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ヒルデガルト研究会

12世紀ドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神学・医学・薬草学・音楽についての研究

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ヒルデガルトと同時代の思想

ヒルデガルトと同時代の思想

●問題意識の所在
ヒルデガルト『病因と治療』は12世紀の思想状況の中でどのような位置にあるのか。
――12世紀における身体性及び理性と霊性をめぐって――

Ⅰ 中世の身体(身体論的な側面からの前回の補足)
●12世紀カトリックの身体(論)はカタリ派と新たに登場する近代人との緊張の中にある。
A) 肉体を穢れとする思想
○ 中世とは、「まず第一に大いなる身体の放棄の時代」というものであった。
「現生に対する軽蔑―これは修道院的精神性のスローガンである―とは、まず身体に対する軽蔑である。」(ル・ゴフ「中世の身体」46P)
ⅰ) 中世期の身体観
① 「体は忌まわしい衣である」(大グレゴリウス 6~7世紀)
「妊娠は罪なしにはなされない」(サン・ヴィクトルのフーゴー 12世紀)
② 「教会は身体に対し、身ぶりの管理によって空間的規律を、禁止の暦によって時間的規律を課するのである。」
―多くの禁忌により「教例集」が多発される―個人告解との関連(⇒M.フーコー)
③ 苦行着の着用・鞭打ち・徹夜祈祷・床の上での睡眠・断食
⇒これらは12世紀以降、キリストの受難を想起するための慣習として信心会が主体となって俗人にも広がる:「快楽の拒絶」
ⅱ) 中世以前のキリスト教的身体観
① 「肉にしたがって生きるなら、あなたがたは死にます」(パウロ「ロマ書」)
―パウロにおける霊肉の分離
② オリゲネス(185-252頃)のようなキリスト教禁欲者たちの「肉体の軽蔑」
:「天の国のために結婚しないものもいる」⇒「天の国のために自ら去勢者になった者もいる」(バルバロ訳マタイ19-12)
③ アウグスティヌスの占める位置(後述⇒Ⅲ)
B) 従属的性としての女性(ヒルデガルトにおける女性性と神の母性の関連から)
①解消不能で男女両性の合意に基づく一夫一婦制という教会モデルの確立:1215年ラテラノ会議)
「夫は妻の身体の支配人であり、その占有権をもっている」
② 中世期は「神が我々にかたどり我々に似せて人を―男と女を創った」(創世記1-26)より「エヴァをアダムの肋骨から創った」(1-21)という解釈を好むようになる。(⇒ⅡAで検討を加える)
C) 恢復する肉体
① ほほ笑みは中世の発明である。
⇒笑いの復権:笑う聖人フランチェスコ(私の友たる体)
―笑いは体の下等な部分から生じる。笑いは口の穢れである。
②「涙の中に中世の謎のすべてがある。」(ミシュレ「中世の身体」104Pより)
●ほほ笑みも涙も身体の全面的な解放に至る過程での中間的な里程である。
③ 頭から心臓へ
12世紀:クレルボーのベルナール「イエスの柔らかなる心臓」:愛の感情の宿る器官
⇒この時期、キリストの傷口は右脇腹から、心臓のある左に移される⇒聖心信仰:「脳死判定」
④ ヒルデガルトにおける胃の特異な位置(③④は次回)
⑤一方における自由恋愛の推奨と愛の発見(「愛、この12世紀の発明品」)
「恋人が愛する女性からなにを得ようと、それが女性の自由意思によって与えられたものでなければ、何の意味もない」(アンドレ・ル・シャプラン『宮廷風恋愛論』)
1) アベラールとエロイーズの往復書簡
2)トロバトゥール/ミンネ/カルミナ・ブラーナなどの音曲のヨーロッパ的な普及
⑥ マリア信仰(クレルボーのベルナールに負うところが大きい)

● まとめにかえて 
①「中世のキリスト教的身体は、抑圧と賛美の間の、卑小化と神聖化との間の緊張、釣り合い、揺れ動きに、全身をくまなく貫かれている。」(ル・ゴフ「中世の身体」13P)
―肉体性を抑圧する教会と、噴出し始める肉体の自然性的叫びの交差する時代としての12世紀
② 忌むべき肉体への侮蔑を通した死の受容は、安易で不自然な方法である。

Ⅱ 創世記の理解―肉体(性)を悪とする聖書的根拠とそれをめぐる12世紀の自然学的な見解
① 光 ② 無から有[物質]の創造 ③ 一日の区切り ④ 水の中に空を造った
⑤ イヴの創造 などなど
● 人間の創造と原罪に関する創世記の3つの記載
①「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1-27)
②「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠ると、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして人から抜き取ったあばら骨から女を造り上げられた。」(2-21・22)
③「善悪の知識の木[善と悪を知り分ける木]からは、決して食べてはいけない。食べると必ず死んでしまう。」
中世期は「神が我々にかたどり我々に似せて人を―男と女を創った」より「エヴァをアダムの肋骨から創った」という解釈を好むようになる(ル・ゴフ『中世の身体』)というのは、正しいか?
―一何を罪と呼ぶか?―

A) アウグスティヌス(354-430『創世記逐語的注解』⇒逐語的とは「文字通り」の意)
① 創世記解釈の態度
1)「創世記のすべての叙述はなによりもまず比喩的意味ではなく、文字通りの意味で理解されなければならないということを、ずっと心に留めていた。」(8-2-5)
―『創世記についてマニ教反駁論』では比喩的解釈に頼ってしまった。
2)「自然的事物の大いなる秘密を文字通りに、すなわち歴史的固有性に従って把握されうることを『反駁』ではあえて説明しようとはしなかった。)(『告白』)
●アウグスティヌスにおける創世記の理性的理解(信仰と科学の緊張感をもっていること)
② アダムの創造
1)「人間が神の像に従って造られたのは、人間が理性をもたない動物に優れている点においてであることを我々は理解できる。それは理性とか精神とか英知とか、あるいはその他のより適当な語があれば、その語で呼ばれるものである」(3-20-30)
2)「人間の卓越性は人間がそれによって獣に優っている知性的精神を神が人間に与えて、神は人間を自分の姿に似せて造られたということにある」(6-12-21)
●似姿とは何か?人間と他の動物との区別性は、理性や精神にあるのではなく、霊ではないのか。⇒霊長類:primates⇒テイヤール・ド・シャルダンの「複雑性」と「進化論」について
③ エヴァの創造と女性の従属性
1)「それでは女性が男性の肋骨から造られたという事実は何を意味するのか。男性と女性とを結びつける絆が推奨されるために、そのようになされなければならなかったのだと、信じようではないか。」(9-13-23)
2)「女性も人間として造られた限り、確かに自分の精神と理性的精神をもつものであり、これに関しては女性自身もまた神の像にしたがって造られたというべきである」(3-22-34)
● アウグスティヌスは2重のテキストとはまったく思っていない。
● アウグスティヌスは上記テキストの違いを時間的な継起として理解する。
1.「神が創造したのは、われわれの日にちとは異なりただ一日であり、すべてのものはその日に同時に造られたこと」「被造物の運動とともに時間が始まったこと」
3) 女性が子どもを産むためでなければ他のどんな目的のために男性の助っ人として造られたか私は知らないのである。」(9-5-9)(孤独をまぎらわすのなら、男同士のほうがよい)
4)「女性が夫に主人として服従しなければならなくなったのは女性の本性によるのではなく、女性の咎によるのである。だがもし女性が男性に服従しなければ本性はいっそう腐敗し咎はいっそう増すであろう。」(11-37-50)
⇒パウロ:「男が女から出てきたのではなく、女が男から出てきたのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたからです。」(1コリント11-12)
「アダムは騙されませんでしたが、女は騙されて、罪を犯してしまいました」(テモテ2-14)
⇒イエス:「天地創造の初めから、神は人を女と男にお造りになった。それゆえ人は父母から離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」(マルコ10-6)⇒ヒルデガルトの見解
④ 命の木と善悪を知り分ける木―原罪(マニ教⇒カタリ派との関連で)
1)「すべてのものをはなはだ善なるものとして造られた方が、園になにか悪しきものを配置するはずはなく、悪は神の命令に対する人間の違反行為から由来したものである。」「服従の善と不服従の悪との違いを学んだ」(8-6-12)「間違った神の真似、有害な自由という悪」(8-14-31)
2)「第一義的で最大の悪徳は彼が自分の力を、破滅に到る思い上がりへ向かって用いようとすることであり、その悪徳の名前が不服従といわれる」(8-6-12)
●不服従とは何に対する不服従か?自由意思(善悪の知識)と霊性
⑤ 原罪と性
1)「彼らが神の命令を犯すやいなや彼らはすっかり剥ぎ取られ裸になって、自分の目を互いの身体に投げかけて彼らには知られていなかった情欲の動きを感じた。」「彼らの目が開いたというのはこの意味である」(11-31-41)
「彼らの身体は病気や死という条件に冒されるようになった。この条件は獣の肉体にも内在し、このことによって彼らは獣と同じ衝動に支配されることになった。すなわちこの衝動は獣を性交へと駆りたてて、死んだものに後に生まれるものが続いて交代するというわけである。」(11-32-42)
2)「人間の裏切りに直ちに現れた死こそが人間が互いの視線で経験した情欲の原因であった。」(11-35-47)
3)「最初の人間たちが罪を犯す前には魂が何の抵抗もなく、また快楽の熱い欲望もなくて、あたかも肢体をさまざまな仕事のために動かすように、子どもを造るために生殖器官に命令することができたのである、と信じることがどうしてできたないのであろうか」(9-11-18)

●まとめ
1)善悪の木の実⇒罪としての不服従⇒(直ちに現れた)死⇒生殖による命の継続=肉の罪⇒(直ちに同時的な)情欲の惹起=肉の罪 
2)不服従という意思(精神)の背反が肉の罪に集約され、その罪の第一原因を女が負うという罪理解の男性的回路(⇒E)ヒルデガルトと対照)

■ヒルデガルトと同時代の思想家(シャルトル学派を中心として)
B)シャルトルのティエリ(『六日の業に関する論考』)
○ブルターニュ生まれ、生年不詳、1156年以降没。「プラトンの再来」と呼ばれ12世紀ヨーロッパ最高の哲学者と、同時代に認められていた。プラトンの論じた宇宙魂はキリスト教における聖霊であるとした。『ヘプタテウコン(7自由学芸の書)』など。ヒルデガルトと同時代。
①「星が創造されて、大空で運動を始めると、それらの運動から熱が増大し、生命を与えるほどの熱にいたって、初めに水の中に、すなわち土よりも上位の元素の中に留まった。そしてそこから水に棲む動物と鳥とが創造された。そして第五の周回の間隔が第五日と呼ばれたのである。
一方、湿気を媒介として、その生命の熱は当然地上のものにまで至り、それから陸に棲む動物が創造された。それらの数の中の一つとして、人間は神に「かたどり、神に似せて」造られた。」
(十四)
② 「星の運動と熱から水の中に動物の発生が始まった。ところが、水を媒介して、この動物の発生は陸にまで達した。そして物体的なものを創造するこうした方法以外に、天においてであれ地においてであれ、いかなる方法も他の残りのものにはありえなかった。」(十五)
⇒参考『ティマイオス』58P 
「そして全体を構成してしまうと、それを星の数だけの魂に分割し、それぞれの魂をそれぞれの星に割り当て、ちょうど馬車にでも乗せるようにして乗せると、この万有の本来の相(すがた)を示して、彼らに運命として定められた掟を告げたのです。・・・そして、魂はそれぞれにとってしかるべき、それぞれの時間表示の機関(惑星)へと蒔かれ、生けるもののうちでも、敬神の念最も篤きもの(人間)に生まれなければならない。しかし人間の性には二通りあるが、その優れたほうのものは、のちにはまた「男」と呼ばれているであろうような種類のものである。」
③ 火はいわば工作者であり、作出因である。これに対し、土はいわば質料因としての基体因である。一方、中間にある二元素[空気と水]はいわば道具、あるいは最上位[火]の働きが最下位[土]のものに向かって管理される、なにか補助統一的なものである。というのも、過度の火の軽さと法外な土の重さとを、この両者はその介在によって、適度に統合するからである。これらの力と、私が種子的原因と呼ぶ他の力とを、万有の創造主である神は諸元素に差し入れ、釣り合いの取れるように調整して、それら元素の力から時間の順序と温和な気候とが現れ、それらの力によって交互に継起する適当な時間の中で、物体的な被造物が産出されるようにしたのである。(十七)
●(1)神の創造の業は原初の質料[4元素]に限定される。自然の形成には火が工作者として働き、自然の展開の過程は完全に自律的で、自然学上の原理のみによって合理的に説明される。
(2)工作者として働きかけ、秩序づけるのは主の霊である。
(3)世界霊魂とはキリスト教における聖霊のことである。
(4)この世にある実体の原因は作出因である神(父)、形相因である神の知恵(子)、目的因である神の慈愛(聖霊)、質料因の4元素である。この4元素を天地と呼ぶ。

C) コンシュのギヨーム(『宇宙の哲学』⇒『ドラグマティコン』)
○1090-1152頃、ノルマンディー生まれ。シャルトルのベルナールの弟子。異端嫌疑をかけられ、教授職を失う。ノルマンディ公の保護により復権。天文学・気象学・地理学・医学などの広範な科学的知見を人文主義的な古典的教養を結ぶ着ける諸著作を著す。『プラトン・テイマイオス逐語訳注』など。『宇宙の哲学』『ドラグマティコン』の項目立て及びその順序はヒルデガルト『病因と治療』にきわめて類似している。ヒルデガルトと同時代。
① 「このように星を形作る物体は創造されたものであり、それらは火の本性をもっているので、それは自ら運動を始め、この運動によってその下にある空気を温める。だが、空気の媒介によって水が温められ、この温められた水からさまざまな種類の生き物が創造される。
② あるものにおいては火があり余る状態になり、ライオンのような胆汁質の動物が生まれ、土が優勢になれば、牛や驢馬のような黒胆汁質の動物が、水が優勢になれば、豚のような粘液質の動物が生まれる。」
③ 「だが諸元素が均等な仕方で寄り集まった部分から人間の身体は造られ、これが聖書に「神は土の泥から人間を造った」(創2-7)と言われているのが意味していることである。というのも、魂は霊であり、軽く清らかなものであるから、不浄なものから造られるとは考えてはならず、むしろ神から与えられたものと考えなければならない。そのことを、「神は土の泥から人間を形づくり、その顔に生命の息吹を吹き込んだ」と聖書は述べている。こうして、さまざまな黒胆汁質の動物や無数の粘液質や胆汁質の動物が造られたなかで、人間(男)は唯一独自である。」
④ 「だが、たとえ少々欠けるところがあるにしても、均等に近いなんらかの調和を保ったもの、つまり女性の身体が土の泥のようなものから造られたというのはありそうなことである以上、女性は男性のような調和を保っているかという点で、男性と完全に同じでも、完全に異なるものでもない。というのも、もっとも温かい女性といえども、もっとも冷たい男性より冷たいからである。」
「神は女性をアダムの肋骨から造った」(創2:21)と聖書に記されているのは、このことである。というのも、神が最初の男性の肋骨からとったということを文字通り信じるべきではない。」
⑤ (アダムとエヴァだけでなく)「男性も女性も複数造られることが可能であったし、依然として可能であるはずだと主張する者がいるかもしれない。われわれとしては、もし神の意思があれば、それは真実であると言おう。」(3巻13「生き物と人間の創造」)
⑥ (このような見方は神の権能を狭めるものだと反論するものに対して)「もし聖書においてそれらが造られたという事実が語られているものについて、われわれがそれがいかにして造られたかを説明しているのだとすれば、いったいどこでわれわれは聖書に反しているといえようか。」(3-44)
「われわれとして、それ[事物への本性の付与や身体の創造の理由]が見出されうる限り、万物のうちに根拠を求めるべきだと主張する。だが、もし聖書において諾われていることが理解しがたいものであるとき、聖霊と信仰に委ねるべきである。」(3-44)
●「世界霊魂」という概念を必要としなくなるまでに、自然学的説明に徹底してゆく。自然の内発的な展開を神はその創造の時点において自然そのものに組み込むというかたちで、「世界霊魂」という中間的・媒介的概念を不要なものとした。(『宇宙の哲学』神崎繁による解説より)

D) その他の思想家
① ベルナルディス・シルヴェストリス(1100-1160頃)
「大宇宙たる自然は調和した生ける自然で、この生ける自然の秩序を模範として、人間の魂は身体と結合され、大宇宙の調和が小宇宙たる人間に移される。従って人間の自然も秩序ある有機体として健全であり、生殖器官は世代が持続し混沌に戻ることのないよう、死と闘う武器、種を持続するものである」(『宇宙形状詩』)―ヒルデガルトに近似したマクロコスモスとミクロコシモス)
② リールのアラン(1125-1203)
「人間の性本能は人類の維持のための力であり、原罪の結果ではなく、秩序を乱さない限り悪ではない」(『自然の嘆き』この項「12世紀のおける自然」柏木英彦)
③ アンドレ・ル・シャプラン
生没年不詳。学僧で『宮廷風恋愛』(1185?)はトルバトゥールのテーマを理論化しようとしたもの。後に発禁。
「純粋な愛と肉の愛は異なる感情のように見えるだろうが、よく見れば、純粋な愛はその本質において身体の愛に似ており、同じ感情から生じたものと考えることができる。このふたつの愛の本質は同じものだが、それぞれ愛し方が異なるのである」

●まとめにかえて
① のちの近代的合理主義と近代科学の胎動期である12世紀は、物質-自然-肉体を自然学的で自律的な運動によって説明することを通して、霊からの離脱―神からの離陸を開始する時期でもあったのではないか。:霊性と理性をめぐる世紀内振幅としての12世紀は、おずおずと身体性を回復してゆく代償として、「ヤコブの階段」を自らはずし始めた時代ではないか。⇒ホスティア
補足:「12世紀のプラトン的イデア論は、主としてシャルトル学派に代表される。『ティマイオス』の宇宙論は、シャルトルのティエリ『六日間の業』にある天地創造の記述にも現れるが、こういう説は、アリストテレスの自然学の勝利を目の当たりにして、時とともに姿を消した。」
(ハスキンス『12世紀ルネッサンス』283~284)

E) ヒルデガルト(1098-1179『病因と治療』)
①「女は男のために造られた。そして男は女のために造られた。女が男から造られたように、」男も女から造られたのは、生殖の合意に置いて、一方が他方から引き離されないようにするためである。というのは、ひとつの働きにおいて男と女は一つの行いを目指すからである」(SCIVIAS 1-2-12)
② 人類の最初の母は、天空の表象として位置づけられていた。天空の層は、その内部にすべての星を抱いている。それゆえ完全で穢れなきエヴァは、・・・自分の内に、人類というものを保持していた。だが今や、出産は大きな苦痛を伴う。(104 エヴァ)
③ 「もしアダムがエヴァよりも先に罪を犯していたとしたら、原罪はあまりに重く救いようのないものとなり、人間はとてつもなく深く険しい絶望的な状態に陥り、救いを望むことも、救いを望む可能性すらもなかったであろう。だが最初に罪を犯したのはエヴァであったので――女は男より弱いがゆえに、罪からの救いのなさをよりたやすく無効にすることができたのである。」(47 なぜエヴァが先に堕落したのか)
④ (蛇の女への敵意)「悪魔は女の生殖能力に対して最初から憎しみを覚えているからこそ、悪魔は女が子供を産むことがないように女を迫害するのである。」(『生の功徳の書』98)
⑤ 「アダムの罪によって、男の生殖器は有毒な泡に変化し、女の血は危険な浸出物へと変化した。」(60 受胎)
「清らかであった血は別のものとなり、その清らかさは精液という泡を放出するように変質したのである。」(33 アダムの堕落)
⑥ 「女は弱く優しいので精液は持たないが、わずかばかりの水っぽい泡を放出する。・・・男の愛によって女の血は奮い立ち、白というよりはむしろ血を含んで泡のようになった血を男の精液に送る。」「精液はしかるべき場所に落ちたのち、そこにあって冷たくなる。・・・有毒な泡のような状態である。だがやがてそれは血のようになる。」「女の血は精液と結合し、精液に形を与え、精液を温め、血のようにするのである。」(60 受胎)
●月経が不純であるとされる通説とはまったく逆な論調であること。
●アリストテレスとガレノスの精液説の違い⇒ヒルデガルトは女の種の存在については曖昧であるが「血が混じり合う」(68)⇒13世紀アルベルトゥス・マグヌスはアリストテレス説をとる。

●全体のまとめにかえて
① ヒルデガルトが異端として断罪されなかった理由は明瞭である。彼女はたとえばコンシュのギヨームやシルヴェストリスなどよりはずっと中庸であり、穏健であった。
参考:ヒルデガルトの音楽の位置は、正統的なグレゴリオとミンネ・トロバトゥールの中間に位置し、身体性―自然な感受性に満ちているが透明で天上的である。
② ヒルデガルトは少なくともアウグスティヌス[伝統的な教父神学]を基礎に、カタリ派との緊張の中にあって、女性としての肉体性と感受性を通した神学と観察・臨床に裏打ちされた自然学とを「したたかに」調和させようとしたのではないか。(見通し)

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ヒルデガルトの生きた時代と中世の身体

●問題意識の所在
1) 本来垂直的であるヒルデガルトの預言の言語的な解釈と表現にどこまで時代的な制約が侵入しているのか。(例:パウロとイエス)
⇒聖書を解釈してはいけない:時代の言葉に翻訳して理性で理解してはいけない。⇔異言
2) ヒルデガルトの翻訳作業を例にして:言語として対象化するということの困難さ
―無学であるということ。 ヤコブ・ベーメの場合 子どもと知識
⇒実はこの言語化の作業における格闘自身が、霊を覆う「知識」と、霊そのものの言葉の発出である知恵との格闘であること。―知恵を聞き取る知であることと、知の混入
:「無学」は「子供」と置き換えることができる
⇒学問を拒否するアッシジのフランチェスコの場合
3) 自分自身の人生について―意思的選択と御旨(摂理または理)
歴史とは人間相互の絡む時間的継起のように見えながら、実は神と人間との―したがって人間の神的本質性=霊性と自我との格闘の時間的展開に他ならないのではないか。

Ⅰ 12世紀ルネサンスの社会的条件
○一般的には476年(西ローマ帝国の滅亡)に始まり、1492年(アメリカ大陸発見・グラナダ奪還によるレコンキスタの終了)[または1453年東ローマ帝国の滅亡]に終わる
⇒ル・ゴフは15-16世紀イタリア・ルネサンスを含めて中世と呼ぶ。
① 9世紀以来の三圃農業―農業革命による農業生産力―食料生産力の増大(封建領主への貢納の金納化の進行・農村部への貨幣経済の浸透)
②商業の発達:11世紀から南北間交易の拡大に伴い、商人や職人などの新たな階級が形成されてゆく(商業・手工業)。貨幣取引・金銭貸借取引の活発化
1) 商人資本と高利貸資本は資本主義的生産様式に先行して久しい以前から見出され、12・13世紀の西ヨーロッパではすでに社会的に不可欠な経済行為になっていた。
―都市貴族、市民として封建社会の本質的構成要素となっている。
2) インノケンティウス3世教皇令による「徴利禁止」は経済的実情に合わない措置
3) 教皇庁は高利貸業者からの多額の献金でなりたっていた
4) ユダヤ教徒迫害により、ユダヤ人による貧民への貸し手不足を補うため、教会自身が窮民への利子貸付を行うようになる
5) 徴利禁止の矛盾を解消するために「公正利子」(公正報酬)概念を捻出
6) 煉獄の発明―13世紀にスコラ哲学により体系化
③ 都市の勃興―都市市民層の拡大―価値観の多様化
―商人や職人を中心とした都市が周囲の農村から区別された都市文化を形成してゆく。
④ 大学の成立
 ―都市の成立にともない、司教座聖堂付属学校の成立⇒シャルトル学派
⑤ 知識人の誕生(⇒Ⅶ シャルトル学派の登場)
―聖職者ではない知識階級の成立
⑥ 十字軍(特にレコンキスタ運動)
東に向かった十字軍は12世紀ルネッサンスの動力とはならず、西に向かったレコンキスタ
がアラビア文化を吸収してゆく(イベリア半島ではもともとイスラム教と共存していた)
―ギリシャ語文献の95%がアラビア語からの翻訳と言われている。
⑦ ビザンチン文化を通したギリシャ文化の影響
シチリア・北イタリアを通したビザンチン文化―ギリシャ文化の影響
⑧ 異端審問(個人の成立を基礎としたキリスト教信仰の多様化)

●まとめ―農業生産力の発達に伴う商業・手工業職人の階層的創出、都市の発達と十字軍によるアラブ文化(ギリシャ科学・哲学)の吸収を通した自然科学の発達と新たな知識階級の排出による人間主義の胎動、その一環としての異端。

Ⅱ 12世紀ルネッサンス
① ヨーロッパの巨大な転換期:アラビア文明に接し、そこからギリシャやアラビア進んだ学術・文化を取り入れる。
―西欧社会でいったん途切れていたギリシャ科学をアラビア語からの翻訳として流入
例:コンスタンチヌス・アフリカヌスによる上記文献のラテン語への翻訳
② ギリシャ・アラブの自然学の流入と自然観の変化
○アラビアの学術の西欧への移入が12世紀ルネッサンスの核心である。
③ 自由学芸 大学の発展:古典への回帰を通した理性に立脚する「近代人」の登場
(後述)   
④ 人間主義・個人主義の登場:「愛は12世紀の発明である。」 微笑の12世紀
1) 12世紀以来、結婚は男女双方の同意に委ねられていた。(同上139P)
例:アベラールとイエロイーズの恋愛
2) 告解の共同改心式から個人の告解へ(第4ラテラノ公会議)
⇔カタリ派の公開告白の慣行(「参進」)
⑤ 死の個人化
1) 12世紀は死の個人化し始めた時代―大理石像など墓石の変化
2) 11・2 「死者の日」の設定は1030年代
⑥ トルバトゥール・ドイツミンネ(吟遊詩人)の登場(ヒルデガルトの音楽への影響)

Ⅲ 12世紀のキリスト教―公会議を通して
1054:大シスマ(フィリオクエ論争)東西教会の分裂
1075:グレゴリウス改革(教皇権の世俗権に対する優位性の宣言と聖職者の綱紀粛正)
1077:カノッサの屈辱(神聖ローマ帝国ハインリッヒ4世の教皇グレゴリオ7世への忠誠の屈辱的表明)
   =教皇権の全盛期(教皇による皇帝・国王の任命権の掌握)と十字軍敗退による権威の失墜の開始
① 第一ラテラノ公会議(1123年 カリストゥス2世)
1) 聖職叙任権の教会への帰属(ヴォルムス協約)の司教団による承認
2) 聖職売買禁止の再確認(リヒャルデス独立へのヒルデガルトの反対)
3) 十字軍参加者に対する部分免責と従軍家族および財産保護の徹底
4) ローマ巡礼者への略奪の禁止
② 第2ラテラノ公会議(1139年 インノケンティウス2世)
1) アナクレトゥス2世支持司教・枢機卿の罷免
2) 聖職者と修道者の婚姻の無効
3) 聖職者の私有財産保持の否定を提唱した参事会員アルノルド・ダ・ブレシアの説教・著述の禁止・焚刑
○1159~1177
神聖ローマ帝国皇帝・赤髭王バルバロッサ=フリードリッヒ1世は教皇アレキサンデル3世に対する対抗教皇ヴクトル4世擁立。その後さらにパスカリス3世、カリスト3世を擁立。1177年に教皇アレキサンデル3世とフリードリッヒ1世との間で和解成立:いわゆる小シスマ:ヒルデガルトからの書簡)
③ 第3ラテラノ公会議(1179年 アレクサンドル3世)
1) カタリ派への破門宣告
2) カタリ派との戦いを十字軍として扱うこと(アルビジョア十字軍)
3) ワルドー派(リヨンの貧者)による「信徒による説教の許可申請」の拒絶
 *1173年 ピーター・ワルドーによる「清貧・信徒による説教・ラテン語聖書の翻訳
4) 同性愛を公式に断罪
④ 第4ラテラノ公会議(1213年 インノケンティウス3世)
ニケア公会議に匹敵する規模での公会議の開催
1) 異端と異端保護者への処罰
2) 異端に対する宗教裁判所の設置
3) ユダヤ人・イスラム教徒への差別的服装(山高帽・マントなど)の義務化
4) ローマ法王の首位権の確認
5) 聖変化の教義の宣言
6) 14歳以上の信徒の年一回の告解の義務化(告解室)
7) 結婚の男女両性の合意による結婚の奨励(婚姻の氏族間取引の道具からキリスト教制度上の承認)

Ⅳ 12世紀キリスト教―信仰の変化
1054年:大シスマ(フィリオクエ論争)
① フランスを中心とするマリア信仰の大衆化(各地のノートルダム寺院建設)
(⇒ 神の模性 ヒルデガルト神学の特異性 Ⅸ 後述)
② 聖心信仰―キリストの受肉:身体性の変化 (⇒Ⅷ 後述)
「みことばが人となる」(ヨハネ)⇒ミサにおけるキリストの体(⇒聖体論)
「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿(である)」(1コリ 3-16)
③ 煉獄の発明と代祷の始まり―地上の教会は死後の世界までもその支配下に置く。

Ⅴ 12世紀のキリスト教―十字軍
第1回十字軍 1096~1099:イエルサレムの奪還
第2回十字軍 1147~1148:ベルナールの演説 敗退
第3回十字軍 1189~1192:敗退
第4回十字軍 1202~1204:コンスタンチノープル攻略・東ローマ帝国市民の虐殺
アルビジョア十字軍 1244 モンセギュール陥落
第8回十字軍 1270~1272 1291年に壊滅

Ⅵ 12世紀のキリスト教―異端(カタリ派)
① マニ教からカタリ派へ
1) 小パウロ派:260年 サモサテのパウロ アルメニア
2) ボゴミール派:9世紀半ば ブルガリア・ユーゴスラビア 開祖ボゴミール
         15世紀後半トルコの侵入により壊滅
② カタリ派:「清浄なるもの」
1) 1017年オルレアンで最初のカタリ派発覚
2) カタリ派の拠点ツールーズはヴェネチア、ローマに次ぐヨーロッパ第3の都市であり、古代文明直系たる南フランス諸都市は、独立の感覚と自由を愛する心を古代から受け継いでいた。住民選出の市政執行官は領主たちともわたりあった。(⇒吟遊詩人トゥルバトゥールの自由精神:ラングドック・プロバンスなどカタリ派の地方と重なる)*織職人が多い。
③ アルビジョア十字軍は南仏を併合し、統一国家への過程での戦争でもある。(聖王ルイ)
④ 完徳者と帰依者(マニ教では聴聞者:アウグスティヌスは聴聞者)
⑤ 教義の大半はマニ教(3世紀ササン朝ペルシャ・イラン)の影響下にある
―地上世界は悪と考える霊肉二元論
「初めにふたつの原理があった。善の原理と悪の原理である。永劫のうちにあって、前者には光明が、後者には暗黒が存した。光明にして霊的なるものすべては善の原理に由来し、物質的かつ暗黒なる一切は悪の原理に由来する」(カタリ派信仰告白冒頭部分)
―カタリ派自身は自分たちをキリスト教徒と呼んだが、ル・ゴフはマニ教であり、したがってキリスト教異端とは呼べないという。だがカタリ派自身はマニを教祖とは見ていない。
⑥ 教義
1) 旧約聖書の排除―新約聖書のみに依拠(cf:シモーヌ・ヴェーユ ペナン神父への質問状)
2) イエスは神の被造物であり、その降誕化肉はただそう見えたにすぎない。(イエスの人性の否定。仮現説:グノーシス派に共通する)
3) 聖餐式の排除(パンも葡萄酒も物質であり、物質である限り悪である)
4) 十字架・聖堂を認めず、一切の秘跡の否定(⇒当時のカトリックの腐敗)
―洗礼式に替わる「救慰礼」の中心的動作としての「按手」が唯一の秘跡
5) 公開告白
6) 完徳者は無所有・結婚・性交・肉食・飲酒の忌避・[耐忍(エンドウラ):死に至る絶食:14世紀以降]
7) 帰依者の誓い(リヨン典礼書)
 1. 神と福音へ身をささげる  
 2. 油で調理された野菜・魚以外の肉や卵やチーズを食べないこと(生殖の結果である動物由来食の禁忌)
 3. 嘘言を吐かない、誓いをたてない
 4. 肉体の交渉に身をゆだねない
 5. いかなる形の死の脅しに対しても教団を棄てない
―この誓いののち、「主の祈り」を唱え、完徳者が按手し、頭に福音書を乗せる。
8) 輪廻転生
9) 一切の殺傷の禁止
⑦ 「清貧と窮乏と断食の生活をするドミニコ会の成立⇒のちのフランチェスコ会も同じくカタリ派への防波堤の役割を果たす。ドミニコ会・フランチェスコ会はカタリ派との緊張で創られた。
⇒ヒルデガルトはカタリ派の防波堤の役割を担う(←聖ベルナール)
⑧ 異端審問の始まり(ドミニコ会)
⑨ ベジェの大虐殺(3万―自称10万 カトリック教徒を含めた住民全員の虐殺)
「すべて殺せ、神は神のものを知り給う」(シトー会院長アルノー・アマルリック)
⑩ 1244年モンセギュールの陥落(45年間・15県・100万の犠牲)

Ⅶ 12世紀のキリスト教―シャルトル学派の登場
① 自由七科の再建
4科(数学的学問):幾何学・天文学・算術・音楽
  3科:文法・修辞学・弁証論(論理学)
専門課程:神学・医学・法学
1) 「特に4科は宇宙の合理的説明のために必要と考えられたが、信仰と自然の合理的探求は矛盾しないどころか、両者は統合されるべきだというシャルトル学派の信念」(伊東俊太郎「12世紀ルネッサンス」105P)
2) 「六日間の御業について」(シャルトルのティエリ:いわゆるヘクサメロン文書の一つ。プラトン「ティマイオス」を基にした「創世記」の自然学的解説の試みと考えられるが、アラビア自然学の影響も指摘され始めている。
―従来の象徴的な解釈を退け、「自然の理由のみに従って」世界の形成を説明しようとする。(⇒次回)
⇔「グノーシス派は悪の究極の原因たる物質世界創造の責任を神から取り去る。一言でいえばグノーシス派はギリシャの哲学者を記憶している、そして「悪」と神の業を切り離すキリスト教徒であった。彼らは古代哲学とキリスト教の乖離に抵抗したのであろう。彼らは旧約聖書を全部、または一部排斥した。」(フェルナン・ニール「異端カタリ派」19P)

●まとめ
1) 肉体を悪とするカタリ派との外的緊張感を孕み、都市の成立を基礎とした近代的市民の登場の萌芽の時代性の中で、ギリシャ自然学の目を通した自然―肉体の自然性-性の自然性を躊躇と逆行を繰り返しながら本格的なルネサンスに向けて復権させていく過程としての12世紀。
2) しかし創世記を自然学として捉え返すというティエリの問題意識に見られるように、神学的な緊張感から完全に解放された科学として成立し切れているわけではない、という点に私たちはむしろ積極的な意味を見出すことができるのではないか。
それは自然という客体が成立する根深い根拠を霊の目を通して見通すという、近代の忘れ去った目が依然としてあるという意味において、ここでは神学と自然学は分離できない。
3) 原罪―悪の起源―霊と肉の二元的な分離を巡る歴史
知識としての知恵を求める傲慢であったはずの「創世記」原罪は、中世においては肉体―性の罪へと変貌するが、善悪の対立を歴史の動因と見るカタリ派との緊張感を孕み、この肉体―性-女性性に対する自然学からのアプローチと神学との整合性・あるいはその矛盾がヒルデガルトの神学の時代的特徴となる。
(これはヒルデガルトについての見通しである:ヒルデガルトの神学的垂直的ヴィジョンと自然学の「時間性」)(⇒後述 Ⅷ 中世の身体) 
4) 私たちはなにを「原罪」―悪と呼ぶのか。悪はどこから生まれたのか。
●悪は信仰の中で逆転し、光を放つものとなる。そうなれば最早悪は悪ではない。
神性としての人間的本質に下る過程と死による「生の終焉」を含む一個の人生は、創世記に始まり、終末にいたる人間の歴史を予見する。
―私たちは日々、自己意思による選択ではなく、霊的な識別によって生きようとするが、これが歴史を見通す霊の目でもある。目は神との対話である祈りにある。「この子のようになりなさい」という簡潔な救い―人類史とは救済史であるというヒルデガルトの表出への
予感。
5) 祈りながら進むということについて

Ⅷ 中世の身体
① 史学の態度
アナール派:ル・ゴフ「歴史に身体を返すこと・身体に歴史を与えること」
日本:網野喜彦 阿部勤哉など
② 知識としての知恵を求める傲慢であったはずの「創世記」原罪は、中世においては性の罪へと変貌する。
③ 「肉にしたがって生きるなら、あなたがたは死にます」(パウロ「ロマ書」)
④ 「定められた時は迫っています。今からは、妻ある人はない人のようにすべきです」(1コリント):性を排斥する教義の一石(ル・ゴフ65P)
――知恵の木の実とは、人間的知恵(理性)による天上的知恵(霊性)―霊的感受性―神が自分の似姿としてその中心に据えた天上的感受性からの乖離を意味するのではないか。
「伝統的な解釈では、アダムとエヴァはリンゴの中に、神の知の一部を獲得することを可能にしてくれる糧を探していたとされている。リンゴをかじること、それは知ることではなく性交することだとして善良な民衆を納得させたのは、より容易なやりかたであり、イデオロギーと解釈の上での大変動はさいたく困難もなく行われた」(中世の身体68p)
8世紀、トマス・アクィナスは、女に自由と平等の道を返してやることはないものの、それでもアウグスティヌスが定めた道からいくぶんか遠ざかる。「魂は肉体の形相である」とするアリストテレスの思想を吸収したトマスは、創造に二つの水準を見るアウグイスティヌスの議論を拒み、反論する。魂と肉体、男と女は、同時に創造されたのである。男性的なものと女性的なものは、したがってどちらも神聖な魂の宿るところである」(中世の身体71P)
女の体は不完全であるとする考え方はアリストテレスにある(71P)
⑤ 教皇グレゴリウス「肉体は魂の忌まわしい衣」
⇒アウグスティヌス
⇒180~200 マルクス・アウレリウスの時代にすでに肉体を穢れとみなす
「キリスト教はなにも抑圧しなかった。それはすでのなされていたのである」(ポール・ヴェーヌ)
⑥ 従属的性としての女性
中世期(ヒルデガルトも)は「神が我々にかたどり我々に似せて人を―男と女を創った」(創世記1-26)より「エヴァをアダムの肋骨から創った」(1-21)という解釈を好むようになる。
⇒この解釈はアウグスティヌスによっている。
⑦ 涙の復権(中世の身体 99P)
「悲しむ人は幸いである。その人は慰められる」(マタイ)
●涙とは本来,霊の直接的な肉体的な反応であり、霊のことばであるという意味において、霊的なものは自然的・肉的である。
―1)ラザロの死の知らせに涙するイエス
 2)エルサレムを泣く
 3)ゲッセマネで血の涙を流す
涙の中に中世の謎のすべてがある。(ミシュレ 中世の身体104P)
涙には湧き上がる力がある(バルト)
中世の涙はただ精神的であるだけではない。涙によって、神が身体に降りてくる。(同上105P)
「涙とは授かるものである」(ロラン・バルト 同上)
⑧ 笑いの復権
「地上の笑いは天上の幸福の予兆であると考えるアルベルトゥス・マグヌスの跡を受け、トマス・アクイナスは笑いに肯定的な神学的位置を与える」(同上111P)
「笑いは人間特有のものである」(アリストテレス)
笑う聖人フランチェスコ
笑いは体の下等な部分から生じる。笑いは口の穢れである。
ほほ笑みは中世の発明である。(112P)
⑨ 最初の解剖は1340年ころ、モンペリエで医学教育目的で行われた。
⑩ 人間=宇宙(ミクロコスモス=マクロコスモス)という主題は12世紀の哲学において花開く。(ベルナルドゥス・スルウェストリス「宇宙について、あるいは大宇宙と小宇宙」同上240P)
―これはヒルデガルトも同じである。
⑪ 12世紀終わりには、神学者リールのアランは「体の中の太陽たる心臓」と称える。
12世紀:聖ベルナール「イエスの柔らかなる心臓」
⇒この時期、キリストの傷口は右脇腹から、心臓のある左に移される
⇒聖心信仰
⇒魂は肉体に先住するというプラトンの概念と、魂は肉体の形相であるというアリストテレス双方の理論が入り込んでいる
「それぞれの人間は、物質的で滅びるべき被造物である身体と、非物質的で不滅の被造物である魂によってなりたっている」
●ヒルデガルトはキリスト教的教父的男性的常識から自由な地点から―庶民的な目から肉体を眺めている

●ローマ時代:肝臓
 キリスト教初期:頭(「キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭です」(エフェソ)
⇒教皇権(頭)と皇帝権(心臓)の角逐のメタファー
⇒ヒルデガルトの時代、皇帝が教皇をすげ替えるということが起き、ヒルデガルトはそれを批判している。
 
Ⅸ 歴史的現象としてのヒルデガルトと女性性の神学
① 宇宙―したがって物質とは神の言葉の受肉であり、したがって宇宙は女性から出産される。
② 天地創造の原因(ティエリ⇒ヒルデガルトのクレアトリックスの関係)
 1.「作用因」(causa efficiens)としての神そのもの
 2.「形相因」(causa formalis) としての神の知恵
3.「目的因」(causa finalis)としての神の恩寵(「良しとした」)
 4.「質量因」(causa materialis)としての4元素

③「宇宙の天体構造は、世界霊魂(anima mundi)がいわば十字架刑に処せられたものであり、十字の交差する分点(黄道と赤道の交点)を白羊宮であるとした(プラトン『ティマイオス』(シモーヌ・ヴェーユ「神を待ち望む」231P)
⇒キリストが十字架につけられた瞬間、太陽は白羊宮にあった(同上)
④「古代の医者にとって、すべての病は体の病であった。・・・しかし中世の人間にとっては、キリスト教文明においてもイスラム教文明においても、身体に起こったことをその精神的意味から切り離すことはできなかった。魂と体の関係は緊密で錯綜したものとして理解されていたために、病は必然的に心身相関的な実態だったのである」(ミルコ・グルメク 159P)
「医者であるキリスト」(Christus medicus)―病人は排斥されたものでさると同時に選ばれた者である。(160P)
⑤「私の友なる体」(166P)
中世の人間はキリスト以外の医者に頼ることができる(167P)
●創造事業への人間の参画
時 神の摂理「ものごとがその目的へとあらかじめさし向けられている構想」(トマス・アクイナス「中世とは何か」192P)
歴史の展開 
予定説
●ヒルデガルトの諸著書は新たに流入した自然学と神学との統合を試みた軌跡である。
●ヒルデガルトにあって肉体性の復権は、母なる胎の創造的復権を経由しておこなわれる。
ここから男女両性にまつわる性の復権は、自然学的な客観性を経由して容易な一歩となる。

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ヒルデガルト序論―共苦する眼差し

①はじめに― 一枚の絵から―「宇宙=人間」
「人間は天地と一切の生きとし生けるもののすべてを自身のうちにもち、万物を自身のうちに保護し支えるただひとつの形姿」(『病因と治療』)なのである。

② ヒルデガルトという女性
1) 1098年、ドイツ・ライン川中流域ベルマースハイムの地方貴族の家に10人兄弟の末っ子として生まれ
2) 8歳でベネディクト会系女子修道院に入り、その生涯を修道女として過ごした。
幼時から81歳の死に至るまで、その生涯は、重い病の連続で時には数年間続く病臥を幾度となく経験した。
3) 3歳で最初のヴィジョン(幻視)を見る
42歳のとき、ひとつの大いなる輝きとともに轟きわたる天上の声に、見聞きしたすべてのことを書き表すように強く促される。
4) 預言書などの著作
第一の書『道を知れ』、『生の功徳の書』『神の御業の書』
⇒「預言書」「ヴィジョン」とは何か?
自然学・医学・薬学にも通じ、『自然学』(単純医学の書):百科事典
『病因と治療』(複合医学の書):総合的手引書
5) 音楽家・劇作家
6) 医学家・施術者:施薬院・療養所の性格を併せ持っていた修道院で、数多くの実践的な治療を施す。
●「病因と治療」

③ 時代背景1)
12世紀ルネサンス
2) 1147年:十字軍の第二次遠征
3) カタリ派(「清浄なるもの」南仏アルビ派)の異端審問の激しい時代:グノーシス主義(霊肉二元論)⇒マニ教(⇒ゾロアスター教)
4) シスマ:皇帝バルバロッサと教皇との関係

④ 思想的系譜または関連
1) 知恵の書を中心とする旧約―ヨハネ福音書・黙示録を中心とする新約
2) 教父神学 アウグスティヌスほか
3) アリストテレス以降のギリシャ思想―自然学
4) ガレノスを中心とするヒポクラテス以来のギリシャ医学とアラブ医学の影響の可能性

⑤ 治療例―ジグヴィツアという女性
A) 経過
1) すでに7年以上病んでいるジグヴィツァという「ごく若い高貴な一人の女性」がいる。
2)「正しい感覚と行動を奪われて、しばしば叫び、見苦しいやりかたで振舞った」。
3) 民衆を長い間不安に陥れた女をじかに見たり声を聞くようになるこの女の到着に始めはかなり動揺した。だが男の人の手を借りることもなく、この病人を修道女たちの住まいに連れて行った」
⇒「統合失調症」に近いものであろうか。当時は「悪魔憑き」と呼ばれた。

B) 祓魔式[抜魔式]
1) 1170年の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式の儀式が行なわれる。
2) 司祭が洗礼盤に湛えられた水を聖別し、水に息を吹き込む。
3) ジグヴィツアは恐れおののき、その細い足は地面を掘るほどに震え始め、口からは靄のようなものを吐き出す。
4)「サタンよ、この女の体という仮小屋から立ち去れ。」
5) 不純な霊は重いおりものとなってジグヴィツァの体外へと排泄される。

C) ジグヴィツアの病態とヒルデガルトの診立て
1)精神錯乱
「湿ったリボールが錯誤を生み出し、そのため彼は自分を引き裂き、邪悪で正気とはおもわれない言葉を発する。彼はまた邪悪でもあり、怒りやすく、脳は逆上しており、落ち着かず、めったに高齢まで達しない。」(「病因と治療」57 再び一時的精神錯乱について)
2) 怒りについて―悲しみと怒りの身体論
1. 「しばしば叫んだ」と描写されるこの叫びは、怒りを推測させる。
2. 悲しみはどのように怒りを生み出すか
「人の魂は自分や自分の体にとって都合の悪いものを感じ取ると心臓や血管そして肺を収縮させ、心臓のまわりに霧のようなものが立ち昇って、心臓を曇らせる。それで人は悲しくなる」
⇒「心臓を覆っていた悲しみの霧は、すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出し、この蒸気は胆汁をかき立て、この胆汁の苦みから怒りが生まれる。」(『病因と治療』悲しみと怒り)
「怒りが治まらないと、蒸気は黒色胆汁にまで達し、黒色胆汁をかき立てて黒い霧を外に送り出す。」
⇒「この霧は胆汁に達し、胆汁から非常に苦い蒸気が生み出される。やがてこの霧は蒸気とともに脳まで達して有害な体液をかき立て、まず最初に17)その人の頭を病気にする。ついで胃まで下りてゆき、胃の血管と胃の内部を襲い、その人をまるで錯乱状態のようにする。こうしてその人は知らぬ間に怒り出すのである。」(同上)

■4体液―体液説の一般的な説明 
体液病理学は古代ギリシャから18世紀にいたる。
「人間の体液は血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁からなり、その体液のバランスによって病気が引き起こされる」
1) 4元素(空気、水、火、土)
2) 4元性(冷、熱、乾、湿)
3) 4体液
1. 空気のように温かく湿った血液
2. 火のように温かく乾いている黄色胆汁
3. 水のように冷たく湿っている粘液
4. 土のように冷たく乾いている黒色胆汁

■固体病理学
●1) 古代ギリシャには固体病理学(臓器病理学)の学派があったがヒポクラテス(紀元前400年頃)コス派の体液説が優勢となる。
●体液説の主要な治療は瀉血や下剤によって悪い体液を排出することが中心。
●2) 古代ローマ時代、ガレノス(紀元130-200年)によって体液病理学は系統化される。
●3) 18世紀、モルガーニ(1682-1771)により4体液説が否定され固体病理学の基礎が固まり臓器病理学へと発展する。顕微鏡の発明。

■細胞病理学
●現代病理学の父といわれるウィルヒョウ(1821-1902年)によって細胞病理学(病気は細胞の質的・量的変化によって生じる)が誕生し、体液病理学の幕は閉じる。
●電子は粒子と波の両性格を持つ。
●身体論的には
東洋医学でいう五行「木・火・土・金・水」と4元素
「気・血・水」と4体液の相関性に戻って捉え返すことが、西洋医学と東洋医学の根底的な止揚にとって必要なのではないか。

●次にC)で見た見立てに対してどのような処方がなされるのか。

D) 薬の処方
a) 精神錯乱(狂気)への処方
1) 帽子の着用
 脳に冷えがあり、それにより頭がおかしくなった場合は、ローレルのベリー(液果)を粉末にし、それに小麦粉と水と混ぜこねたものを、頭を剃った上で頭部全体に塗る。頭の内部(脳)が温まるまで、こね粉を塗った上にフェルト帽をかぶって眠る。練り粉が乾いたらまた同じように造って頭に塗る。これを繰り返し行えば正気に戻る。
(166 狂気)
⇒これは冷えのある場合の処方。
2) フェンネルとコストマリー
 雑多な思念から知恵や理解力がなくなり、狂人になってしまった場合、フェンネルとその3倍量のコストマリーを茹で、この冷ましたゆで汁を頻繁に飲ませる。コストマリーの液汁は悪い体液を抑制し、正気に戻す。フェンネルの液汁は均衡のとれた幸福感をもたらす。この薬草に軟水を入れ加熱したものは、理解力を回復させる。(168 狂気)

●次に先に見た怒りに対しはどのような処方がとられるのか。
b) 怒りへの処方
1) 香りの療法
「怒りに駆られて具合が悪くなる人は、ローリエの漿果を熱い瓦の上で乾燥させ、それを粉末にしたものを用意する。セージとマジョラムも天日で乾燥させて粉末にし、それをローリエの漿果の粉末とともに小さな箱に入れる。心地よい芳香がするので、これを顔の近くに置くとよい。」(『病因と治療』怒り)
⇒香りの作用。「正しい感覚と行動を奪われた」ジグヴィツアの理性に、香りが働きかける。
2) 塗り薬                 
「この粉末の一部を少量の冷たいワインと混ぜ、額、こめかみ、胸を清めるとよい。ローリエの漿果は怒りによって乾の状態になった体液を湿らせ、マジョラムの熱は怒りに突き動かされた脳を鎮め、セージの乾いた熱は、怒りが打ち砕いた体液を凝集させる。これらが常温のワインがもつ本来の甘さと混じり合うと、怒りによって惑乱した額やこめかみ、胸の血管を落ち着かせる働きがある。」(同上)
⇒これは乾の体液状態の患者への処方。

3) 食事療法
■食事の基本
1. かゆ
「乾燥した食べ物は体液をさらに狂気の乾燥へと導くので避けたほうがよい。血液に程よい水分をもたらし、体液を適切なバランスに戻し、意識を狂気から逸らすには、良質であっさりした食べものを摂るのがよい。油ではなくバターかラードで作ったセモリナ(訳注:小麦の粗びき粉)のポリッジ(かゆ)を食べるのもよい。これは脳の虚ろを満たし、脳の冷えを温める。油は粘液を引きつけるので避けたほうがよい。」
2. スープ
さらにナツメグとカヤツリグサを粉にし、グラジオラスの根とオオバコをすり潰したものに塩を入れ、これに小麦粉と水を加えて薄いスープを作り、これを飲ませる。
3. ワイン
ワインは混乱した体液をさらに混乱させるので、飲まないほうがいい。蜂蜜は貧弱な体液をいっそうだめにするので、蜂蜜酒も飲まないほうがいい。ただの水は意識をいっそう愚鈍にするので飲むべきではない。フェンネルとコストマリーから造った醸造酒とビールは貧弱な体液と意識を抑えこみ、狂気の猛威を打ち倒すので飲んでもよい。」(168 狂気)
●ベネディクトのRegula(規則)の病者の食事に関する規則
病者には週3回は豚肉または羊肉・または鶏の肉

4) 瀉血療法
●これに瀉血が加わるのが一般的である。-性別・年齢・季節・瀉血量などの規定
 *乱切法
E) 全体性治療
1) まずジグヴィツァを収容した自分たちの修道院と、修道院を取り巻く周辺の地域共同体の住人全員に、聖母マリアの清めの日(2月2日)から復活祭前日の聖土曜日に至る少なくとも50日を越える期間、ジグヴィツァのために祈りと喜捨を奉げることを求め、そして実行される。
2) 修道院における共同生活
=建築思想:「オイコス(家:家政)」の概念 療養所はオテル・デュー(神の客たちの宿)
病室・看護所・薬局・医師の家・瀉血室・入浴場/食堂・書斎・図書館/薬草園・果樹園・菜園・養魚場
●教会と住居・病院と作業所や菜園などの生産施設を併せ持ったひとつの独立した町のような総合空間。
●身体としての建造物:共同体的身体 
1. 思考(頭)から排泄までの全身的身体機能をもつ
2. 祈りという精神性と労働という肉体性⇒「祈れ、そして働け」オーラ・エト・ラボラ」
1日7回の祈りと労働
3. 生の場であると同時に死の場でもある。(ソレムの予約された墓地)

3) 生活法にとって重要な6つの要素
1. 光と空気=環境(上記2参照) 
*音楽と香り⇒ヒルデガルトの音楽 香りと塗油
2. 飲み物と食べ物 特にぶどう酒の位置
3. 運動と安静
「運動そして安静」(モトゥス・エト・クイエス)
4. 適度の睡眠
5. 体液の排泄または保持
 水分の供給と入浴=体液と力の制御⇒入浴後の塗油

■特に性について
●女性性にまつわる精神的・社会的苦悩が身体化したもの
●ヒルデガルトにおける性の本質的な相補性の理解
「男と女はまったく互いのために創造されている」[男と女は一つの全体として互いに応えあう]「欠けることのない喜びを人間はけっして自分自身の内部だけから得ることはできない。人間はそれを他者からの贈り物として受け取らねばならない」(神の御業の書)
⇒ヒルデガルトにおける性の理解の自然性・寛容性とジグヴィツアの性的抑圧からの解放
(肉体を悪・穢れたものとするカタリ派への対応があった)
6. 感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る
⇒ジグヴィツアの場合は、ここが治療対象となっている。
 ――「言葉による治療」(ロゴテラピー)女の中の悪霊とのたえまない対話の継続
   *記憶の遡行
4) 病に対する総合力
こうして初めてジグヴィツァの精神に、悪と向き合えるだけの力が与えられる。力とは、共同体の祈りの集積とそれへの感謝、身体を包む住環境や孤独を癒す人間関係、体を養い力を与える食事や薬などの、その総体である。
●治療とはその総体であり、中心となるのは傷ついた魂の救済(と関係性の回復)である。

●「悪魔つきは肉体の病である」として掴まれて施される総合的な治療法は最終的には抜魔式という魂の救済の象徴的な場面で大団円を迎える。ではこのような一連の治療は、魂と身体をどのような関連の中でつかまれたものだろうか。

⑥ 魂と身体
1)「人間は原初から、つまり上部においても下部においても、外部においても内部においても、どの部分においても彼は肉体として存在している。そしてこれこそ人間の本質である。」
●肉体こそが人間存在の本質であるという明快な断定!これはパウロの霊肉論を含め、キリスト教思想の中では特異なものである。
(キリスト教的唯物論:ベーメ⇒テイヤール・ド・シャルダン)
2) 「樹木のうちなる樹液、それにあたるのが身体のうちなる魂であり、樹木がそのすがたを繰り広げるように、魂はその霊的な諸力を繰り広げます。魂は身体の内なる支えであり、担い手なのです。」(「道を知れ」)
●これは身体各器官に位階制のない流動的体液として理解される身体論によっている。
「ヒルデガルトは肉体の外なる魂の立場も、身体の内なるこの魂の場も知らない。魂は身体のどの部分にも生きている。ちょうど身体がまた魂によって生かされているように、身体と魂は相手なしには成り立たない関係である。」(シッペリゲス)
●肉体は細胞の一つ一つに至ってもなおそのうちに精神を宿すものであり、精神はその隅々まで肉体を負っているものである。

●ヒルデガルトにおける魂と身体との関係を見てきたが、身体―とくに各臓器についてどのように捉えられていたのか補足的に少しみておく。ここでは特に脳と心臓の理解に注目したい。

⑦ 身体論について
●まず各臓器と人間の精神的諸要素との関係について。
1)「知識は心臓に属し、感情は肝臓に、理性の回路は肺に属する。目は人の通路であり、鼻腔は人の知恵である。」
●脳はヒルデガルトにあっては必ずしも主要な身体的器官としてではなく、[狂気]の次の項目で、感情の作用する場としていわば病理的に扱われるに過ぎない。
「脳は良い体液と悪い体液の影響を受けるので、常に柔らかく湿っている。乾燥すると患う。脳は本来湿っていて脂肪質であり、人の意識や知恵、理解するための素材である。
脳はまた思考する力を持っている。煙突に口があるように脳には目、口、鼻という通路があり、この通路の出口が喜びや悲しみなどの感情を表す。」(病因と治療 91 脳)
「魂は心臓に位置し、窓を通り抜けるようにして思考し、燃える火が煙突を通り抜けるようにして思考力を脳に送り出す」「脳は思考を心臓で識別し、思考を体に広げる。」(同上 95 魂の居場所)
●心臓が中心で脳はその従位にある。
●胃についての特異な身体思想
2) 身体の根幹を占えめるのは脳や心臓ではなく、むしろ消化器である胃である。
●「人間は天地と一切の生きとし生けるものすべてを自身のうちにもつ」という「宇宙=人間で見た人間論が基本にある。諸物を人間の内に取り込む一つの重要な行為が「食べる」ということであり、それを司る胃は、その宇宙論的な身体論の中心的な臓器となる。

■脳死判定の身体論についての若干のコメント
●注:中世における脳と心臓の位階の転移(ル・ゴフ「中世の身体」)
1. 脳(頭)ローマ時代、脳は魂の座す場―体の統御機能を行使する器官:斬首・首狩は人格と力の切断を意味する。
2. 頭部の位置の上昇はキリスト教の体系の中で高められる。:キリストの体と頭であるキリスト
頭:教皇(教権) 心臓:君主(王権)⇒このメタファーは後に逆転したりする。
3. 12世紀終わりから15世紀にかけ、心臓のイデオロギーが花開く。
「体の中の太陽たる心臓」
⇒聖心信仰「イエスの柔らかなる心臓」(聖ベルナール)
⇒十字架上のキリストの傷口が右から左に移される。
●心臓か脳かの議論は、人間という存在の全体性の中で何を最重要と思っているかということを鋭く描き出す鏡であり、死生観を含んだその社会の身体論(生命論)の根本的な表白である。
「脳死」を法律化する社会とはどのような社会であるか?
●肉体は細胞の一つ一つに至ってもなおそのうちに精神を宿すものであり、精神はその隅々まで肉体を負っているものである。

●以上のような魂と身体との関係及び身体論を見てきたが、ではこのような身体ととって病とはなにか、を見てゆく。
●病とは忌むべきもの、避けて通りたいもの、できるだけ早く押さえ込み、直すもの、病とは敵なのだろうか。

⑧ 病とは何か
●ヒルデガルトにとって病の原因は、次のように考えられている。
1) 病の原因
1.原罪(アダム⇒黒色胆汁)⇒病とは根源的な状態の喪失を意味する。
●4体液の乱れ―わけても黒色胆汁の過剰として掴まれるHの体液論の根底には、アダムにおける「水晶のように輝いていた」原初的な生命-胆汁の均衡を保っていた身体の罪による崩壊と、それからの根源的快復の希望というキリスト教信仰の独自性がある。
2.病とは試みである⇒病とは人間的な本性に至る道筋である。
3.病は不節制による⇒肉体の自然的中庸からの逸脱
2) 病とは人間の自然的本性自体が、身体的・精神的自然からの逸脱を言い当てる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもある。
病とは「なされずにいる状態」「とりやめた状態」「欠如、あるいはズレの状態」の告知である。
●これらは論証されるべきものというよりは、ヒルデガルトが痛みの中で経験した信仰的真実というべきであろう。
3) 病者
「病者に対してはキリスト自身に対するように奉仕すべきである」(ベネヂクト「規則」)
「病者への介護は労働や個人的欲求や個人的願望よりも上位の、最上の地位を与えられ、神への奉仕よりも上位ですらあった。」(シッペルゲス「中世の医学」

⑨ 治癒することの意味
1) 「治癒する」とは、自然的本質の快復を通した存在の全体性とその関係性の快復を意味する。⇒それは必ずしも「旧に復する」とことを意味しない。
●世の終わりにおける快復への希望(⇒⑩参照)
2) 快癒に向かう治療は存在の全体に及ぶものである。こうして存在の総体に及ぶ治療において初めて「治療」(heilkunde)は、魂を含む存在の「救済」(heilskunde)となる。
●「治癒の歴史は同時に救済の歴史である」という時、この歴史すなわち時間性が人間の自然的本質の恢復する過程だとすれば、人類史はそれ自体として救済史であるという「希望」を意味する。
3) ヒポクラテスの箴言
「ことばが癒しえぬものは薬草が癒す。薬草が癒しえぬものはメスが癒す。メスが癒しえぬものは死が癒す。」
4)死という救いについて
 死からの自由と死という希望
⇒万物は滅びることができる(ヤコブ・ベーメ)

⑩ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)               
1) ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトはジグヴィツァと同じ症状に襲われる。
2) 癒す者(ホモ・コンパテイエンス)と癒される者(ホモ・パティエンス)との関係
3) ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。ヒルデガルトは自ら言う。「血脈は血液もろとも、骨は髄もろとも、死から目覚めたもののように、再び健康を取り戻しました。」
 その姿は「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。

結語に代えて
―私たちはこの世を巡礼する民である。
1) 一枚の絵に戻って
「このとき、今はまだ精神を身体に縛りつけている私たち人間の魂は、その魂に見合った体を身につけるであろう。こうして人間は全体として救われる。」(『生の功徳の書』)
「人間たちは魂も身体もその無傷の肢体において、すなわち身体と性の完全な状態において、ただ一瞬のうちに復活するであろう。」(『道を知れ(スキヴィアス)』)

2) 病んでいることは、中世にあっては、われわれに割り当てられたこの地上での限りある生の期間に、病める者と健康な者がともに共同して両者の永遠の救済を遂行する一つの生の形式なのある」(シッペルゲス「中世の患者」)            
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プロフィール

johanusuda

Author:johanusuda
臼田夜半
鴨川市在住
著作『病という神秘』(教友社)
  『ネロの木靴』(地湧社)
  『聖ヒルデガルトの病因と治療』(ポット出版)
制作『いのちの大切さ』
(文部科学省学習支援ソフト)

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