノーシスのアダム創造:立てないアダム)
2)「霊は形象全体を経巡り、髄と血管を再び満たして強める。形象は以前よりずっと生長し、骨は髄を覆って広がり、血管は強められて血を保つ。そして胎児は一瞬にして揺り動かされるようにして動くようになるが、母親もその動きを感じる。それは全能の神の意志を通して、生ける風――すなわち魂が形姿(figura)に入り、形象を強めたからである。魂はこの形姿を命あるものとし[活気付け]、形姿の至るところを駆け抜ける。この形姿の中で魂は自分がどこで分岐しどこで曲がるべきかを知っている。」(⇒下図参照)
3) 「次に魂はその息で形姿全体を覆い、活ける空気のようにして血がすべての場所を流れるようにし、肉を引き締める。魂は肉の中に骨を造り、骨を固定する。魂は自分が働きかけるべきすべての場所を丹念に調べ上げる。」(同上)
)子どもの胎動と魂の苦悩(部分


④霊と魂
●魂とは神の霊が人間の中に入って命を形作って以降の霊的作用全体を指す。
⑤霊が5週目に吹き込まれ、命が命となるのはなぜか(⇒前回三木茂夫の項想起)
1) 胎児は4週から5週目に鰓呼吸から肺呼吸に劇的に変化する時期であり、流産のもっとも多い時期であることは第一回目に述べたが、ヒルデガルトは、この時期に霊が吹き込まれ、命の成立と一つのものとして魂が注入されるとしていることは、現在の発生学と不思議な一致をみせる。(⇒第1回「三木成夫」の項参照)
2) だがこの問題の背景には、神が魂を吹き込んだのはアダムにおいてのみ一回きりで、その後、魂は生殖によって伝承するのか、あるいは一人ひとりに魂は吹き込まれるのかという、アウグスティヌス以来、天地創造以降の被造物の自立運動に関わる長い論争がある。ヒルデガルトは一人ひとりの運命に神が関与する以上、魂もその都度、神が吹き込まれる―すなわち一々の命の成り立ちはすべて神の直接的な業であると見ている。
3) では4週までの胚は命ではないのか。このことには創世記の第一日目の「混沌」の風景が、ヒルデガルト受胎論のベースにあるように思われる。
「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
●ヒルデガルトにあって天地の創造とマリアの受胎、人間の受胎は一つのものである。(上右図参照)
4) そして「不正な」男女の関係の中には悪魔の息吹が混在することを示唆する。
●口絵:スキヴィアスⅠ-4のヴィジョン:「子供の胎動と魂の苦難」⇔プラトンの星と魂

D)『病因と治療』における「魂と身体」
①「火が水の本性であるように、魂は人間の中の特別な力なのである。人は魂なしに生きることはできない。」(130 魂の火)
①「人間の魂は天から、神から人間の中に下り、命を与え、理性を育む。」(21 魂の力)
②魂は火と風と湿の性質を持つ。それは人間の心臓全体を支配している。(43 人間の内部)
③魂は体に送り込まれるがゆえに、魂は息として存在する。(45 魂の注入)
④「体が魂と分離している場所は一つもない。魂はその熱をもって体全体を覆っている。人は四つの元素によって成り立っているのだが、そのうち火と空気は霊的であり、水と土とは肉体的である。これら四つの元素は人の中で結合し、人を温め、こうして肉や血、身体諸器官が形造くられる。」
●身体の各細部を構成する魂の働き―細胞の一片にも魂は宿る。
⑤「体が要求するどんな仕事も、魂は体の中で実行する。体が欲し、魂が働く。魂が体の欲求を実行するので、魂の方が体よりも力に満ちているといえる。もし人間が肉体をもっていなければ、魂はその力の源泉をもたないことになる。・・・この人間という作品は、魂ぬきにはありえないが、魂がなければ、体はその肉と血をもって動くこともないであろう。
●魂は体の各器官・組織の働きに作用している。
⑥「神は人間が全世界を見ることで知り、聞くことで理解し、嗅ぐことで区別し、(対象物の内的な力を口に入れて)味わうことで消費し、触れることで支配する(両手の業によって成就する)ように、人間に創造の武具を着せたのである。」(前回:『神の御業の書』)
●ヒルデガルトにとって「知る」とは全感覚を動員する魂の働きであり、現実的で対象的な被造物との交わりを通して対象物を自己の内に血肉化することである。「孕む」⇒第2回「贖われるアダム」の図想起 
⑧「魂は善に向かう息である。肉は罪に向かう傾向をもっているので、時には魂が肉を抑えることができず、罪を犯すことがある。」(84 魂と肉体の対比)
●魂が「善に向かう息である」とは、ヒルデガルトの信仰であると同時に経験であろう。

E) 脳・心臓・魂―通常、心と考えるもの
①「脳は本来湿っていて脂肪質であり、人の分別や知恵、理解力を司る質料といえる。」(91 脳)
②「魂は心臓に留まり、窓を通り抜けるようにして思考し、燃える火が煙突を通り抜けるようにして思考力を脳に送り出す」(95 「魂の居場所」)
③「脳は心臓で識別した思考を体に広げる。」(95 「魂の居場所」)
■参考:ギリシャにおける臓器と魂(⇒詳細次回)
1. 肝臓:栄養を司るプシュケー:植物的生魂(植物的生命)
2. 心臓:運動を司るプシュケー:動物的生魂(動物的生命)
3. 脳:理性的思考を司るプシュケー:理性的生魂(人間的生命)

F) 無意識と魂
「睡眠中は無感覚であって無意識に近く、体は脱力している。この時、その人には知性も思考力も感覚もない。目覚めている時も眠っている時も魂は留まっていて、その人を一つに統合しており(contineo:hold together⇒「(ある状態に)保つ」「あるものの本質を形づくる」「あるものの内容をなす」)、寝ている間も目覚めている時と同様に、魂は生ける息を吸ったり吐いたりしている。」(81 睡眠)
●魂は無意識下である睡眠中の呼吸や生命活動を統御し、寝返りなど無意識な体の動きや夢、ビジョンあるいはあくび、体の伸び、ため息などは魂の働き、あるいはその作用である。

G) 魂と復活
①「魂は肉体なしに生きることはできるが、肉体は魂なしに生きることはできない。最後の審判の日ののち、魂はおのれの衣を求め、魂の望みに応じてその衣を定める。このようにして、人間は、魂と肉体という二つの本性において存在している。・・・魂は肉体なしで生きていて、最後の審判の日の後、神に身にまとう衣を求め、その衣を自分に引き寄せる。」(以上「61 魂の注入」)
②「人間たちは魂も身体もその無傷な肢体において、すなわち身体と性の完全な状態において、ただ一瞬のうちに復活するであろう。」(『スキヴィアス』Ⅱ12)
●魂と体の関係は、神の意志と宇宙―物質の顕現と同じである。
③「普段は愚かで無知であった人が、病気に罹ると知性的になった場合、その人の魂は、別の命のために知力と道筋を準備をしているということになる。」(223 再び死の兆候について)⇒「転生」を指すか?
*以上がヒルデガルトによる魂の注入から離脱・復活までの魂をめぐる全景である。

H) 付言―動物の霊
①魚類
「神はある特定の魚に、その本性に応じて知恵を与えた。そのためこれらの魚は他に餌がないときでも食することのできる植物や根を水中に識別できる。いったんこれらの力や性質を理解するか経験すると、魚は4か月から半年は餌を必要としない。(『自然学』212P)
「鯨は高度の精神を持ち、さまざまな方法で体を動かす。」(213P)
②鳥類
「鳥は羽を使って空中のいたるところにとどまることができるように、鳥の魂は知るべきことを感知し、理解する力を持っている」。」(234P)
「ハゲワシは鳥だけでなく獣独特の能力をもっており、鳥の中の予言者である。」(239P)
「ペリカンは人の悲しみや幸せを感知し、その意味を理解している。人が幸せな時には歌い、悲しい時には悲しみを表す。人の死を予見すると小さく鳴いてそれを知らせる」(254P)
③動物
「動物は神の思いの地上における現れである。・・・森の中の他の動物は、有益であれ無益であれ、神の御業の完遂させる秘められた可能性を表す。人間の理性は動物との対比で人を見るが、それは動物が人間に類似した性質をその内に持っているからである。」(270P)●人間=宇宙図の風を表す四方の動物を想起せよ。
「ライオンには人間と同じ側面がある。凶暴になると人を傷つけるが、その後悲嘆にくれる。」(272P)
「犬は生来、人間の仲間である。感覚によって人間を識別し、人間を深く理解して愛し、喜んでともに住み、人間に忠実である。この忠誠さゆえに悪魔は犬を忌み嫌う。犬は人が憎悪や憤怒、不誠実な心を抱いているとそれを察知し、吠える。たとえ飼い主が犬を愛していようとも、裏切りを企むとそれを見破り歯をむく。犬は人の企みを察知し、その意味を理解する。また犬には未来を予知する能力がある。喜ぶべき未来の時にはうれしげに尻尾を振り、悲しむべきことであれば悲しげな声で吠える。(288P)
④補足:植物
「植物はいずれ温か冷の性質をもつが、温の植物の熱は魂を、冷の植物の冷は肉体を表す。」
「人間は土から造られたが、土は人間各人にその性質や置かれている環境に見合う形で、その生命力を人間に与えた。人間にとって有用な薬草を通して、人間の精神のさまざまな力の領域を示し、その力を明らかにする。また毒草を通して邪悪で害のある振る舞いを明示する」18P) ●訳の問題
●ヒルデガルトが「人間は全被造物の要約体である」という時、これら全被造物のもつ魂の性質とその働きは人間の内に集約され蓄積されているということを意味する。内に孕みが故に外を孕む。(concipio)

■参考:イグナチオ・ロヨラ 『霊操』における「魂」
1)魂の中に起こる動きを霊動という。
2)魂の動きが神からのものか、「暗闇の力」(悪魔)からのものか、魂の目を光らせながら識別する⇒霊動としての荒びと疑悩
3)魂の三能力:記憶力・理性・意思⇒脳の活動としての魂の理解
 ●大勇猛心(grande animo):意志力
●ヒルデガルトは深い病の底で脳の活動に限られた三能力が無力だということを知ったのではないか。
4)「神がどのように被造物のうちに住んでおられるかを注意深く見る。存在を与えながら無生物のうちに住まい、生長作用を与えながら植物の中に住まい、感覚作用を与えながら動物のうちに住まい、思惟作用を与えながら人間のうちに住んでおられる。」(『霊操』209P)⇔人間としての記憶の奥にある生命史的記憶としての異言(第1回異言の項参照)
―異言は解き放たれた記憶である。

■まとめ
①日本人は「心」と呼ぶことを好むが、心と魂は同じではない。
②魂とは神の霊が人間の中に入って命を形作って以降の霊的作用全体を指す。
③体が魂と分離している場所は一つもない。魂の働きで命は形作られ、身体的諸器官は形成され、肉体的・精神的諸力能は発揮される。●生命のプログラムとしての魂の働き
④私とは私の魂のこと、すなわち肉体と精神、その肉体と精神に刻印された諸生命の階梯の記憶、そして生と死を貫き通す「個性」のことである。夢も預言も異言も無意識も、すべて私の魂の働きである私である。病むこと自身も私となる。
⑤告解が自我の表出であれば、魂はこの自我の奥にある真我を表出する。
この真我は記憶・理性・意思という大脳の奥底にある意識のみを遡ることではない。私とは「刻々を孕むもの」であり、意識と身体のすべてを統合するものが魂である。
⑥原罪とはこの統合からの逸脱を意味する。「アダムの贖い」の図は、知識を嗅ぐに止め、孕むことから逸れたという原罪の意味を示す。
ヒルデガルト原罪論―五感が十全に働くとは、魂が十全に働くという意味である。涙が天上の記憶であるように、魂は善に向かう本性をもつ。この魂の働きを妨げるのが罪である。
⑦カタリ派は身体としての「私」を拒絶し、霊魂のみが私の実体であるとした。近現代の「私」は、脳死判定に端的なように、私とは「私の意志・理性・記憶である」―すなわち「脳こそが私であり、肉体はその乗り物に過ぎない」というギリシャ的観念論に回帰したかに見える。脳が主人となった「私」の中で、心臓は思いを止め、肝臓は怒りと喜びを忘れ、身体は単なる肉体―物質へと化した。こうして「私」は、生命活動の総体であるべき身体性を喪失し、その実感の喪失を通して、魂の力動を感じ取る心身の感覚を失い、死を覆い隠すようにして魂は覆われてしまった。こうして脳において受容し反応できない世界は異界と化し、全被造物を刻々に孕む生の只中に永遠[神]へと連なる道を見失った。
18世紀にカントは嘆いた。「わたしは霊魂ということばの意味がわからない。」(カント『視霊者の夢』)これが私たちの姿ではないのだろうか。
●「祈る」ということ

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第2回ヒルデガルト連続セミナー

■ヒルデガルト―女性性の神学 (アウグスティヌスとの対比を通して)

Ⅰ 人間の創造
Ⅱ エヴァの創造と女性の位置
Ⅲ 原罪
Ⅳ 天地創造―懐胎する宇宙


■前回の問題意識から
①「告解とは自分の内面を詳査して語ることで自己を形成した。告解という仕組みは各個人に内面の観照を促すことで自己を点検・保守・管理させる自己統治の装置として機能した。
このようにしてヨーロッパ的な個人は生まれた・・・告解とは自分の行為(感情を含む)を絶対的な基準に則って図ることを意味する。罪が絶対的な尺度となる社会、それがヨーロッパにおける個人である。教会は、その肉を支配する方法として、罪意識を、それも性的な罪意識を通して支配した。・・・罪の中でも性的な関係は常に汚れ、穢れをもたらすものとして罪の筆頭にあった。」(安部謹也『ヨーロッパを見る視角』)●ミシェル・フーコー
②告解的自己表出としてのヨーロッパ的な個人の成立と、その普遍的鏡として向き合うべき神の、性への一面化による「痩せ細った神」⇒この根底には原罪の理解がある。

Ⅰ 人間の創造
A) 創世記―ヨーロッパ的精神の元型的風景-聖書という共通テキスト
①神は言われた。「我々に象り、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを(1)支配させよう。」
神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。(A)男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ、海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて(2)支配せよ。」・・・
神はお造りになったすべてをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。・・・
②主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形造り,その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形造った人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を、地に生え出でさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生え出でさせられた。
主なる神は人を連れてきて、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
主なる神は言われた。「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう。」・・・
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、(B)人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。・・・
③主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。「私たちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引きつけ、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、いっしょにいた男にも渡したので、彼も食べた。ふたりの目は開け、自分たちが裸であることを知り、ふたりはいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れています。わたしは裸ですから。」
 神は言われた。「おまえが裸であることを、だれが告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
 アダムは答えた。「あなたが、わたしとともにいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
 主なる神は女に向かって言われた。「なんということをしたのか。」
女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」・・・
 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を(3)支配する。」
 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土はいばらとあざみを生え出でさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は、塵に返る。」
・・・主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
(1) let them have dominion ...:praesit piscibus maris...
praesum:「先頭に立つ」「保護する」「管理する」「支配する」
(2) have dominion over the fish of the sea ...:dominamini piscibus maris ...
*dominor:「支配する」「主長である」
(3)he shall rule over you :et ipse dominabitur tui

B) アウスイティヌスの理解(354-430『創世記逐語的注解』⇒逐語的とは「文字通り」の意)
①「人間が神の像に従って造られたのは、人間が理性をもたない動物に優れている点においてであることを我々は理解できる。それは理性とか精神とか英知とか、あるいはその他のより適当な語があれば、その語で呼ばれるものである」(3-20-30)
②「人間の卓越性は人間がそれによって獣に優っている知性的精神を神が人間に与えて、神は人間を自分の姿に似せて造られたということにある」(6-12-21)
●アウグスティヌスは人間による他の被造物の「支配」ということについては、注解なしにそのまま肯定しているように思える。
●似姿とは何か?人間と他の動物との区別性は、理性や精神にあるのではなく、霊魂ではないのか。⇒霊長類:primates⇒テイヤール・ド・シャルダンの「複雑性」と「進化論」について

C) ヒルデガルトの理解―「人間は全被造物の要約体である。」
①「(宇宙の中心に立ち現れる人間とは)どこまでも世界の構造に依存せざるをえない他のすべての被造物よりも意義深い存在である。たしかに人間は体格において小さいが、魂が内包する諸力において強力な存在である。その頭を上に向け、足を堅い大地に下ろし、彼は高いものも低いものも動かすことができる。・・・彼はただ世界の網にかかっているのではない。彼は世界を網のように手の内にかかえ、これを動かす男のように立っている。自然のあらゆる力をもって神は人間を強固にされた。神は人間が全世界を見ることで知り、聞くことで理解し、嗅ぐことで区別し、味わうことで消費し、触れることで支配するように、人間に創造の武具を着せたのである。」(『神の御業の書』VISION2-15 左図参照)
②神はアダムにすべての被造物を与えられた。すると彼は男性的な力をもって被造物にまなざしを注ぎ、こうして被造物を識り、それを認識することができたのである。なぜなら、人間はおのれ自身が全被造物の体現であり、人の中には、終わることのない命の息吹が息づいているからである。(45 アダムの預言の賜物)
●「知る」ということ。scio:scientia 
③「この人間という存在は、己の内に天と地と他のすべての被造物をもつている。確かに人間は一つの形象にすぎないが、その内には万物が秘められている。」(『病因と治療』1)⇒ⅣD)参照
●ヒルデガルトの身体論において「胃」の占める位置
④元素は人間の性質をあまさず吸収し、人間は自分の内に元素を引き寄せる。人は常に元素とともにあり、また元素は人とともにある。人の血はそれに応じて満たされる。・・・人間の絶え間ない争いが繰り返し元素をかき乱す。そして元素は、その人間の業に応じて微風を発する。(18 元素)
●自己表出としての12世紀的個人ではなく、アダムが他の被造物の名をつけたように、自己の内なる被造物との呼応―宇宙的な受容体として「わたくし」はあるのではないか。

■参考 12世紀の同一の見解
①「大宇宙たる自然は調和した生ける自然で、この生ける自然の秩序を模範として、人間の魂は身体と結合され、大宇宙の調和が小宇宙たる人間に移される。」(ベルナルディス・シルヴェストリス『宇宙形状詩』)―ヒルデガルトに近似したマクロコスモスとミクロコシモス)
⇒プラトン『ティマイオス』
② 人間は万物の構成要素のすべてを一通り有しているという意味で、「全被造物は人間の中にあり」、したがって人間という自然(本性)は全世界を小規模に内包している「小宇宙」(ミクロコスモス)であ(る)。(9世紀エリウゲナ『ペリフュセオン』今義博の要約より)

Ⅱ エヴァの創造と女性の位置
■中世期は「神が我々にかたどり我々に似せて人を―男と女を創った」より「エヴァをアダムの肋骨から創った」という解釈を好むようになるとル・ゴフは『中世の身体』でいう。

A)アウグスティヌスの理解
● アウグスティヌスは創世記①と②―(A)と(B)を2重のテキストとはまったく思っておらず、上記テキストの違いを時間的な継起として理解する。
①「女性も人間として造られた限り、確かに自分の精神と理性的精神をもつものであり、これに関しては女性自身もまた神の像にしたがって造られたというべきである」(3-22-34)
②女性が子どもを産むためでなければ他のどんな目的のために男性の助っ人として造られたか私は知らないのである。」(9-5-9)(孤独をまぎらわすのなら、男同士のほうがよい)
③女性が夫に主人として服従しなければならなくなったのは女性の本性によるのではなく、女性の咎によるのである。だがもし女性が男性に服従しなければ本性はいっそう腐敗し咎はいっそう増すであろう。」(11-37-50)
*資料Ⅰ「同時代の思想」④コンシュのギヨーム参照

参考
パウロ:「男が女から出てきたのではなく、女が男から出てきたのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたからです。」(1コリント11-12)
「アダムは騙されませんでしたが、女は騙されて、罪を犯してしまいました」(テモテ2-14)
イエス:「天地創造の初めから、神は人を女と男にお造りになった。それゆえ人は父母から離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」(マルコ10-6)

B) ヒルデガルトの理解
①神はアダムを造られたのち、アダムを眠りに落とされた。アダムは眠りの中で、大いなる愛の感情を抱いた。すると神は、男の愛のために、一つの形姿をお創りになり、こうして女は、男の愛そのものとなった。女が形造られると、神はすぐさま、アダムに、男としての創造力をお与えになった。こうして、男の愛である女を通して、男は子どもをもうけることが可能となった。エヴァを見つめた時、アダムは完全な英知に満たされた。なぜならアダムはエヴァの中に、子を生む母の姿を見たからである。(アダムの創造とエヴァの形成)
●Ⅳ「天地創造」 D)「ヒルデガルトの理解」中、天地創造―宇宙の懐胎と同一の思想であること
②「女は男のために造られた。そして男は女のために造られた。女が男から造られたように、男も女から造られたのは、生殖の合意において、一方が他方から引き離されないようにするためである。というのは、ひとつの働きにおいて男と女は一つの行いを目指すからである」(SCIVIAS 1-2-12)
●一方は一方の欠落として造られたという理解の仕方もある。
③アダムは大地の生気を受けて男らしく、また元素の働きにより強健であった。アダムの髄から生まれたエヴァは、まだ土の質をもつ大地の重みに押しつぶされることがなかったので、空気のように軽やかで鋭敏な頭脳をもち、快活な生活を送っていた。エヴァが一人の男から生まれたように、すべての人類はエヴァから生まれたのである。(46 エヴァの奸策)
④人類の最初の母は、天空の表象として位置づけられていた。天空の層は、その内部にすべての星を抱いている。それゆえ完全で穢れなきエヴァは、・・・自分の内に、人類というものを保持していた。(104 エヴァ)⇒ⅠC)①参照
⑤「女の血は精液と結合し、精液に形を与え、精液を温め、血のようにするのである。」(60 受胎) ●月経が不純であるとされる通説とはまったく逆な論調であること。
⇔「もっとも温かい女性といえども、もっとも冷たい男性より冷たいからである。」(資料Ⅰ「同時代の思想」④コンシュのギヨーム2)参照)

Ⅲ 原罪
A) アウグスティヌスの理解
1)善悪を知り分ける木
①「あの木は悪ではなく、善と悪を識別する知識の木と呼ばれた。」(8-6-12)
「すべてのものをはなはだ善なるものとして造られた方が、園になにか悪しきものを配置するはずはなく、悪は神の命令に対する人間の違反行為から由来したものである。」
②「思うに我々が悪をなさなければ悪は存在しなかったからである。実際、悪はいかなる本性的存在でもなく、善の欠損からその名前を受け取ったのである。」(8-14-31)
「人間は悪でない木に触れることを禁じられたので、その命令を守ることがそれ自体として人間にとって善であり、その命令に反することが悪ということになる。最大の悪は不服従以外にない。
・・・すなわち人間はもし禁止されていなければ、たとえ木に触れても罪を犯したことにならないが、人間が禁止されていたにもかかわらずその木に触れたから、人間は不義という責めを負うことになる。」(8-13-29)
「間違った神の真似、有害な自由という悪」(8-6-12)
●アウグスティヌスにおける「命令への従順」:命令の絶対性-神への従順は旧約信仰の枢要である⇒イサクを燔祭として捧げるアブラハム―神に対する畏れの試み

2) 原罪と性-あるいはアウグスティヌスの苦悩
①「彼らが神の命令を犯すやいなや彼らはすっかり剥ぎ取られ裸になって、自分の目を互いの身体に投げかけて彼らには知られていなかった情欲の動きを感じた。」「彼らの目が開いたというのはこの意味である」(11-31-41)
②「彼らの身体は病気や死という条件に冒されるようになった。この条件は獣の肉体にも内在し、このことによって彼らは獣と同じ衝動に支配されることになった。すなわちこの衝動は獣を性交へと駆りたてて、死んだものに後に生まれるものが続いて交代するというわけである。」(11-32-42)
●誰の罪でもない病や死をどう理解し受容してゆくのか。
③「人間の裏切りに直ちに現れた死こそが、人間が互いの視線で経験した情欲の原因であった。」(11-35-47)
●情欲の発生は死の恐怖から生まれる衝動であると、アウグスティヌスはいう。不服従[原罪]の結果生まれた個体的な死と、死の恐怖がただちに導き出だした情欲の関係が、アウグスティヌスにおいては逆転し、情欲が原罪の原因となる。
④たしかに「増えて増殖し、地を満たせ」と言われているが、それは男性と女性の肉体的結合によってしか生じえないように思われるが―このことはまた人間の身体が可死的であるもうひとつの証しとなっている―にもかかわらず不可死的な身体で生殖する別の方法があったかもしれないと主張することができる。たとえば子どもは堕落した肉体の欲求のまったくない誠実な両親の愛情だけから生まれるとする。この子どもたちは死すべき両親の後を継いで今度は自分自身が死ぬにいたるということはない。したがって地は不死なる人間によって満たされて、正しい聖なる人民が整えられると―そのような人民は復活の後であろうと我々は信じている―子どもの誕生ということも終わりに達するであろう。」(3-21-33)
⑤「最初の人間たちが罪を犯す前には魂が何の抵抗もなく、また快楽の熱い欲望もなくて、あたかも肢体をさまざまな仕事のために動かすように、子どもを造るために生殖器官に命令することができたのである、と信じることがどうしてできたないのであろうか」(9-11-18)

■まとめ
1)善悪の木の実⇒罪としての不服従⇒(直ちに現れた)死⇒生殖による命の継続=肉の罪
                ⇒(直ちに同時的な)情欲の惹起=肉の罪 
2)不服従という意思(精神)の背反が肉の罪に集約され、その罪の第一原因を女が負うという罪理解の男性的回路
*資料Ⅰ「同時代の思想」①ベルナルドゥス・シルヴェストリアス ②リールのアラン参照
●一神教では悪の出自を人間におくほかない。
●アウグスティヌスの原罪をめぐる苦悩は、われわれ日本人には滑稽であり無縁であろうか。
結婚し、子どもを設けた経験を持つアウグスティヌスは、その本心において、自分の個体的な死を越えるものとして、子どもという血脈の連続に「永遠性」をみたという痛切な事実がおそらくあったのだ。あるいは死すべき定めにある子どもをなぜ設けたのかという苦悩が。それを越えた永遠を求めようとする強い衝動が、血脈の根拠である性交、そして肉体そのものを悪とする思いへ遡及させたのではないか。(それは終末を知る宇宙の誕生についても同じである)
⇒なぜアダムは死を恐れるに至ったか?死の、なにを恐れるのか?

B) ヒルデガルトの理解
①優しい一陣の風とともに鋭い燃える炎によって、あの輝く火は男に輝く白い花を差し出した。その花は、一本の草の上に降りた露の滴のようにその炎の上にかかっていた。男はその香りを鼻で嗅いだが、口で味わうことも、両手で触れることもなかった。そのようにして彼は、自分から道を逸れ、自分で這い上がることの叶わぬ深い闇へと落ちて行った。というのも、人間は悪魔の甘言に唆されて神的な掟に背を向け、死の巨大な口へと落ちて行ったからである。なぜなら彼は、信仰においても業においても神を求めなかったからである。それゆえ自らの罪を負うものは、真の認識へと立ち戻ることができなったのである。
(SciviasⅡ1.8)
⇒(ヒルデガルト自身の解説)「この男は、知恵という知性の働きをもって、法の掟そのものを、あたかもなにかの香りを嗅ぐためにそれを鼻に引き寄せるように、自分へ引き寄せたからである。だが人間はそのものの好ましい内的な力を完全に口に入れることはなく、また祝福の充満のうちに両手の業でこれを成就することもなかった。」(同上)
●炎は三位のうち、特に父を意味し、草の上に降りた露は「生ける力」を意味する。花は三位の響きと離れずに咲いている。三位は響きである。
■「神は、人間が全世界を見ることで知り、聴くことで理解し、嗅ぐことで区別し、味わうことで消費し、触れることで支配するように、人間に創造の武具を着せたのであった。」(『神の御業の書』)
●「ヒルデガルトは禁断の実を食べる罪を、命令された花を摘まないことにおきかえる。アダムは犯すことの罪ではなく、言葉と聖霊の呼びかけを無視することを罪としている。」(190)
②(蛇の女への敵意)「悪魔は女の生殖能力に対して最初から憎しみを覚えているからこそ、悪魔は女が子供を産むことがないように女を迫害するのである。」(『生の功徳の書』98)
③「もしアダムがエヴァよりも先に罪を犯していたとしたら、原罪はあまりに重く救いようのないものとなり、人間はとてつもなく深く険しい絶望的な状態に陥り、救いを望むことも、救いを望む可能性すらもなかったであろう。だが最初に罪を犯したのはエヴァであったので――女は男より弱いがゆえに、罪からの救いのなさをよりたやすく無効にすることができたのである。」(47 なぜエヴァが先に堕落したのか) ●月経をめぐる記述:月経の度に思い知らされる原罪意識
●ヒルデデガルトは原罪を人間的本質からの逸脱(無視)と見ている。アウグスティヌスの原罪論が永遠性への希求であれば、ヒルデガルトは直下の普遍性―「自然的本性との一致」に永遠の命を見るという確信ではないか。これは深い病を経験したものの風景―核心でもある。この人間的・自然的本質からの逸脱が病とすれば、その本源的な恢復こそが救済であり、それがヒルデガルト医学の中心となる。
●バーバラ・ニューマンを戸惑わせるヒルデガルトの性-肉体的欲求に関する性科学者のような執拗な筆致は、実は原罪の根拠とされたものへの懐疑から発した追求心ではなかったか。

Ⅳ 天地の創造(宇宙論)
●創世記のポイント
①光 ②無から有[物質]の創造 ③一日の区切り ④水を分けて空を造った ⑤イヴの創造 等

A) 創造の6日間(ヘクサエメロン)

1:初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。
神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
2:「水の中に大空あれ、水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水をわけた。神は大空を天と呼んだ。
3:「天の下の水はひとつ所に集まれ。乾いたところが現れよ。」神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼んだ。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を地に生え出でさせよ。」
4:「天の大空に光るものがあって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光るものがあって、地を照らせ。」
5:「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
6:「地はそれぞれの生き物を生み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
「われわれにかたどり、われわれに似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、地の上で這う生き物をすべて支配せよ。」

B) アウグスティヌスの理解
① 天地の創造―「光あれ」の解釈
「第一日目に造られたのが霊的な光であるのなら、夜がその後に続くために、どうして沈むことがあるのだろうか。我々が見ることの出来ないような光の性質は、いったいなんだろう。太陽の光のようにあるのではないが、あたかも太陽に非常に密に結び合って区別できないような仲間であろうか」(1-10-22)
「その光は地からはるかに高い領域を照らしているので地上からは見られず、昼が太陽によって世界の低い部分でも現れるように太陽が造られねばならなかったのか。・・・かの発光体が夜の闇に場所を譲るために消えてしまったと信じるべきではない」(1-11-23)
「光はまさしく知的生命である」(1-10-18)

C) 同時代の思想
シャルトルのティエリ(『六日の業に関する論考』)
○ブルターニュ生まれ、生年不詳、1156年以降没。「プラトンの再来」と呼ばれ12世紀ヨーロッパ最高の哲学者と呼ばれる。プラトンの論じた宇宙魂はキリスト教における聖霊であるとした。
「星が創造されて、大空で運動を始めると、それらの運動から熱が増大し、生命を与えるほどの熱にいたって、初めに水の中に、すなわち土よりも上位の元素の中に留まった。そしてそこから水に棲む動物と鳥とが創造された。一方、湿気を媒介として、その生命の熱は当然地上のものにまで至り、それから陸に棲む動物が創造された。それらの数の中の一つとして、人間は神に「かたどり、神に似せて」造られた。」
●(火→空気→水→土→生命→人間)
生命を一種の熱エネルギーとして理解する、進化論を思わせる創造論
(1)神の創造の業は原初の質料[4元素]に限定される。自然の形成には火が工作者として働き、自然の展開の過程は完全に自律的で、自然学上の原理のみによって合理的に説明される。
(2)工作者として働きかけ、秩序づけるのは主の霊である。
(3)世界霊魂とはキリスト教における聖霊のことである。
(4)この世にある実体の原因は作出因である神(父)、形相因である神の知恵(子)、目的因である神の慈愛(聖霊)、質料因の4元素である。この4元素を天地と呼ぶ。
●アリストテレス四原因説の援用:シャルトル学派には理性と霊性との間で振幅する躊躇がある。
●「12世紀のプラトン的イデア論は、主としてシャルトル学派に代表される。『ティマイオス』の宇宙論は、シャルトルのティエリ『六日間の業』にある天地創造の記述にも現れるが、こういう説は、アリストテレスの自然学の勝利を目の当たりにして時とともに姿を消した。」(ハスキンス『12世紀ルネッサンス』283~284P)

D) ヒルデガルトの理解
①宇宙卵(スキヴィアス第一部第三の幻視)
「第三の幻視では万物が重層構造をもつ卵のような形で示される。最も外側の燃え盛る炎からなる層は、万物を貫きつつ自らの内に包含する全能の神を表す。この層の内側にあり、すべてを照らす太陽はキリストの象徴である。」(ⅠC)③に同じ:スキヴィアス1-3)
●ローターのごとき宇宙卵のイメージ:コンシュのギヨーム『宇宙の哲学』でも宇宙は卵にたとえられる⇒ル・メートルのビッグバン理論
②「世界が創造される以前から神は居られ、そして今も居られる。神に始まりはない。神はかつてもそして今も、光であり、輝きであり続ける。神は命であった。神が世界を創造しようという意思を抱いたそのとき、神は世界を無から創造した。世界を造る素材は、神の意思の中にあった。」(『病因と治療』1世界の創造)
③「最初に神が、光あれ、とおっしゃって光が現れたとき、創造の手段と母体(materia)は愛だったからである。」(86 書簡30)
④「車輪が外輪以外をもたなければ空虚であったに違いない。・・・父性とはすなわち車輪の充満を意味する。神性はその内にある。そこからすべては生まれ出ずる。」(『病因と治療』1・2)
⇒円周は神の父性、その中心は神の母性である。
●ヒルデガルトにおけるmateria(物質・源・原因)=mater(母・源)=matrix(子宮・源)=母性のイメージである。
⑤バーバラ・ニューマン「創造主という父性的イメージが神の超越を強調する傾向にあるのに対して、ヒルデガルトのサピエンティアは、母性的創造主[クレアトリックス(CREATRIX)]として、高みから被造物に命令を下したり、生成途上の世界を万能の手でこねあげる不動の支配者ではなく、宇宙に内在することによって内側から宇宙を創造し、軽やかな循環的な運動のイメージで現れる」(『ヒルデガルト・フォン・ビンゲン』88P要約)
●「物質の創出・宇宙の創造それ自体が神の現れ(THEOPHANIA)であり、女性的なるものの目的は、この世に神を現すことにある」(同上181)
―父性である神の言葉を孕み、物質化して宇宙を産み出すものとしての神の母性[子宮]
宇宙は神の現れである。

■まとめにかえて
①「世界霊魂」という概念を必要としなくなるまでに、自然学的説明に徹底してゆく。自然の内発的な展開を神はその創造の時点において自然そのものに組み込むというかたちで、「世界霊魂」という中間的・媒介的概念を不要なものとした。(『宇宙の哲学』神崎繁による解説より)
②のちの近代的合理主義と近代科学の胎動期である12世紀は、物質-自然-肉体を自然学的で自律的な運動によって説明することを通して、霊からの離脱―神からの離陸を開始する時期もあった。霊性と理性をめぐる世紀内振幅としての12世紀は、おずおずと身体性を回復してゆく代償として、「ヤコブの階段」を自らはずし始めた時代でもある。
③この時代にあってヒルデガルトは辛うじて、霊と肉体の全体性に踏みとどまつ独自の体系をもった人であろう。

■補追
遠藤周作が、「母の宗教」「父の宗教」というエーリッヒ・フロムの概念を用いながら、自分のキリスト教の根底にある「罰し、怒る神」としての「父の宗教」に対する違和感を、『沈黙』の主題として説明している。(「異邦人の苦悩」)
「おそらくイエスもこの母なる川のない土地に生まれた宗教に育ちながら、母なる川のないことに苦しまれたに違いないと、私は思うのである」(同上 153P)
「母なるもののイメージを自然のなにかに結びつけるのは汎神論のひとつのあらわれであるが、同時に東洋人の宗教心理の特徴であるように私には思われる」(「ガンジス河とユダの荒野」165P)
「東洋人の宗教心理には「母」なるものを求める傾向があって、「父なるもの」だけの宗教にはとても従いていけないというのが私の持論である」「旧約聖書的な父の宗教との隔たりをいつも感ぜざるを得なかった」(168P)という述懐は、遠藤のキリスト教理解を端的に物語っている。
この日本的・東洋的精神点の深部に向けて、ヒルデガルト「女性性の神学」を紹介することの意義は、今なお大きいのではないか。
●エリザベート・ゴスマン:「ヒルデガルトの、アジア的ともいえる自然理解」

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資料

Ⅰ 同時代の思想(シャルトル学派)
①ベルナルディス・シルヴェストリス(1100-1160頃)
「大宇宙たる自然は調和した生ける自然で、この生ける自然の秩序を模範として、人間の魂は身体と結合され、大宇宙の調和が小宇宙たる人間に移される。従って人間の自然も秩序ある有機体として健全であり、生殖器官は世代が持続し混沌に戻ることのないよう、死と闘う武器、種を持続するものである」(『宇宙形状詩』)―ヒルデガルトに近似したマクロコスモスとミクロコシモス)
②リールのアラン(1125-1203)
「人間の性本能は人類の維持のための力であり、原罪の結果ではなく、秩序を乱さない限り悪ではない」(『自然の嘆き』この項「12世紀のおける自然」柏木英彦)
③アンドレ・ル・シャプラン(生没年不詳)
「純粋な愛と肉の愛は異なる感情のように見えるだろうが、よく見れば、純粋な愛はその本質において身体の愛に似ており、同じ感情から生じたものと考えることができる。このふたつの愛の本質は同じものだが、それぞれ愛し方が異なるのである」
④コンシュのギヨーム(1090-1152頃)(『宇宙の哲学』⇒『ドラグマティコン』)
1)「だが諸元素が均等な仕方で寄り集まった部分から人間の身体は造られ、これが聖書に「神は土の泥から人間を造った」(創2-7)と言われているのが意味していることである。というのも、魂は霊であり、軽く清らかなものであるから、不浄なものから造られるとは考えてはならず、むしろ神から与えられたものと考えなければならない。そのことを、「神は土の泥から人間を形づくり、その顔に生命の息吹を吹き込んだ」と聖書は述べている。こうして、さまざまな黒胆汁質の動物や無数の粘液質や胆汁質の動物が造られたなかで、人間(男)は唯一独自である。」
2)「だが、たとえ少々欠けるところがあるにしても、均等に近いなんらかの調和を保ったもの、つまり女性の身体が土の泥のようなものから造られたというのはありそうなことである以上、女性は男性のような調和を保っているかという点で、男性と完全に同じでも、完全に異なるものでもない。というのも、もっとも温かい女性といえども、もっとも冷たい男性より冷たいからである。」
「神は女性をアダムの肋骨から造った」(創2:21)と聖書に記されているのは、このことである。というのも、神が最初の男性の肋骨からとったということを文字通り信じるべきではない。」
3)(アダムとエヴァだけでなく)「男性も女性も複数造られることが可能であったし、依然として可能であるはずだと主張する者がいるかもしれない。われわれとしては、もし神の意思があれば、それは真実であると言おう。」(3巻13「生き物と人間の創造」)

■参考:プラトン『ティマイオス』 
「そして全体を構成してしまうと、それを星の数だけの魂に分割し、それぞれの魂をそれぞれの星に割り当て、ちょうど馬車にでも乗せるようにして乗せると、この万有の本来の相(すがた)を示して、彼らに運命として定められた掟を告げたのです。・・・そして、魂はそれぞれにとってしかるべき、それぞれの時間表示の機関(惑星)へと蒔かれ、生けるもののうちでも、敬神の念最も篤きもの(人間)に生まれなければならない。しかし人間の性には二通りあるが、その優れたほうのものは、のちにはまた「男」と呼ばれているであろうような種類のものである。」(58P)

Ⅱ サピエンティアーエクレシアをめぐって
A) 旧約聖書における知恵
●知恵[愛2013/04/13calitas・憐れみmisericordiae]は旧約の荒々しく人を裁き罰する父性としての神に対して、優しい母性を対置する。
①知恵の書
1)「あなたはことばによってすべてを造り、知恵によって人を形造られた」(知恵の書9-1)
●知恵との響き合いこそが、他の動物と区別された人間性の根拠であること。
⇒ここでは「知恵」は「理性」に同じである。
2)「知恵はどんな動きよりも軽やかで、純粋さゆえにすべてに染み込み、すべてを貫く。知恵は永遠の光の反映、神の働きを映す曇りない鏡、神の善の姿である」(知恵の書7-24~26)
●知恵は内在的で軽やかな運動性をもち、鏡のように従順性―受容性をもつ女性として描かれる。
3)「私は神の玉座のもっとも愛らしい連れ合いです。・・・私は王の結婚の臥所を守り、神の所有になるものはすべて私のものであります」(知恵の書9-4)
●旧約聖書における女性的ペルソナである<知恵>(ラテン語では女性名詞)は、非常に早くから男性のキリストと同一視されてきた。
「神の知恵であるキリスト」(1コリ1-24))
●「知恵は隠れた神を啓示する。知恵は創造の衣である。」
―サピエンティアとは創造主の愛の顕現(エピファニア)であり、神の花嫁―神の言葉を映し出す生ける鏡-泉である。

B) ヒルデガルトにおける「神の知恵と人の知恵」
①「かくして神の霊は、彼の被造物すべてに配られている生ける泉であり、被造物は神から生命を得て、神を通じて生命性を所有するのです、水に映る影のように。そしていかなるものも自分がどこからきているかをはっきりと見ることができません。おのおの、自分を動かしているものをただ感じるだけなのです」(『神の御業の書』Ⅲ 8.2)
●霊の動きとは本来自分が帰還するところへの感受性である。 
●知恵の姿は『スキヴィアス』第3巻で初めて現れる。
②「創造主は被造物をお造りになったとき、それを美しく飾られました。なぜなら創造主は被造物をおおいに愛しておられたからです。・・・私は創造主と被造物の互いの愛を、神がその内に男と女を結び合わせて子供たちを産ませる愛と誠実になぞらえます。・・・(被造物が創造主の愛に答えようとするのは)ちょうど女が夫を頼り、夫が求めるものをかなえ、夫を喜ばせようと努めるのと同じです」(『生の功徳の書』39)
③「おお、知恵の力よ、あなたは宇宙を包み込み、あなたの3つの翼で、ひとつの生ける軌道を描きながら、万物を抱きしめられた。ひとつの翼は空高く舞い上がり、一つの翼は大地の本質を蒸留し、3つ目の翼はいたるところに漂う」(セクエンティア8)
④「私(カリタス)はあらゆる生ける火花を点火した至高の火の力、私が息吹を与えたもので死んでいるものは一つとてない。・・・私は神の本質をなす火の命・・・そして空気のような翼により、目に見えない生命の力をもって万物を活気づける」(『神の御業の書』)⇒主語はカリタスだが知恵に同じ
●「ヒルデガルトがサピエンティアあるいはカリタスと呼ぶものは、聖書の知恵文学[箴言8章「知恵の勧め」・知恵の書7~8章・ベン・シラの知恵の書[集会の書]24章等に負っている。
―女性神秘家としては「雅歌」からの引用、影響がないことは特筆すべきである。」

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第1回 ヒルデガルト連続セミナー・レジュメ

■テーマ
Ⅰ ヒルデガルトの生涯
  ――異言・預言・ヴィジョンまたは「遠い記憶」
Ⅱ ヒルデガルトの時代
  ――12世紀ルネサンス/中世都市の成立と個人の誕生
Ⅲ 「罪意識」とヨーロッパ的個人
  ――「告解」の作用

●日本人がヒルデガルトを学ぶ際の困難性
① 12世紀ヨーロッパという時代性とヨーロッパ的個人の理解
  平安末期―保元・平治の乱 仁右衛門:38代目 約900年前
② キリスト教的基盤の共有 
復活信仰・終末論・原罪―罪意識(告解)
③ 霊魂の実在感―祈るということ
④ 異言・預言・ヴィジョンという特異な体験世界

●学ぶ方法-観想
「学習とは想起であり、そうであれば、われわれの魂は肉体のうちに縛り付けられる以前に、どこか他の場所に必ず存在していたはずだ。」
(Knowledge is recollection.) (プラトン『パイドン』)
 *ヒルデガルトは肉体と霊魂の関係を明快に述べる人である。

Ⅰ ヒルデガルトの生涯
A) 年譜
1) 1098年、ドイツ・ライン川中流域ベルマースハイムの地方貴族の家に10人兄弟の末っ子として生まれる(1099年終了の第一次十字軍の最後の時期)
2) 3歳で最初のヴィジョン(幻視)を見る 
3) 8歳でユッタのいるディジボーテンベルク修道院に入る。プサリテリウムと詩編、ラテン語の基礎を学ぶ。クラウゼという特殊世界
4)38歳のとき、ユッタの死に伴いディジボーテンベルク修道院長となる
5)42歳のとき、ひとつの大いなる輝きとともに轟きわたる天上の声に、見聞きしたすべてのことを書き表すように強く促される。クレルボーのベルナールと教皇エウゲニウス3世
『スキヴィアス』(Scivias)執筆開始
6)49歳のとき、第二次十字軍。
7)52歳のとき、20人の修道女とともにルーペルツベルクに移動。バルバロッサへの恭順表明。
8)53歳『自然学』(Physica)『病因と治療』(Causae et Curae)の執筆開始
9)57~60歳頃、長期の病床生活・病床をして説教旅行へ。以降4度の大説教旅行。
10)60歳のとき『生の功徳の書』(Liber vitae meritorum)執筆開始。
11)65歳で『神の御業の書』(Liber divinorum operum)執筆開始
12)66歳のとき、カタリ派論難。皇帝バルバロッラに警告状を送り、正当派教皇アレキサンデル三世の側に立つ
13) 67歳、アイビンゲンに平民用女子修道院の建設
14)70~73歳まで長期の病床
15)71歳のとき、皇帝バルバロッサへ神の審判が下るという強迫書簡送る。
16)80歳のとき、破門された貴族の埋葬により司教座より聖務禁止命令を受ける。
17)81歳のとき聖務禁止の解除勝ち取る。1179年9月17日死亡
●十字軍と異端審問の時代、教権は腐敗していた。

B) 著作その他の活動分野
1) 預言の書:神学・自然学の著述
神学:『道を知れ』『生の功徳の書』『神の御業の書』
2) 自然学・医学・薬学:『被造物の種々の本性に関する詳細な書』(Liber subtilitatum diversarum natuarum creaturarum)⇒写本の過程で2つの著作に分かれた
『単純医学[治療術]の書』(Liber simplicis medicinae):『自然学』(Physica)
『複合医学[治療術]の書』(Liber compositae medicinae):『病因と治療』(Causae et Curae)
5) 音楽家・劇作家(Ordo virtutum) 作詞作曲:77曲
6) 医学家・施術者:施薬院・療養所の性格を併せ持っていた修道院で、数多くの臨床経験をもつ。
 ●12世紀のレオナルド・ダ・ビンチ

C) ヒルデガルトという存在―病者であること
●無学であるという自覚
病状―「この世に生まれたその日以来、この女性は、網の中に巻き込まれているように、数々の苦痛に満ちた病とともに生きてきた。血管といわず、髄といわず、肉といわず、たえず苦痛に苛まれてきたのである。」(『神の御業』英語版265P)
「彼女はほんの幼いころから絶えず頻繁に全身が震えるような病に苦しみ、ほとんど歩くこともできなかった。彼女の命は高貴な死の彫刻のようであった」(『生涯』133P)
病の意味―「外なる人の力が減った分だけ、知恵と堅忍の霊を通して内なる力が増えて行った。彼女の肉体が衰弱する中、驚くべきかたちで、彼女の霊はより熱いものとなった」(『生涯』133P)
「理性を備えた魂の容器を通して、霊的な方法において神の神秘を目撃することを、神はヒルデガルトに望まれた。」(『神の御業』265P)
●病は魂の癒し手を育てる。

D) ヴィジョン・預言・異言 あるいは「遠い記憶」
――わたしたちは何が見え、何が見えていないのか
宇宙卵
図1 宇宙卵
宇宙=人間
図2 宇宙=人間 
operatione dei(1)
図3 世界の諸力   
hildegard(7).jpg
図4:「創造され、堕落し、購われるアダム」

①ヴィジョン
●「わたしが42歳と7か月の時、開いた天の一角からひとつの炎のように輝く光がやってきて、わたしの頭、心臓、胸の全体に降り注ぎました。それは炎のようでしたが、燃えるような熱ではなく、太陽の光線がものを温めるようでした。するとたちまち詩編や旧約・新約聖書などをいかに説明するかが与えられたのです。もっとも私はそのことばをどのように解釈すればいいかを知らず、音節の区切りも知らなければ、格や時制の知識もなかったのです。」(『生涯』130P)
●「骨や神経、血管がまだ未熟な幼いころから七十を超える今日に至るまで、わたしは魂の内にこのヴィジョンを見続けてきました。このヴィジョンの中においてわたしは神のみ心のままにその魂は天界の高さまで登り、空のいくつもの空気の層を越え、そしてさまざまな人々の中に、たとえ彼らがわたしから隔たった異なる地域や場所にいようとも、広がっていきました。わたしはこれらのものを、このようにして魂の内に見るのですが、それは変わりゆく雲や他の生き物を見るのと同じです。わたしはこれらを肉体の目で見たり、耳で聞いたりするのでもなく、また私の心にある考えによって知覚するのでもなく、いかなる五感の組み合わせによって感じるのでもありません。目は開いたまま、ただ魂の内でのみ見るのです。このようにしてヴィジョンを見ている間中、私は忘我のうちに意識を失ったことはなく、昼夜を問わず目覚めた状態でそれを見るのです。」(『生涯』150P)
●「このヴィジョンの中で、私はいかなる人間の指導もなしに、預言者、伝道者をはじめ、他の聖人の書や哲学者たちの書物を理解しました。ほとんど文字の知識がないにも関わらず、これらのいくつかを解説したのです。さらにネウマ譜や音楽に関する知識も持たずに、誰にも教わらずに神をたたえ、聖人を讃える曲を作曲し歌いました。これらのことがマインツの教会の関心を呼んで論議されたのち、誰もがこれは神からのものであり、かつて預言者がしばしば語った、神から預けられた言葉、すなわち預言であると言いました。」(同上172P)
●vision:apocalypsis:revelation  「黙示」でなく「啓示」(開示)
APOCALYPSIS BEATI IOANNIS APOSTOLI (THE REVELATION TO JOHN:ヨハネへの啓示) 
第一節書き出し:Apocalypsis Iesu Christi(イエス・キリストによる啓示)

②預言
●「彼女は霊の内に人々の人生や性質を予見し、人々の生涯の成果までも、さらには彼らの善行と徳による、それに続く彼らの魂の栄光と罰を見通した」(同上176P テオードリッヒ) 
⇒ヒルデガルトの解釈
「アダムが、最初の眠りから醒めた後に見た預言は、真実であった。なぜなら、彼はまだ罪を犯していなかったからである。しかしその後、預言には、誤りが含まれるようになった。こうして、土から造られ、元素によって目覚めたアダムは変化したが、アダムのあばら骨から造られたエヴァに変化はなかった。」(『病因と治療』45 アダムの眠り) *罪を犯す前のアダムは生け霊の力をもっていた。
●「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。するとあなたの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」(『使徒言行録2-17』『ヨエル書3-1』)

③異言
litterae_ignotae.gif

●「彼女が甘いメロディと美しいハーモニーに溢れた楽曲を生み、そればかりかこれまで見たこともない文字、耳にしたこともない言語で文章を書きおろしたことに驚かないことがあるだろうか。」
「十分な配慮をもって彼女が霊の内にみたものを、純粋な心をもって寸分たりとも意味を違えることなく話したことであり、霊の内に聞いたことばを聞いたとおりに書き取ったことである。彼女は協力者としてただ一人の男性に満足していた。彼は彼女の言葉を彼女が知らなかった文法法則―格・時制・性―に従って整えたが、あえてその意味や理解に何かを付け加えたり、取り除いたりしなかったのである」
「お前は教会人の慣用となっているラテン語を口にすることができないので、天から見せられたことをラテン語の技術をもつ編集者を用い、疎かにすることなく編集し、人間向けの適切な形で完成するようにしなさい」『生涯』164~165P テオードリッヒ)
●litterae ignotae:知られざる文字(23) lingua ignota:知られざることば(1011)   

聖書における異言
●「五旬祭の日がきて、一同が一つに集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌(linguae tamquam ignis)が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉(variis linguis)で話し出した。」(使徒言行録2-1)
「異言(lingua)を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにもわかりません。彼は神の霊によって神秘を語っているのです。しかし預言する者は人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。」(コリント前書14-2~4)
●lingua(tangue):舌、言葉   glossa: 説明を要する語彙、中舌
●口蓋音[カガ(シ)(爬虫類)⇒舌音[ラナタ](哺乳類初期以降)⇒唇音[マバパ](哺乳類)
●「祈りの会」⇒舌音[ラナタ] 「エロイ[エリ] エロイ[エリ] レマ サバクタニ」(詩編22)
宗族発生と個体発生(三木成夫)
三木成夫
図1:円口類の鰓の筋肉と同部の人間の変容

三木成夫(受胎32日)
図2:受胎32日目。上陸と降海の二者択一を迫られた古代魚類の時期。(『胎児の世界』37P・108P)

「図1は口から喉にかけての領域が魚の鰓腸に相当する部分であり、ここが内臓系を代表する腸管の前端露出部分である。」(46P)
●「憶とは、寒くも暑くもない、あるいは空腹でも、そういう過不足ない状態を象どるものといわれる。・・・あるいは「快」であるともいう。わたしたちの肉体は、この「真の快」―すなわち「憶」の状態をいわば骨の髄まで明記することになる。この「憶」の銘記は、まさに体の原形質にまで根を下ろした、それほどに根深いものであろう。」(三木成夫『胎児の世界』42~44P要約』
●霊が舌の形をしていることにはグロッサの意味がある⇒舌音に表される哺乳類前期の記憶
⇒この「憶」の記憶を舌が言い当てるのが「異言」である。異言は「快―心地よさ」でもある。
「わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう」(使徒言行録2.26 詩篇)
⇒唇が音を発するのではなく、魂が自分を言い当て、それが舌の動きによって音となるという逆の回路
⇒人間以前の「遠い記憶」:生命の記憶(⇒ハデスへ持っていける記憶)
⇒異言は人間が人間に話すことばではない。人間⇄神の言語である。(コリント)
●だがそれは異言だけの特質ではない。語源は記憶の遡行でもある。(Etymology:ヒルデガルトにおける用語)
⇒「引き渡されたときは、何をどう言おうと心配してはならない。そのときには言うべきことは教えられる。実は話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊である。」(マタイ10-19)
★病は人間という抑制を解き放ち、命の姿を露わにする。ヒルデガルトはその命の底から、命の言語である異言をもって預言を語る。

Ⅱ ヒルデガルトの時代
A) 12世紀ルネッサンスの風景

●「12世紀のルネサンスは一つの宮廷あるいは王朝の産物ではない。またイタリア・ルネサンスとも違って、一つの国で始まったのでもない。」(ハスキンス『十二世紀ルネサンス』)
⇒イタリア及びライン川とセーヌ川の間の地域(ニーダーフランケン地方)における都市の発達
・「12世紀は他に例を見ないほど、創造的で造形的な時代であった。普通ルネサンスに数えられる時代よりも、この1100年から1200年の方がはるかに多くの目覚めたもの、発展したものを示している。それは明るい調子やより生き生きした拍子に変わるメロディとも思われ、また雲の切れ目から輝きだす太陽とも思われる。」(ホイジンガ『文化史の課題』)
① 都市の成立(後述):都市の空気は自由にする。
②・トゥルバドゥール(Troubadour)・ミンネジンガー(Minnesänger:吟遊詩人)の登場
・教会の建設と教区の整備に伴う教会の鐘の音
恋愛、それは12世紀の発明である。(シャルル・セニョボス1854-1942)「微笑の12世紀」
第4回ラテラノ公会議:結婚の男女両性の合意による結婚の奨励((婚姻の氏族間取引の道具からキリスト教制度上の承認)
例:アベラールとイエロイーズの恋愛
 「純粋にあなたを求め、あなたの財貨など求めなかった。・・・妻という名称よりは愛人という名のほうがもっと甘美だったのです」(『愛の往復書簡』108P)
③大学の成立:都市の成立に伴う司教座聖堂付属学校の成立⇒シャルトル学派の自然学:自由7科の再建
「シャルトル学派は聖書の『創世記』の記述を科学によって明らかにしようとした・・・世界に創世の神話は数多くあるが、その神話を科学によって裏付けようとしていた民族はヨーロッパをおいてほかにはありません」(安部謹也『「世間」への旅』28P)
●ヘクサエメロン
●ルメートル「ビッグバン」理論::宇宙卵と創世記第一の日の記述
④ 知識人の誕生
⇒(十字軍を通した)アラビアの学術の西欧への移入が12世紀ルネッサンスの核心である。(ギリシャ語文献の95%がアラビア語からの翻訳といわれる)
⇒とりわけアリストテレスのもたらした劇的な影響
⇒理性に立脚する知識人の登場⇒近代へ
⑤ それは十字軍と異端審問―戦争と虐殺の時代でもある(資料参照):「十字軍はこの活気ある時代のもっとも重要な事件どころか、一つの相でしかない。」(ハスキンス10P)
 *ヒルデガルトはカタリ派に対する防波堤として位置づけられる側面がある。
  =ドミニコ会、フランシスコ会の成立理由

B) 中世都市の成立と個人の誕生
★わたしたちはなぜ異言を忘れ、預言能力を失ったのか。その淵源としての「都市」を見る。
★あと一つの問題意識は、近・現代文明の出発点ともいえる中世都市文明の成立の仕方にある。

①気候条件
中世の温暖期(AD800年~1300年)と小氷期(AD1400年~1900年)
温暖化による人口増加と人口増加による農業生産力の拡大

②中世農業革命
三圃式農業の発展と牛馬の繋駕法の改良(牛の前額くびき・馬の肩掛け索綱)による重量犂(8頭立て)の使用による耕地能力の発展(それまでは焼畑式・穀草式農法)
(9世紀の小麦収穫量は種の2倍程度だったのもが11世紀には8倍程度になる)
⇒農業生産力―食料生産力の増大(封建領主への貢納の物納地代から貨幣地代へ・農村部への貨幣経済の浸透)
⇒人口増加による農家の二・三男の離村(余剰労働力の産出)と放浪⇒遍歴商人・手工業者へ
(注:カタリ派には織職人(テクストーレス)が多い)

③商業ルネサンス―商業の発展
1)地中海の制海権の確保と外敵(マジャール[ハンガリー人]・ノルマン・サラセン)の侵入がなくなり、交易路が確保され、南北間交易が拡大する。
2) 遍歴商人(土地との関連が消えて自由民となってゆく)と市場の形成⇒輸送・戦禍に対する相互扶助⇒ハンザ(古ドイツ語:「団体」)の発生
4)ギルド:復讐・犠牲・宴飲会:都市における商人共同体(織物・小間物・食糧の3系列が主) 
●集団を単位とした贈与互酬社会から個人を単位とする貨幣経済へ⇒商人資本と高利貸資本は12・13世紀の西ヨーロッパでは社会的に不可欠な経済行為になっていた。
5) 商業資本・銀行資本の成立←埋蔵財産の停止による資本への還流(現世の贈与関係に神を介在させることによる教会財政への還流の要求がある)⇒金儲けは罪という意識の残存⇒のちの煉獄

④都市の成立
1) 都市の成立:マインツ・ケルンなどラインとセーヌに挟まれたニーダーフランケン地方
=ここはカール大帝(シャルルマーニュ)のカロリング朝の支配範囲
2) ハンザ・ギルドの形成―誓約共同体としてのコミューンの形成
●「宣誓共同体の存在という事実から一般的な都市の自由が発展した」(プラーニッツ『中世都市成立論』68P)
●「商人と手工業者が合体したときに都市自治の担い手である市民層が形成される」(鯖田豊之『ヨーロッ封建都市』95P) 
誓約兄弟団⇒宣誓共同体(コミューン運動)⇒市民の成立
1.宴飲会参加義務
2.死者供養義務
3.軍務義務
4.復讐義務
5.納税義務―自己の所有する食料の共同体への供出と共同体による自由な分配への委任
6.援助義務―貧窮団員への援助
3)都市の空気は自由にする 
●都市に移住後、1年と1日が過ぎれば正式に市民として認められる慣行が成立。旧領主の引きわたし請求は1年で失効する。
●出自の不明なものは、積極的に証明されない限り自由民として扱うこと。
1.人格的自由(他人に拘束されない自由:農奴)
2.土地所有の自由
3.結婚強制からの自由
4.移動の自由
5.都市内武装の禁止―平和の享受
6.アジール権がある
4)都市は平和域でもあり、都市内への武器の携行は禁止された。コミューンは自由・自治だけでなく、平和域の確保でもあった。 
*都市といっても数百人から千人未満の都市が多数である。都市の規定は人口ではなく、ギルドと自治。
5)コミューンは都市領主と対抗するために上級権力(国家など)に保護を求め、上級権力は都市領主を越えた支配の欲求・利害からそれを承認した。
★都市の成立によって個人が成立し、自然を客体的な自然として見る科学が発達してゆく。
 都市⇄個人⇄科学   ●アントワープの風景

Ⅲ 「罪意識」とヨーロッパ的個人―「告解」の作用
A)個人の成立と教権の反動―告解の作用―性と呪術

第4ラテラノ公会議(1213年:インノケンティウス3世)
・異端に対する宗教裁判所の設置
・神判の禁止
・14歳以上の信徒の年一回の告解の義務化
⇔それまでの公開告白・カタリ派の公開告白
告解室
●12世紀に胎動したヨーロッパ的な個人とは、いったいどのようなものであるかを考えるとき、ミシェル・フーコーの次の指摘は示唆的である。
①「想像してみなければならぬのは、十三世紀初頭に、すべてのキリスト教徒に対して、少なくとも一年に一回は跪いて、自分の犯した過ちのことごとくを、どの一つも落とすことなく、一つ一つ告解しなければならぬという命令が、どれほど途方もない要求に思えたかということである。」(ミシェル・フーコー『知への意志』79P)
②「少なくとも中世以来、西洋社会は告白というものを、そこから真理の産出が期待される主要な儀式の1つに組み入れていた。1,215年のラテラノ公会議による悔悛の秘蹟の規則化、それに続く告解の技術の発展、刑事裁判の手続きにおける告訴に重点を置く方式の交代、有罪性の試練(誓言・決闘・神明裁判)の消滅と訊問ならびに調書の方法の発展、・・・異端審問所の設置、これらすべては世俗的ならびに宗教的権力の次元において、告白に中心的な役割を与えることに貢献してきた。」
(同上76P)
③「個人としての人間は長いこと、他の人間達に保証を求め、また他者との絆を顕示することで(家族・忠誠・庇護などの関係がそれだが)、自己の存在を認識してきた。ところが、彼が自分自身について語ることができるか、あるいは語らざるをえない真実の内容によって、他人が彼を認識することになった。真実の告白は、権力による個人の形成という社会的手続きの核心に登場していったのである。・・・それ以来、われわれの社会は異常なほど告白を好む社会となった。・・・西洋世界における人間は告白の獣となった。・・・ところで、キリスト教の悔悛・告から今日に至るまで、性は告白の特権的な題材であった。」(同上76~79P要点)
●『モンタイヤー』(ジャック・クリニエ)とヒルデガルトの性科学
⇒贖罪規定書:俗信や魔術など迷信や性生活など民衆の日常生活の細部の罪を規定。(カロリング・ルネサンス以降、社会のキリスト教化の一環)
④阿部謹也の見解
「告解とは自分の内面を詳査して語ることで自己を形成した。告解という仕組みは各個人に内面の観照を促すことで自己を点検・保守・管理させる自己統治の装置として機能した。
このようにしてヨーロッパ的な個人は生まれた・・・告解とは自分の行為(感情を含む)を絶対的な基準に則って図ることを意味する。罪が絶対的な尺度となる社会、それがヨーロッパにおける個人である。教会は、その肉を支配する方法として、罪意識を、それも性的な罪意識を通して支配した。・・・罪の中でも性的な関係は常に汚れ、穢れをもたらすものとして罪の筆頭にあった。」(安部謹也『ヨーロッパを見る視角』108~110P・117P要旨)
(それに対し、日本の基準は「罪」ではなく「世間」である。)
⑤このとき告解は性の罪を中心とした「心理と倫理」(良心の糾明と悔い改め/裁き罰し赦す聴罪司祭)となる。⇒その底には性へ一面化した原罪論があり、司祭への隷属がある。
⇒罪の性への一面化の根源には原罪の解釈の仕方がある。
⇒図4「購われるアダム」⇒アウグスティヌス的・父権的原罪とヒルデガルトの原罪論には深い淵がある⇒(第2回)
⑥性への一面化だけでなく、神明裁判の否定―神の審判の廃棄―及び一木一草に精霊が宿るとする呪術と迷信をも重要な告解題材とした。⇒贈与世界とそこに精霊の根絶⇒ヒルデガルトの呪術的処方はなぜ罪―異端とならなかったのか。

告解と表出主体としてのヨーロッパ的個人―告解は自己を語る
①「そこから多分、文学における変容も由来する。かつては勇気や聖性の「試練」をめぐる英雄的な、あるいは神秘的な物語に集中していた、語り・聞くという快楽から、告白という形式そのものが手の届かぬものっとしてちらつかせる真実を、自己の深奥から、言葉の間に昇らせるという際限のない努力を使命とする一つの文学へと、人は移行したのである。そこからは、あのもう一つの哲学する方法というものも生まれてきた。真なるものへの根本的な関係を、単に自分自身において―何かしら忘れられない知、あるいは、ある種の生まれつき持つ痕跡の中に求めるのではなく、移ろいやすい数多の印象を通じて意識の根本的な確実性を解き放ってくれる、自己の検討というものの中に求めるのである。」(77~78P)
②文学は告白文学に変容し、音楽は自意識の表現となる。⇒心理学・精神分析へ
●イグナチオでの経験:聴罪司祭の霊的透視力⇒H②「彼女は霊の内に人々の人生や性質を予見し・・・」
★神から来て神に向かうのでなく,自己を語る。
★自己表出が「わたくし」なのか。受容者が「わたくし」なのか。

告解的自己表出と異言の相違
①告解は自己が自己を表出することである。告解を通して自己を見つめるという作業は、心―精神こそが私であるという観念を培ってしまったのだろう。
②自分が自分を見つめるという個人の成立とまったく一つのものとして、自然が客体的な自然として現れる。肉体も精神とは区別された客体的な肉体として現れるというこの時代の特性がある。
③異言は霊が自分を言い当てることであり、自分が言い当てるのではない。言い当てられた自己が自己となる。
④異言は肉体の言語―肉体性の言語であるが、その肉体を客体としたとき、言語は肉体性を喪失し、理性の一面的な領域―近代的な言語―近代的な知となった。すなわち肉体を含む全存在的な言語力を喪失した。異言の背後には広大な贈与世界と呪術、そして全被造物へと下降する生命的な世界がある。
⑤異言の忘却と言語の一面化は、客体化された肉体と、肉体から遊離した霊魂の分離に根差している。

結語に代えて
●都市は土から離れて成立した。自然から乖離すれば、人間は肉体性を喪失するということではないか。それが都市の成立とともに、この時代に起きた。そして「自立的」な自己が成立するとともに異言は、贈与世界とともに消えてゆく。肉体の霊からの離陸(「世間」からの離陸にとどまらない肉と霊の分離)
⇒ヒルデガルト幻視図3.4
●二つのこと―すなわち異言の忘却(表意言語の一面化)と原罪の性的一面化は、ともに肉体性の喪失を通した存在の全体性の喪失に根拠をもつのではないか。
ヒルデガルトは、アリストテレスではなく、プラトンの水脈を保ちながら、肉体と霊魂を持った存在の全体性を、かろうじて保持した最後の人ではなかったか。もしヒルデガルトの原罪論―神学が主流になっていれば、以降のキリスト教は違っていただろう。人間の内に、あるいはその背後に、延々連なる被造物と死者の世界をひきつれた者としてヒルデガルトの魂は、石牟礼道子や宮澤賢治の魂とともにあるのかもしれない。



資料

A 胎動する都市市民と教会権力の反動―12世紀キリスト教の変質

■公会議
1054:大シスマ(フィリオクエ論争)東西教会の分裂
1075:グレゴリウス改革(教皇権の世俗権に対する優位性の宣言と聖職者の綱紀粛正)
1077:カノッサの屈辱(神聖ローマ帝国ハインリッヒ4世の教皇グレゴリオ7世への忠誠の屈辱的表明)
   =教皇権の全盛期(教皇による皇帝・国王の任命権の掌握)と十字軍敗退による権威の失墜の開始
① 第1ラテラノ公会議(1123年 カリストゥス2世)
1) 聖職叙任権の教会への帰属(ヴォルムス協約)の司教団による承認
2) 聖職売買禁止の再確認(リヒャルデス独立へのヒルデガルトの反対)
3) 十字軍参加者に対する部分免責と従軍家族および財産保護の徹底
4) ローマ巡礼者への略奪の禁止
② 第2ラテラノ公会議(1139年 インノケンティウス2世)
1) アナクレトゥス2世支持司教・枢機卿の罷免
2) 聖職者と修道者の婚姻の無効
3) 聖職者の私有財産保持の否定を提唱した参事会員アルノルド・ダ・ブレシアの説教・著述の禁止・焚刑
○1159~1177
神聖ローマ帝国皇帝・赤髭王バルバロッサ=フリードリッヒ1世は教皇アレキサンデル3世に対する対抗教皇ヴクトル4世擁立。その後さらにパスカリス3世、カリスト3世を擁立。1177年に教皇アレキサンデル3世とフリードリッヒ1世との間で和解成立:いわゆる小シスマ:ヒルデガルトからの書簡)
③ 第3ラテラノ公会議(1179年 アレクサンドル3世)
1) カタリ派への破門宣告
2) カタリ派との戦いを十字軍として扱うこと(アルビジョア十字軍)
3) ワルドー派(リヨンの貧者)による「信徒による説教の許可申請」の拒絶
 *1173年 ピーター・ワルドーによる「清貧・信徒による説教・ラテン語聖書の翻訳
4) 同性愛を公式に断罪
④ 第4ラテラノ公会議(1213年 インノケンティウス3世)
ニケア公会議に匹敵する規模での公会議の開催
1) 異端と異端保護者への処罰
2) 異端に対する宗教裁判所の設置
3) 神判の禁止
4) ユダヤ人・イスラム教徒への差別的服装(山高帽・マントなど)の義務化
5) ローマ法王の首位権の確認
6) 聖変化の教義の宣言
7) 14歳以上の信徒の年一回の告解の義務化(告解室)
8) 結婚の男女両性の合意による結婚の奨励(婚姻の氏族間取引の道具からキリスト教制度上の承認)

■12世紀キリスト教―信仰の変化
1054年:大シスマ(フィリオクエ論争)
① フランスを中心とするマリア信仰の大衆化(各地のノートルダム寺院建設)
(⇒ 神の模性 ヒルデガルト神学の特異性 Ⅸ 後述)
② 聖心信仰―キリストの受肉:身体性の変化 (⇒Ⅷ 後述)
「みことばが人となる」(ヨハネ)⇒ミサにおけるキリストの体(⇒聖体論)
「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿(である)」(1コリ 3-16)
③煉獄の発明と代祷の始まり―地上の教会は死後の世界までもその支配下に置く。

■十字軍
第1回十字軍 1096~1099:イエルサレムの奪還
第2回十字軍 1147~1148:ベルナールの演説 敗退
第3回十字軍 1189~1192:敗退
第4回十字軍 1202~1204:コンスタンチノープル攻略・東ローマ帝国市民の虐殺
アルビジョア十字軍 1244 モンセギュール陥落
第8回十字軍 1270~1272 1291年に壊滅

B ラングドックを中心とするカタリ派の台頭
① マニ教からカタリ派へ
1) 小パウロ派:260年 サモサテのパウロ アルメニア
2) ボゴミール派:9世紀半ば ブルガリア・ユーゴスラビア 開祖ボゴミール
         15世紀後半トルコの侵入により壊滅
② カタリ派:「清浄なるもの」
1) 1017年オルレアンで最初のカタリ派発覚
2) カタリ派の拠点ツールーズはヴェネチア、ローマに次ぐヨーロッパ第3の都市であり、古代文明直系たる南フランス諸都市は、独立の感覚と自由を愛する心を古代から受け継いでいた。住民選出の市政執行官は領主たちともわたりあった。(⇒吟遊詩人トゥルバトゥールの自由精神:ラングドック・プロバンスなどカタリ派の地方と重なる)*織職人(テクストーレス)が多い。
③ アルビジョア十字軍は南仏を併合し、統一国家への過程での戦争でもある。(聖王ルイ)
④ 完徳者と帰依者(マニ教では聴聞者:アウグスティヌスは聴聞者)
⑤ 教義の大半はマニ教(3世紀ササン朝ペルシャ・イラン)の影響下にある
―地上世界は悪と考える霊肉二元論
「初めにふたつの原理があった。善の原理と悪の原理である。永劫のうちにあって、前者には光明が、後者には暗黒が存した。光明にして霊的なるものすべては善の原理に由来し、物質的かつ暗黒なる一切は悪の原理に由来する」(カタリ派信仰告白冒頭部分)
―カタリ派自身は自分たちをキリスト教徒と呼んだが、ル・ゴフはマニ教であり、したがってキリスト教異端とは呼べないという。だがカタリ派自身はマニを教祖とは見ていない。
⑥ 異端審問の始まり(ドミニコ会)
⑦ ベジェの大虐殺(3万―自称10万 カトリック教徒を含めた住民全員の虐殺)
「すべて殺せ、神は神のものを知り給う」(シトー会院長アルノー・アマルリック)
⑧ 1244年モンセギュールの陥落(45年間・15県・100万の犠牲)
⑨ 教義
1) 旧約聖書の排除―新約聖書のみに依拠(cf:シモーヌ・ヴェーユ ペナン神父への質問状)
2) イエスは神の被造物であり、その降誕化肉はただそう見えたにすぎない。(イエスの人性の否定。仮現説:グノーシス派に共通する)
3) 聖餐式の排除(パンも葡萄酒も物質であり、物質である限り悪である)
4) 十字架・聖堂を認めず、一切の秘跡の否定(⇒当時のカトリックの腐敗)
―洗礼式に替わる「救慰礼」の中心的動作としての「按手」が唯一の秘跡
5) 公開告白
6) 完徳者は無所有・結婚・性交・肉食・飲酒の忌避・[耐忍(エンドウラ):死に至る絶食:14世紀以降]
7) 帰依者の誓い(リヨン典礼書)
1. 神と福音へ身をささげる  
2. 油で調理された野菜・魚以外の肉や卵やチーズを食べないこと(生殖の結果である動物由来食の禁忌)
 3. 嘘言を吐かない、誓いをたてない
 4. 肉体の交渉に身をゆだねない
 5. いかなる形の死の脅しに対しても教団を棄てない
―この誓いののち、「主の祈り」を唱え、完徳者が按手し、頭に福音書を乗せる。
8) 輪廻転生
9) 一切の殺傷の禁止
⑩ 「清貧と窮乏と断食の生活をするドミニコ会の成立⇒のちのフランチェスコ会も同じくカタリ派への防波堤の役割を果たす。ドミニコ会・フランチェスコ会はカタリ派との緊張で創られた。
⇒ヒルデガルトはカタリ派の防波堤の役割を担う(←聖ベルナール)

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プロフィール

johanusuda

Author:johanusuda
臼田夜半
鴨川市在住
著作『病という神秘』(教友社)
  『ネロの木靴』(地湧社)
  『聖ヒルデガルトの病因と治療』(ポット出版)
制作『いのちの大切さ』
(文部科学省学習支援ソフト)

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