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ヒルデガルト研究会

12世紀ドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神学・医学・薬草学・音楽についての研究

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天空のハーモニーとヒルデガルトの医学―『病気の原因と治療』を読み解く(概論)

1 12世紀ルネサンスの巨星                   
12世紀北部ドイツに、「ラインの女預言者」と呼ばれる女性がいた。ヨーロッパの東と西に騒然とした十字軍遠征があり、フランス南部からドイツにかけて燎原の火のように拡大したキリスト教異端・カタリ派に対する、情け容赦ない拷問と火刑が繰り広げられるこの時代は、逆光に目をこらせば、長い中世の闇を食い破る人間の叫び――16世紀ルネサンスに先駆ける12世紀ルネサンスの夜明けを告げる時代でもあった。重い病を負う女預言者は、この沸騰する歴史の真只中を、ライン川上流のベネディクト会女子修道院長として、皇帝や教皇権力におもねることなく大胆に生き抜き、多分野でオリジナリティの高い独自の業績を残したが、その名は長く歴史の闇に埋もれていた。しかし誰もが近代文明の衰亡を予感し始めた二十世紀の世紀末、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの思想は、人間と自然-宇宙の調和を奏でる壮大な交響曲のように、瑞々しい響きを放って復活した。
               *
「おなかの中に、まだら模様の子どもがいるわ」
まだ5歳の頃、妊娠している牛を見てこう言い当てた少女は、その後もたびたび未来を予言したが、神からの啓示を繰り返し幻視(ヴィジョン)として示されたその生涯は81年に及ぶ。42歳のとき、開いた天の一角から炎のように輝く「生ける光」が現れ、啓示された預言を書き表すように強く求められる、という大事が起きた。その光に照らされて、彼女は一瞬のうちに、見ることと聞くこと、理解することを同時に行う。罪に苦しむことのない魂は、預言を通して未来を見たのだろう。こうして書かれた第一の書『道を知れ』を皮切りに、『神の御業の書』『生の功徳の書』など大部の預言書を世に表したが、その活動は神学的著作にとどまらず、12世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼びたい衝動に駆られるほど多岐にわたっている。音楽では『天の啓示の交響楽』と題される一群の楽曲を残しているが、近年復刻されたその曲は、中世のイメージを根底から覆すほどに伸びやかで自由な響きに満ちている。この音楽的なハーモニーは、ヒルデガルト思想の根幹に息づいていることは、後に述べよう。またヴィジョンを描いた数多くの絵画の、たとえば「宇宙卵」と名付けられたその絵は、現代のビッグバン宇宙論を直ちに想起するほどに精緻で特異なものである。当時の修道院は施療院を兼ねていたが、豊富な薬草学の知識をもつセラピストとして奉仕するとともに、その臨床経験をベースに、ギリシャ医学・修道院医学・ドイツ伝承医学を集成したといわれる薬草学・医学書を著している。ここに扱う『病気の原因と治療』もその代表作の一つである。

2 『病気の原因と治療』(Causae et Curae)
日本では保元・平治の乱が起き、源平の武士団が台頭し始める平安末期――1150年からおよそ10年の歳月をかけて、ヒルデガルトは自ら創建したルーペルツベルク修道院の一室で、自然学と医学に関する大著『さまざまな被造物の精妙さに関する書』を書きあげた。それは「単純医学の書」と呼ばれる『自然学』、そして「複合医学の書」とも呼ばれる『病気の原因と治療』の二書からなっている。このうち『病気の原因と治療』は、病気の原因と治療法、具体的な処方を、当時の伝統的な手法に従って百科辞典的に網羅したものだが、それは文字通り、単純な医学書ではない。
なぜ人間が病に苦しむのかという根本的な問いは、アダムとイヴの原罪にまで遡り、さらには人間の肉体と精神を形づくる4元素の始源を求めて天地創造の瞬間にまで、その思索は飛翔する。そしてついには天地創造以前の無の淵源に潜行するというその精神的な体力は凄まじく、天地を貫く宇宙史的なスパンの中に、病の原因と治癒法を探り出そうとするスケールは、ダンテの神曲に比しても壮大である。
「人間は原初から、つまり上部においても下部においても、外部においても内部においても、どの部分においても、肉体として存在しています。そしてこれこそが人間の本質なのです」――ルネサンスの宣言のように昂然としたこの断言は、「人間は、天と地と一切の生きとし生けるものすべてを自身のうちにもち、万物を自身のうちに保護し支えるただ一つの形姿である」という、人間存在への強い自覚と一つのものであるが、それは同時に、人間を他の被造物―自然に対する支配者とするキリスト教的・西欧的自然観に対するアンチテーゼともなるであろう。
                  *
宇宙や世界の構造、雨・雷・雹などの自然現象、さらに人間の形成―人間の魂と体液、肉体的諸器官や諸感覚の細部に筆は及ぶ。わけても夢や溜息、伸びなどを無意識下の魂の働きとして言及するくだりは、フロイトやユングが無意識に光をあてる近代心理学成立のはるか以前のことである。
続いて諸疾病の原因とその治療法が、ヒルデガルトに特有な体液論を通して綿密に述べられる。具体的な病名と病状は多岐にわたるが、特に妊娠・出産・月経など受胎に関わる産婦人科的な分野と、性欲や性の快楽など性に関わる分野の記述は大きなウエイトを占めている。
「この辛辣でエロティックな文章が、処女である彼女にどうして書けたのか?」とは、女流研究家バーバラ・ニューマンの嘆息であるが、肉体を罪の原因と穢れとして扱ってきたキリスト教神学の伝統に抗して、ヒルデガルトは肉体―性―女性性を神の与えた被造物の自然として、おおらかな眼差しのもとに見つめていたということではないか。魂がその形姿を受肉する器としての母性―女性性への、ここを基点とした展望は、やがて旧約聖書の知恵文学を基礎に、宇宙論的な女性性の神学へと昇華してゆく。
後半に展開される治療法は、食養をベースに薬草の組み合わせが中心で、その処方は具体的であり、体液説に不可分な瀉血や乱切法、焼灼法、入浴法なども季節・年齢・性別・症状に応じてきめ細かく触れられている。また血液や尿、脈拍や声、目などに現れる死の兆候の観察は、肉体から出てゆこうとする魂の働きの表れとして捉えられているが、その記述はターミナル・ケアに実際に関わった者以外にはありえない具体的なものである。

3 肉体と霊[魂]
「子どものころには、非常に多くのことを知っていたはずの霊のことが、老人になった後は、何もわからなくなっているのは確かです。私は、霊があるのかないのか、知りません。実際それ以上に、霊という語が何を意味するのか、私にはわからないのです」
こう率直に吐露するのは、18世紀の哲人カントであるが、霊をめぐる私たちの気分も、このときのカントに近いのかもしれない。近代の思想は、霊の忘失―精神と肉体の分離を前提として成り立っている。だが、霊[魂]を語るヒルデガルトの口調に迷いはない。
「体が魂と分離している場所は一つもなく、魂はその熱をもって体全体を覆っている。魂とは、人間の中の特別な本質であり、魂なしに人は生きてゆけない。」
魂は身体の内なる支え、内なる担い手であり、理性や感覚、身体的な諸反応も、この魂の働きにほかならない。魂は人間を動かす原動力であるが、一方で肉体は魂にとってその本性をなすものとしてつかまれる。人間は魂と肉体という二つの本性において一つのものとしてある! 受胎を通して神の霊が人間に下り、命を与えた瞬間から、霊(魂)と命―肉体とは、私たち人間の中で一つのものである。
ヒルデガルトにとって魂は肉体-精神を貫く命の働きそのものであり、意識や知識や理性は、この魂の働きの一部に過ぎない。この思想は、魂の力能を記憶・理性・意思―脳の活動に特定した15~16世紀の思想家や、霊の実感を喪失した件のカントとは明確に異なっており、中世の前後にも彼女と同一の地平はない。自我の拡張と共に滅びゆく世界の姿を、近代思想の帰結としてつぶさに見てきた私たちの目には、近代以前のヒルデガルトの方が、はるかに人間の全体性を捉えて不朽のものに見えるのはどうしてだろうか。
               
4 天空のハーモニー
神は世界を4つの元素で創られた。火と空気は天上的なもの、水と土は地上的なものである。4つの元素は、遺伝子を構成する2対4種の塩基を思わせて示唆的だが、これら4つの元素は他から切り離すことのできない一体のものであり、だからこそ「礎」(firmamentum)と呼ばれる。Firmamentumは天を支える礎であると同時に「天空」そのものを意味し、また人間という枠組みを支える「支柱」をも指す。人間は元素とともにあり、元素は人間とともにある。元素は、人間の営みに影響を受ける。人間が戦争や憎しみによって相争うとき、元素は本来のありようとは異なった真逆のものへと転換し、天地は熱や寒冷、洪水や嵐の異常に襲われるようになる。このようなものとして、人間はおのれの内にもつ4つの元素を通して、天空―すなわち宇宙の全被造物を総括する存在であるとともに、全宇宙に責任をもつ。それは自然を支配するということではなく、自然に対して責任をもつ存在としてである。ヒルデガルトは、天空がその回転とともに奏でる不思議なハーモニーを聴き取っていた。それは「ミクロコスモスとマクロコモスは同じ法則の下にあり、耳で聞き分けることが出来る」という古代ギリシャの幾何学者ピタゴラスのことばに響き合う。
                 *
「世界が互いに調和しあう4つの元素で構成されているように、人間も互いにハーモニーを醸す4つの体液によって構成されている。この4つの体液がそれぞれ適切な秩序と適量を保っていれば、人は安らいでおり、健康でいることができる。」
健康とは体内における諸要素の調和、すなわちハーモニーをさす。魂は天空のハーモニーを、自分のハーモニーとして聴き取る力をもっている。「罪を犯す前のアダムは、天使のように歌っていた。彼はあらゆる音楽に通じていて、モノコードのようによく響く声で歌っていた。」――だから音楽とは、天空のハーモニーと響き合う天上の記憶である、とヒルデガルトはいう。魂はその均衡のとれたハーモニーから逸脱し、あるいは欠落した状態を鋭敏に感じとる。病とは、ハーモニーの変調を言い当て、調和のとれた状態に連れ戻そうとする魂の作用そのものにほかならない。魂は、このハーモニーの変調を「不快」として感じ取る。逆に、自然でどこにも無理のない状態を「快い」と感じる。「快―不快」という魂のベーシックな感受性への深い信頼は、ヒルデガルト医学の根本をなす。この「快―不快」は、心身においては「甘い―苦い」という感覚によって識別される。魂の感受性は、理性―脳の働きよりもずっと肉体に近く、音楽のハーモニーを心地良いと感じとる、あの感覚に近いといっているのだろう。ヒルデガルトにとって治療とは、壊れた楽器の調律のような作業であったに違いない。
「ことばを話す前のネアンデルタール人は歌を歌っていた」と近年の人類学者はいうが、罪を犯す前のアダムは、エデンの園に遊びながら、天上の声で高らかに歌っていたのだ。この美しい詩的なイメージは、救済されるべき人間の未来への、ヒルデガルトの揺るぎない希望でもある。


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ヒルデガルトの医学

問題意識の所在
① スピリチュアル・ケアとは何か。
② 霊あるいは魂とはなにか―霊[魂]と身体とはどのような関係にあるのか。
③「癒える」(恢復する)とはいかなる意味か、それは何を根拠に可能であろうか。

Ⅰ ヒルデガルトの全体性治療
A) ジグヴィツァの症例
① すでに7年以上病んでいるジグヴィツァという「悪霊にとりつかれた若い高貴な女性」がいる。
②「正しい感覚と行動を奪われて、しばしば叫び、見苦しいやりかたで振舞った。」
③ ブラウヴァイラー修道院ですでに一度大掛かりな悪魔祓いを経験しているが、悪霊は再度、すぐさま舞い戻った。
④「民衆を長い間不安に陥れた女をじかに見たり声を聞くようになるこの女の到着に始めはかなり動揺した。だが男の人の手を借りることもなく、この病人を修道女たちの住まいに連れて行った」

B)悪魔憑きについて 
①「私は真のヴィジョンの中で、この症状はある悪魔によって一つの球の中に集められた黒い影と煙が神の許しの下に、その娘を暗くしたものであるとみたのです。これが彼女の理性ある魂の敏感な部分の全域を圧迫し、彼女の高い理性[深い知恵]をもって行う祈りを許しませんでした。」
●⇒3)6)12)以下「悲しみの霧・蒸気」
②「(悪魔はその本来の姿で人間に入ることは許されないので)黒い影と煙の形で人間に浸透して正気を失わせる。人間の内部に住み着くのではなく、身体各部を外部から動かしているに過ぎない。その間、人間の魂は眠ったようになっており、肉の体が何をしているかしらない」(『ヒルデガルトの生涯』253~254P)⇒霊の本来的な働きを阻害している状態
③「たいていの人は、発狂した人を悪魔に取り憑かれていると考えがちだが、そうではなく、悪魔は狂気の働きに応じてこの病苦に近寄り闇討ちにするのである。」(90 狂気)

● 「しばしば叫んだ」と描写されるこの叫びには女性特有の抑圧と、それへの怒りを推測させるが、ヒルデガルトは怒りの奥に悲しみを見、体液の変化を見、その奥に更に魂の働きを見、こうして全体的な治療法と処方が決定される。(後述⇒Ⅱ)

C) 具体的な薬草の処方と治療
①精神錯乱(狂気)への処方
1) 帽子の着用
2)フェンネルとコストマリー
② 怒りへの処方
1) 香りの療法
「ローリエの乾燥漿果にセージ、マジョラムの乾燥粉末を加えたものを小箱に入れ顔の近くに置く。(『病因と治療』怒り)
●「正しい感覚と行動を奪われた」ジグヴィツアの理性に、香りが働きかける。
2) 塗り薬                 
「この粉末の一部を少量の冷たいワインと混ぜ、額、こめかみ、胸を清めるとよい。」
3) 食事療法
1. かゆ
「油ではなくバターかラードで作ったセモリナ(訳注:小麦の粗びき粉)のかゆ。これは脳の虚ろを満たし、脳の冷えを温める。」
2. スープ
「ナツメグとカヤツリグサの粉末にグラジオラスの根とオオバコをすり潰したものに塩を入れ、小麦粉と水を加えた薄いスープを作り、これを飲ませる。」
3. ワイン
「ワイン、蜂蜜酒、ただの水は避ける。フェンネルとコストマリーから造った醸造酒とビールはよい。」(168 狂気)
③ 瀉血療法
●薬草の処方に瀉血が加わるのが一般的である。瀉血には性別・年齢・季節・瀉血量などの細かな規定がある。その他、乱切法を用いることもある。
D) 共同の祈り
①自分たちの修道院と、修道院を取り巻く周辺の地域共同体の住人全員に、聖母マリアの清めの日(2月2日)から復活祭前日の聖土曜日に至る少なくとも50日を越える期間、ジグヴィツァのために祈りと喜捨が求められ、断食と苦行が捧げられる。
② 抜魔式
1) 1170年の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式の儀式が行なわれる。
2) 司祭は洗礼盤に湛えられた水を聖別し、水に息を吹き込む。
3) ジグヴィツアは恐れおののき、その細い足は地面を掘るほどに震え始め、口からは靄のようなものを吐き出す。
4)「サタンよ、この女の体という仮小屋から立ち去れ。」
5)不純な霊は重いおりものとなって体外へと排泄される。
●ジグヴィツァの精神に、悪と向き合えるだけの総合的な力が与えられる。「祓魔」とは、魂[霊]の働きを阻害するものを取り除くことである。(後述)

Ⅱ 病―感情・肉体・魂
A) 症状と病理
「人の魂は自分や自分の体にとって1)逆らうなにか(aliquid adversi:something adverse)を感じ取ると2)心臓や血管そして肺を収縮させ、3)心臓のまわりに霧のようなものが立ち昇って、4)心臓を曇らせる。それで人は5)悲しくなる」
「心臓を覆っていた6)悲しみの霧は、7)すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出し、この蒸気は8)胆汁をかき立て、9)この胆汁の苦みから10)怒りが生まれる。」
●悲しみから転化した怒りが治まらずに継続した場合、どのように精神を錯乱させるのか、そのメカニズムが次に述べられる。
「11)怒りが治まらないと、12)蒸気は黒色胆汁にまで達し、13)黒色胆汁をかき立てて黒い霧を外に送り出す。」
「14)この霧は胆汁に浸透し、15)胆汁から非常に苦い蒸気が生み出される。やがて16)この霧は蒸気とともに脳まで達して有害な体液をかき立て、まず最初に17)その人の頭を病気にする。18)ついで胃まで下りてゆき、19)胃の血管と胃の内部を襲い、20)その人をまるで錯乱状態のようにする。こうしてその人は知らぬ間に怒り出すのである。」
(『病因と治療』145 悲しみと怒り)
① 2)~20) 臓器反応の連鎖:魂⇒(心臓・血管・肺)⇒心臓⇒胆嚢(肝臓)⇒脳⇒胃
② 2)~20) 精神的反応の連鎖:「錯乱⇒怒り⇒悲しみ⇒魂の不快感」と、魂へと遡る。
―①②は現下の症状から遡って原因に迫る。
③ 1)「逆らうなにか」[敵対するなにか]を感じ取るのは、魂の自然的な働きである。
④ 9)amarus(bitter)の原義:「苦い・悲しい・感情を害する・不快な・嫌悪すべき」
―感情を表す言語は同時に身体感覚を表す言語であること。

B)  悲しみの根源(怒りの奥にある悲しみについて)
①「アダムがリンゴを食べ、善を知り、悪を行ったとき、アダムのこの矛盾がもとで、彼の中に黒色胆汁が生じた。・・・これがもとで悲しみと絶望とが生まれた。」(142 アダムの堕落と黒色胆汁)
②「人間が神の御旨に背いたとき、その心と体は変質した。・・・罪を犯した後は、すべてのものは別のもの――すなわち苦いものに変質したのである。」(33 アダムの堕落)
●胆汁の苦さと心臓における思念の苦さ
③「黒色胆汁は黒くて苦く、すべての病気を引き起こす元である。・・・この黒色胆汁はいかなる慰めも疑念で覆うという悲しみをもたらす。こうした人は天上的な命の喜びを感じることも、地上的な慰めに喜びを感じることもない。人がその初めに悪魔に唆されてリンゴを食べてしまい神の戒めに背いたそのときから、この黒色胆汁はすべての人間にとって本性となった。」(38 黒色胆汁)
●黒色胆汁は、原罪の記憶の体への刻印である。
●黒色胆汁の生み出す「悲しみと絶望」とは「疑念」=「いかなる慰めをも覆う疑念」のことである。それは神から離反した人間の本質的な悲しみ―人間の自然的本性である神性(知恵)―神からの離反と逸脱―魂の不快感(天上的な喜びと地上的な慰めの欠損)として、ヒルデガルトは見ている。
●逆に見れば、病は、体液の氾濫を通して魂の深部に導く働きである。病とは魂が、身体的・精神的自然からの逸脱を言い当てる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもあるということができる。
④ 「(悪魔は)嫉妬と憎しみと嘲笑という悪しき感情に起因するすべての悪事をなすもの」(『生涯』255P 要約)
⑤ 悪霊(daemonum:demon):「ルチフェルとともにこの世で謀を企むもの」
悪魔(diabolus:the devil):「ルチフェルの貪欲さと意志力を体現」
⇒「人間の魂を眠りこませるもの」=魂の働きを覆い隠すもの
●diabolus(悪魔・サタン)の原義は「中傷者」、新約では「試みるもの」(マタ4-3/
1テサ3-5)。
●『霊操』解説で門脇は仏教における根本的な煩悩(罪源)を「貪(ドン/むさぼり」「瞋(シン/いかる)」
「癡(チ/おろか)」としているが(「懺悔文」に同じ)、diabolusは「癡」に通じるという共通点がある。

C)「甘い-苦い」―魂(あるいは身体)の感覚
①「心臓に思念があるとき、その思念は甘さか苦さかのどちらかをもつている。甘さは脳を豊かにし、苦さは脳をからにする。思念に甘さがあると、その人の目、耳、口は喜びを表す。思念に苦さがあると、目は涙を流し、口と耳は怒りと悲しみを表す。」
⇒Ave Generosaの歌詞における「甘美な」の頻出⇒霊操の身体的感覚
②「自然に反した、無理な影響が、それも一気に起こる場合には、この影響は「苦しい」もの[苦い/苦痛]であり、逆に、自然の状態へと一気に戻る影響は、「快い」ものである
(『ティマイオス』116P)
●『ティマイオス』では「甘い―苦い」は理性から送られてくる思念の肝臓における反映である。(131P)
●イグナチオは霊動弁別の感覚を「憂鬱」と「はればれ」としているが、ヒルデガルトのこの感覚は「甘い」「苦い」であって本源的な生命の感覚に近いのではないか?

●まとめ(魂-感情-身体の関連)
肝臓(感情) 心臓     脳      魂
怒り(苦い) 悲しみ―苦い 虚ろ(癡) 都合の悪いもの―不快―疑念(癡)
喜び(甘い) 甘い 豊か 快―慰め(⇒ハーモニー)

① 怒りは脳から派生する感情というより肝臓に位置する身体的感覚として掴まれる。その怒りの奥には心臓の感知する「悲しみ」があるが、この「悲しみ」の根拠は、原罪に遡る「疑念に覆われた絶望」である。この疑念は「天上的な命の喜び」も「地上的な慰め」をも覆ってしまうが、この喜びと慰めから遮断された感覚を、魂は「苦い」ものとして―すなわちもっとも始原的な感覚である「不快」として表出する。
② 肝臓とは動物的生命力の位置するところでもあり、したがって怒りという感情は動物的な生命力が不快を感じたときの身体的発現ということになる。怒りという感情は人間の中の低次の動物性=生命性の発現であるが、感情・思念・理性は本来的に魂それ自体の活動でもある。怒りの奥にある「悲しみ」は心臓の「苦い」思念の表出を通して、魂にとって「不快なもの」を告発し、魂は自らの働きとして低次の動物性から霊的・人間的に昇化してゆく自己回復運動でもある。――この働き自体が「救済」の根拠であるという意味において、救済とは、人間の人間化を意味する。
③ 魂の快・不快と身体感覚としての快・不快は近い関係にある。(⇒識別の重要性)
④ スピリチュアル・ケアとは、怒りや悲しみなど表出する諸感情の奥に潜む、魂の快―不快の感覚を感じ取れるように手助けすることではないだろうか。

Ⅲ 臓器と魂
臓器(心臓・脳・肝臓)
① 「魂は心臓に位置し、窓を通り抜けるようにして思考し、燃える火が煙突を通り抜けるようにして思考力を脳に送り出す」「脳は思考を心臓で識別し、思考を体に広げる。」(同上 95 「魂の居場所」)
② 「知識は心臓に属し、感情は肝臓に、ふいごの機能と理性の回路は肺に属する。」
③ 「脳は本来湿っていて脂肪質であり、人の分別や知恵、理解力の質料(materia:material)である。・・・脳はまた思考する力をもつている。」
④「肝臓の獣的欲望に対する「理性」の反応が心臓の「怒り」として現れる」「心臓は脳と肝臓との対応関係を反映する部位である」(プラトン『ティマイオス』129P要約)

●まとめ
主体液 プラトン  ガレノス      ヒルデガルト
大脳 白色粘液 理性の霊  精神の霊 火の力 思考力・理解力の質料     
心臓 血液 感情の霊  生命の霊 *1 魂の場 思念/思考の識別 *4
肝臓 胆汁 強い欲望の霊 自然の霊 *2 液汁の器 *3 感情
*1 プネウマは左心室で精錬され、動脈により全身に運ばれるが、ガレノスはプネウマを勘案しなくても自説は証明できるとしている(ガレノス『自然の機能について』129P)
*2 自然の霊(生気)は肝臓に座をもち、このプネウマは静脈により全身に配られる。
*3 肝臓は心臓や肺、胃がその液汁を注ぎ込む器のようなもので、体のあらゆる部分にその液汁を注ぎ返す。(『病因と治療』「器としての肝臓」)
*4思念(cogitationes:thoughts)は心臓にあり、その思念が甘いときは脳を豊かにし、苦いときは脳をからにする。脳は思念を理解する。
●プラトン3霊説はガレノスにより「血流説」に採りいれられ、3つの臓器で「霊」(肝臓=自然の霊・左心室=生命の霊・脳=精神の霊)が作用・発生するとされた。
(⇒「ガレノスの血流説」の図参照)

●身体の諸感覚は魂の生きた働きである。
●ヒルデガルトにおける「精神」は、「肉体と精神」という対置の中で与えられる概念的な幅はもたず、ほとんど「意識」という程度に狭い概念で使われる場合が多い。
●脳はヒルデガルトにあっては必ずしも主要な身体的器官としてではなく、「狂気」の項で、感情の作用する場としていわば病理的に扱われる。
●胃についての特異な身体思想 :「人間は天地と一切の生きとし生けるものすべてを自身のうちにもつ」という「宇宙=人間」で見た人間論が基本にある。諸物を人間の内に取り込む一つの重要な行為が「食べる」ということであり、それを司る胃は、その宇宙論的な身体の中心的な臓器として位置づく。

Ⅳ 霊・魂・身体
A) ギリシャにおける「魂」(プシュケー)
① 「ギリシャ語プシュケーは、前5世紀から4世紀にかけてのアテナイの一般人にとっては、・・・・「生命原理」を意味するにすぎなかった。だが、ピタゴラス派が死後の魂の存在を信じ、来世に向けた魂の清めの重要性を信じたことから、魂は人間の本質的部分という理解に深まってきた」(ブラック『プラトン入門』155P 要約)
② 「プラトンにあっては、魂はイデアを感得することのできる部分のことである。
――魂は移ろいゆく非実在的な感覚世界と永遠の実在的なイデア世界のギャップを橋渡しするもの」(同上155P)

B) 霊と魂の一般的な区別
ヘブライ語  ギリシャ語 ラテン語
霊 ルーアク       プネウマ       スピリトゥス
霊・風・息        霊・風       風・匂い・息・霊
魂 ネフェシュ        プシュケー  アニムス
魂・精神・心   生命・魂・精神  生命・魂・精神・意識

C)『病因と治療』における「霊」
① 主の霊―火と命―が被造物の各々に、その本性に応じて命の息を吹き込んだ。こうして被造物は、その本性に応じて、その内に火と命を持つに至った。
② 「聖霊はその露をもって分別の生ける力(viriditatem)を満たす。こうして人は自分が知りたいことを知り、理解するようになる。」(同上67)
③ 聖霊は人間の本性全体を貫いている。・・・ありふれた人間の本性は、聖霊の炎によって、自分が思うよりもずっと善性の高い本性へと変えられてゆく。⇒「本性は善であること」

D)『病因と治療』における「霊と魂」の相関性
① 霊は(胎児の中に入ると)形相全体を経巡り、髄と血管を再び満たして強める。・・・(やがて)胎児は動くようになる。それは全能の神の意志を通して、生ける風――すなわち魂が形相に入り、形相を強めるからである。魂はこの形相を命あるものとし、形相の至るところを駆け抜ける。(62 魂の注入)
② 人間の魂は天から、神から人間の中に下り、命を与え、理性を育む。魂が人間を離れるとき、魂は死ぬのではなく、生の報いに向かうか、永遠に課される死の苦痛に向かうか、そのいずれかである。(21 魂の力)

E) 『病因と治療』における魂
① 魂は火と風と湿の性質を持つ。それは人間の心臓全体を支配している。(43 人間の内部)
② 魂は体に送り込まれるがゆえに、魂は息として存在する。(45 魂の注入)
③ 人間の魂は火の性質を持っており、四つの元素を自らに引き寄せる。この火において、魂は視覚や聴覚、あるいは同様の機能を駆使して人間を動かす。火が水の本質をなすように、魂は人間の中の特別な本質をなす。魂なしに人は生きてはゆけない。
●魂とは神の霊が人間の中に入って命を形作って以降の霊的作用全体を指し、理性・感覚諸機能も魂の働きの現れである。

F)『病因と治療』における「魂と身体」
① 「体が魂と分離している場所は一つもない。魂はその熱をもって体全体を覆っている。人は四つの元素によって成り立っているのだが、そのうち火と空気は霊的であり、水と土とは肉体的である。これら四つの元素は人の中で結合し、人を温め、こうして肉や血、身体諸器官が形造くられる。」
② 「体が要求するどんな仕事も、魂は体の中で実行する。体が欲し、魂が働く。もし人間が肉体をもたなければ、魂はその力の源泉を持つことがない。こうして魂は、神の作品である人間の存在全体を経巡り、人間を突き動かすのである。・・・このようにして人間は魂と肉体という二つの本性において存在する。」(62 魂の注入)
③ 「魂は善に向かう息である。肉は罪に向かう傾向をもっているので、時には魂が肉を抑えることが叶わず、罪を犯すことになる。」(84 魂と肉体の対比)
④ 人間の他の被造物との違いは4元素の調和的存在である。(⇒前回シャルトルのティエリによる人間的本性の元素的説明)

●まとめ
① 人間の精神を神との関係で捉えたものが「霊」であり、人間自体において捉えるとき「魂」と呼ぶ。
② 魂は被造物としての動物一般にも存在するが、神の霊を感受し作用する魂をもつことこそが人間的本性である。(理性に一面化して捉えるべきではない)
③ 体が魂と分離している場所は一つもない。魂の働きで命は形作られ、肉の諸器官・諸力能は発揮される。人間は魂と肉体という二つの本性において存在する。
④ 魂は人間を善へと突き動かす。
⑤ 体液的調和=身体的調和=魂の調和的働きの証=魂の作用を感じ取ることこそ人間の証である。

■参考:イグナチオ・ロヨラ 『霊操』における「魂」
魂の三能力:記憶力・理性・意思⇒脳の活動としての魂の理解
● ヒルデガルトは深い病の底でこのような3能力が無力だということを知ったのではないか?
⇒私の体験:「命の底で立ち上がる原初的な命の姿」ということについて。


Ⅴ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)
A)  「癒える」(恢復する)ことの意味
①ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトはジグヴィツァと同じ症状に襲われる。
② そしてジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。その姿は「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。
③癒す者(ホモ・コンパテイエンス)は、その全存在をかけて癒される者(ホモ・パティエンス)を全存在的に掴むことである。それは魂において魂と向き合うことでもある。
●恢復するとは、魂―感情―肉体全体のハーモニーが恢復することを意味するが、それは魂の自然的な本性によっている。したがって病とは魂の復元力の作用でもある。
●「癒える」(恢復する)とは、智すなわち魂[霊]自身の働きが妨げを排除して回復すること(神-人関係の根源的な状態の恢復)であるが、肉体が魂の成り立ちの不可分の前提である以上、スピリチュアル・ケアとは身体の全体的な恢復を前提とする。この全体とは共同体による祈りの集積とそれへの感謝、身体を包む住環境や孤独を癒す人間関係、体を養い力を与える食事や薬、瀉血、温浴などの、その総体である。

B) 参考:「魂とハーモニー」
①「世界が互いに調和しあう4つの元素で構成されているように、人間も互いにハーモニーを醸す4つの体液によって構成されている。この4つの体液がそれぞれ適切な秩序と適量を保っていれば、人は安らいでおり、健康でいることができる」(『病因と治療』57 要約)
②「魂とは、一部の人たちが主張するように、一種の調和(ハルモニア)である」(シミアス)
③ 「神が人間に聴覚を与えたのは、天にある理性の乱れなき循環運動に、我々の内なる魂が同族とし諧調(ハルモニア)をもち循環運動を行うためである」(『ティマイオス』72P)

Ⅵ 共苦する共同体―中世修道院の例
① 生活法にとって重要な6つの要素
1) 光と空気=環境 音楽と香り⇒ヒルデガルトの音楽 香りと塗油
2) 飲み物と食べ物
3) 運動と安静:「運動そして安静」(モトゥス・エト・クイエス)
4) 適度の睡眠
5) 体液の排泄または保持:水分の供給と入浴=体液と力の制御⇒入浴後の塗油
6) 感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る

■参考:ベネディクトRegulaから(ベネディクト:547年没)
1)「修道院を訪ねてくる来客はすべてキリストとして迎え入れる」
2)「貧しい人と巡礼者に対しては最大の配慮と気配りをもって受け入れる」
②修道院の建築構造:例)聖ガレン修道院の建築構造
●ベネディクト会則を体現した修道院建築として後世の模範となった。
1)病気または高齢な修道士のための病院―僧房の東側
2)貧困者と巡礼者の救貧院(オテル・ディユ:神の客たちの宿)―修道院の門の西側
3)集中治療室を備えた医師の住宅
4)患者浴場と瀉血室
5)修道院の会堂から少し離れたところにらい病病患者専用の治療所
6)新鮮な水を供給する水道施設と下水管―排水管―水洗トイレ施設
7)薬草園
●修道院建築は、祈りを中心とする共同体的身体の実現であり、頭から排泄までの全身的な身体諸機能をもつ。
●教会と住居・病院と作業所や菜園など簡素な生産施設を併せ持ったひとつの独立した町のような総合的な空間であった。

●結びにかえて
病んでいることは、中世にあっては、われわれに割り当てられたこの地上での限りある生の期間に、病める者と健康な者がともに共同して両者の永遠の救済を遂行する一つの生の形式なのである」(シッペルゲス「中世の患者」)
 
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女性性の神学<マリア=宇宙的なシンフォニーの受肉と救済>

第1章 受肉―<マリアとサピエンティア>
Ⅰ 問題意識の所在―歌詞から聴こえてくるもの 
(歌詞は最終終ページにあります。①~⑪の数字は歌詞中に埋め込み)
1) ヒルデガルト神学の中心的命題である受肉論のオリジナリティ
  ―元素の再創造(recreatrix)とはいかなる意味か?
  ―マリアはシンフォニーを懐胎するとはいかなる意味か?
2) マリアの純潔とは―「無原罪」とは、なにを意味するのか?
   ―原罪からの解放―救済とはなにを意味するのか?
3) ヒルデガルト神学にあって、救済史に占めるマリアの宇宙史的位置とは何か?
① 純潔の瞳⇒瞳=霊を映し出す鏡(光の反映-知恵)
② Material(物質/元素)=mater(母)=matrix(胎[子宮])
③ 父性の直接性:言と響き⇒聖霊ではなく御父の響きの必然性
④ 受肉―ヒルデガルト神学の中心的なテーマ
⑤ 予定説 キリストの予定説―受肉の予定説―RECREATRIX
⑥ 白い百合=知恵とシンフォニー⇒何を「原罪」と呼ぶか
⑦ Nutrix=神人協力=展開する歴史=救済史=エクレシア
⑧ 緑―viriditas⇒「聖霊により被造物に満たされる生ける力」
⇒詳しくは次回「ヒルデガルトの医学」
⑨ viriditasの懐胎:「仰せのごとく我になれかし」:従順による神の言葉=「生命力」の懐胎と再創造=RECREATRIX 
⑩ エクレシア―救済
⑪ マリアと宇宙:相互に響き合う大宇宙と小宇宙=神の知恵と人の知恵のハーモニー

Ⅱ 物質―宇宙の創造(図①②③参照)
A) materia―物質・宇宙の創造 
① 「世界が創造される以前から神は居られ、そして今も居られる。神に始まりはない。神はかつてもそして今も、光であり、輝きであり続ける。神は命であった。神が世界を創造しようという意思を抱いたそのとき、神は世界を無から創造したのである。世界を造る素材は、神の意思の中にあった。」(『病因と治療』1世界の創造)⇒図⑥
② 「最初に神が、光あれ、とおっしゃって光が現れたとき、創造の手段と母体(materia)は<愛>だったからである。」(86 書簡30)
●ローターのごとき宇宙卵のイメージ:コンシュのギヨーム『宇宙の哲学』でも宇宙は卵にたとえられる⇒ル・メートルのBIG BANG理論
●ヒルデガルトにおけるmateria(物質・源・原因)=mater(母・源)=matrix(子宮・源)=母性のイメージである。
●物質の創出・宇宙の創造それ自体が神の現れ(THEOPHINIA)であり、女性的なるものの目的は、この世に神を現すことにある」(181)⇒図①
―父性である神の言葉を孕み、物質化して宇宙を産み出すものとしての神の母性[子宮]
●悪意から生まれた原爆は破壊と悲惨のみを生み出した。神の創造したこの壮麗で摂理を保った宇宙が、愛(カリタス)の衝動と知恵(サピエンティア)以外から生まることがあるだろうか。

Ⅲ 人間の創造―大宇宙と小宇宙(前回参照)
① 「この人間という存在は、己の内に天と地と他のすべての被造物をもつているのだ。確かに人間は一つの形象ではあるが、その中には万物が秘められている。」(『病因と治療』1)⇒図④
② 12世紀の同一の見解(前回)
「大宇宙たる自然は調和した生ける自然で、この生ける自然の秩序を模範として、人間の魂は身体と結合され、大宇宙の調和が小宇宙たる人間に移される。」(ベルナルディス・シルヴェストリス『宇宙形状詩』)―ヒルデガルトに近似したマクロコスモスとミクロコシモス)
⇒プラトン『ティマイオス』
③ 人間は万物の構成要素のすべてを一通り有しているという意味で、「全被造物は人間の中にあり」、したがって人間という自然(本性)は全世界を小規模に内包している「小宇宙」(ミクロコスモス)であ(る)。(9世紀エリウゲナ『ペリフュセオン』今義博の要約より)
●ヒルデガルトは大宇宙に呼応し響き合う小宇宙として人間を見ており、その交点にイエス―マリアの受肉が宇宙史的に成立する。(人間=宇宙の図⇒予定説)

Ⅳ 原罪―性と知恵(図⑤⑥参照)
A) 原罪と性(前回参照 詳細次回「ヒルデガルトの医学」)
①「もしアダムがエヴァよりも先に罪を犯していたとしたら、原罪はあまりに重く救いようのないものとなり、人間はとてつもなく深く険しい絶望的な状態に陥り、救いを望むことも、救いを望む可能性すらもなかったであろう。だが最初に罪を犯したのはエヴァであったので――女は男より弱いがゆえに、罪からの救いのなさをよりたやすく無効にすることができたのである。」(47 「なぜエヴァが先に堕落したのか」)
②(蛇の女への敵意)「悪魔は女の生殖能力に対して最初から憎しみを覚えているからこそ、悪魔は女が子供を産むことがないように女を迫害するのである。」(『生の功徳の書』98)
B) 「原罪と知恵」に関するヒルデガルトのユニークな見解(⇒図④)
① 「悪魔の欺瞞を通じて、あの最初の原罪が起こった。それはむかつくような悪臭を放つ空気から立ち昇り、大地のすべてを覆い、昼の純粋な光を隠し、<知恵>のすべてのわざを、まるで軽蔑するかのように腐敗させていく霧の雲に似ている」(134 『神の御業の書』Ⅰ4-37)
② 優しい一陣の風とともに鋭い燃える炎によって、あの輝く火は男に輝く白い花を差し出した。その花は、一本の草の上に降りた露の滴のようにその炎の上にかかっていた。男はその香りを鼻で嗅いだが、口で味わうことも、手で触れることもなかった。身を離した彼は、そのために厚い暗闇の中に落ちてゆき、そこからはいあがってくることができなかった。
(Sci viasⅡ1.8)
⇒(ヒルデガルト自身の解説)「この男は、知恵という知性の働きをもって、法の掟そのものを、あたかもなにかの香りを嗅ぐためにそれを鼻に引き寄せるように、自分へ引き寄せたからである。だが人間はそのものの好ましい内的な力を完全に口に入れることはなく、また祝福の充満のうちに両手の業でこれを成就することもなかった。」(同上)
●炎は三位のうち、特に父を意味し、草の上に降りた露は「生ける力」を意味する。花は三位の響きと離れずに咲いている。三位は響きである。
③「ヒルデガルトは禁断の実を食べる罪を、命令された花を摘まないことにおきかえる。アダムは犯すことの罪ではなく、言葉と聖霊の呼びかけを無視することを罪としている。」(190)
●「生花」の例から

まとめ
アダム―したがってエヴァの罪は肉体的な欲情にあるというより、知恵の働きを隠そうとする悪魔の唆しに従い、知性の働きに自ら頼り、言葉と聖霊の呼びかけ―すなわち知恵の働きを無視したことにある。

Ⅴ マリア―受肉(⇒歌詞参照)
A) 受肉―諸元素の再創造
① 「すばらしきマリアよ、諸元素はあなたの内で喜びを受け取った」(交唱「神の指の業が」)
⇒歌詞参照
●マリアは諸元素を再創造する(元素にその出生の母体である愛を再妊娠する):マリアは諸元素の響きを取り戻す⇒ミサにおける聖変化
B) 受肉―マリア―RECREATRIX
① 「私は創造主と被造物の互いの愛を、神がその内に男と女を結び合わせて子供たちを産ませる愛と誠実になぞらえます。」(『生の功徳の書』39)⇒歌詞②③参照
② 「ヒルデガルトにとって、肉となった<言葉>の到来は多くの出来事のうちのひとつでなく、そのためにこそ世界が造られた真の出来事であり、全世界がキリストの体に包みこまれてしまうまで絶えず新たにされ、拡大されていくように定められている出来事なのである。それゆえ受難や復活と違い、<受肉>はもともと歴史的な出来事ではなく、時間と歴史を超え、永遠的なるもの、女性的に神的なるものの領域で起こる出来事である」(ニューマン66)
③ 肉になった<言葉>のみが、神によって最初に語られた創造の<言葉>を解釈することができる。」(40)-ヨハネの福音(言葉―光―命)
④ 「女は、いわば知恵の家である。なぜなら、地上の物事と天上の物事は女において完全になるからである」(『生の功徳の書』
●ここにおいてマリアはサピエンティアと同一化される。ヒルデガルトはマリアをこの世の女性的再創造主(recreatrix)として示す。
C) 宇宙的シンフォニーの受胎
① 「おお、愛する息子よ、私はあなたを子宮の中で、聖なる神の回転する車輪の力によって産んだ。神は私を造られ、私の骨組み全体を形づくられ、メロディーのありとあらゆる花を咲かせながら、音楽のあらゆる形式を、私の子宮の中に設定された」(204祈り「処女たちのシンフォニア」)
●回転する車輪は父性を表す。図④のアダムに接触する三位の車輪でもあり、響きである。
●言葉の三位⇒父:響き 子:言葉の意味 聖霊:息
②歌詞②「父の言葉」⇒響きであるから聖霊ではなく父であること。⇒別の箇所では「聖霊の温もり」
●ヒルデガルトにとっての音楽は単なる表現の一方法ではなく、三位の響きを伝える言語そのものである。
③ 「受肉は音楽そのものを体現している。マリアは自分の肉体において、<言葉>だけでなく、神の<歌>をも生むのである。」「マリアは自ら音楽となる」(204)
④ 「無垢の状態にあったアダムが違反を犯す前には、彼の声は神を称える歌を歌う天使の声と大いに共鳴したのでした。」(マインツ司教団宛手紙)
―楽園のアダムはモノコードで歌っていた。(『病因と治療』)
「歌曲を聴くと、人間はよく深い呼吸をして溜息をつくものです。それは預言者たちに、魂はそもそも天上のハーモニーに由来することを思い出させます。」(同上)
⑤ ヒルデガルトが啓示によって与えられた音声を表記するための1010語に及ぶ異語と27を越す独自文字
⑥ 言語論としてみれば、当時の「音声言語論」(vox)を中心とするアベラール等の「普遍論争」に対するヒルデガルトの態度でもあるか?

まとめ
アダムが失った神の言葉=響き(シンフォニー)を、マリアは再懐胎し、御言葉に身体を与えることを通して、元素―宇宙を再創造する。言葉とは響き―シンフォニーである。
●補足:<Ave,generosa>の母音出現数⇒a:60 i:81 u:62 e:64 o:28

Ⅵ 知恵(Sapientia)―創造の女性性(Creatrix)A) ヒルデガルトにおける「知恵」
●知恵の姿は『スキヴィアス』第3巻で初めて現れる。

① 「創造主は被造物をお造りになったとき、それを美しく飾られました。なぜなら創造主は被造物をおおいに愛しておられたからです。・・・私は創造主と被造物の互いの愛を、神がその内に男と女を結び合わせて子供たちを産ませる愛と誠実になぞらえます。(歌詞参照)・・・(被造物が創造主の愛に答えようとするのは)ちょうど女が夫を頼り、夫が求めるものをかなえ、夫を喜ばせようと努めるのと同じです」(『生の功徳の書』39)
② 「おお、知恵の力よ、あなたは宇宙を包み込み、あなたの3つの翼で、ひとつの生ける軌道を描きながら、万物を抱きしめられた。ひとつの翼は空高く舞い上がり、一つの翼は大地の本質を蒸留し、3つ目の翼はいたるところに漂う」(セクエンティア8)
③ 「私(カリタス)はあらゆる生ける火花を点火した至高の火の力、私が息吹を与えたもので死んでいるものは一つとてない。・・・私は神の本質をなす火の命・・・そして空気のような翼により、目に見えない生命の力をもって万物を活気づける」(『神の御業の書』)⇒主語はカリタスだが知恵に同じ
●カリタスはサピエンティアの他我である。第一物質の創造以降は火の力の作用という思想あり
●「創造主という父性的イメージが神の超越を強調する傾向にあるのに対して、ヒルデガルトのサピエンティアは、母性的創造主[クレアトリックス(Creatrix)]として、高みから被造物に命令を下したり生成途上の世界を万能の手でこねあげる不動の支配者ではなく、宇宙に内在することによって内側から宇宙を創造し、軽やかな循環的な運動のイメージで現れる」(88要約⇒図①
■ヒルデガルトがサピエンティアあるいはカリタスと呼ぶものは、聖書の知恵文学[箴言8章「知恵の勧め」・知恵の書7~8章・ベン・シラの知恵の書[集会の書]24章等に負っている。
―女性神秘家としては「雅歌」からの引用、影響がないことは特筆すべきである。

B) 旧約聖書における知恵
●知恵[愛calitas・憐れみmisericordiae]は旧約の荒々しく人を裁き罰する父性としての神に対して、優しい母性を対置する。
1. 知恵の書
① 「あなたはことばによってすべてを造り、知恵によって人を形造られた」(知恵の書9-1)
●知恵との響き合いこそが、他の動物と区別された人間性の根拠であること。
⇒ここでは「知恵」は「理性」に同じである。
② 「知恵はどんな動きよりも軽やかで、純粋さゆえにすべてに染み込み、すべてを貫く。知恵は永遠の光の反映、神の働きを映す曇りない鏡、神の善の姿である」(知恵の書7-24~26)
●知恵は内在的で軽やかな運動性をもち、鏡のように従順性―受容性をもつ女性として描かれる。
③「私は神の玉座のもっとも愛らしい連れ合いです。・・・私は王の結婚の臥所を守り、神の所有になるものはすべて私のものであります」(知恵の書9-4)
2. シラ書 
① 「すべての知恵は、主から来る。主とともに永遠に存在する。・・・知恵は、他のすべてのものに先立って造られ、その悟る力も、永遠の昔から存在している。知恵の泉は、いと高き所にいます神のことば、知恵の歩みは永遠の掟」(1-1~5)
3. 箴言
① 「主の知恵によって地の基は据えられ、主の英知によって天は設けられた」(3-19)

●旧約聖書における女性的ペルソナである<知恵>(ラテン語では女性名詞)は、非常に早くから男性のキリストと同一視されてきた。
「神の知恵であるキリスト」(1コリ1-24))
●「知恵は隠れた神を啓示する。知恵は創造の衣である。」
―サピエンティアとは創造主の愛の顕現(エピファニア)であり、神の花嫁―神の言葉を映し出す生ける鏡-泉である。

Ⅶ 神の知恵と人の知恵(理と理性)
A) 人の知恵
① 「宇宙の秩序、元素の働きを私は知り、時の始めと終わりと中間と、天体の動き季節の移り変わり、年の周期と星の位置、生き物の本性と野獣の本能、もろもろの霊の力と人間の思考、植物の種類と根の効用、隠れたことも、あらわなことも私は知った。万物の制作者、知恵に教えられたからである。」(同上7-18)
② 「知恵は神の認識に与り、神の御業を見分けて行う。」(同上8-4)
③ 「知恵は主を信じる人たちには、母の胎内にいるときから与えられている」(集会の書1-14)
 私はあなたに知恵の道を教え、まっすぐな道にあなたを導いた。歩いてもあなたの足取りはたじろがず、走ってもつまずくことはない」(箴言4-11)

B) 神の知恵と人の知恵の相互性
① 「かくして神の霊は、彼の被造物すべてに配られている生ける泉であり、被造物は神から生命を得て、神を通じて生命性を所有するのです、水に映る影のように。そしていかなるものも自分がどこからきているかをはっきりと見ることができません。おのおの、自分を動かしているものをただ感じるだけなのです」(『神の御業の書』Ⅲ 8.2)
●霊の動きとは本来自分が帰還するところへの感受性である。 
●祈りとは知恵の働きを待つ存在の謙遜である。知恵とは光を映し出す鏡である。
―「受胎告知」と「仰せのごとく我になれかし」:知恵の相互作用として受肉は成り立つ
② 「私のパンを食べ、私が調合した酒を飲むが良い。浅はかさを捨て、命を得るために、分別の道を進むために」(箴言9-1)
●「みことばを知る」とは「食べる」ことである。
⇒ミサにおける聖変化・御聖体の意味
⇒私たちは日々神を受胎する。

まとめ
人間に内在する神の知恵は、鏡のように神の響きを映し出す。従順とは「聖霊の響きを聴く」という存在の受動性を意味する。この受動性―神の知恵と人の知恵の相互性への信頼―が自分で何者かになろうとしたルチフェルを、そしてまた知恵の木の実を食べたアダムを超える根拠である。ミサはマリアの受肉の神秘―御言葉の受胎を繰り返し現出する。

第2章 救済―<マリアとエクレシア>Ⅰ 予定説
① 「あなたの御子が、・・・実際に人類の衣をまとい、人間のために人間の形をとることを望まれたのは、・・・あらゆる創造が行われる以前のことでした」(Sci vias Ⅲ1 )⇒歌詞
② 「キリストの絶対的予定、すなわちたとえ人間が少しも罪を犯していなくても神は人間になっていたであろう」(78 ホノリウス)
●神と人間との間にある亀裂を恩恵が完全に埋めるというこのオプティシズム
⇒ヒルデガルトも同じ思想である。原罪に人間の運命の絶対性を認めない思想は、したがって肉体―性に対しても自ずと寛容になる。「これが私の体である。これをとって食べなさい」というイエスのことばは、肉体を極限的に賛美する。イエスにあって、肉―物質は自分の宿る衣である。

Ⅱ 環帰と救済
①「万物は神から出で、神によってなり、神に帰する」(ロマ書11-36)
②「<言葉>がこの世に下ったのは、・・・みずから人間になることを通じて、それら創造された結果と再び合一させるためであった。かくしてキリストは発出と回帰のサイクルを完成させることによって宇宙の統一を媒介し、その結果、時間的な被造物ともろもろの永遠の模範は御言葉において再合一することによって「救われる」」(9世紀 エリウゲナ 83)
③ 始めと終わりの同一性によって、神は全世界と全歴史の弁証法的円環運動の根拠なのである。発出=創造の理論(ディオニシウス)

Ⅲ マリア―エクレシア―救済
①「わたしは見た。神の子が十字架に架けられている間に、エクレシアの姿が永遠の計画にしたがって光り輝きながら急いで彼の元に降りてくるのを。・・・私は天からの声が御子に向かって言うのを聞いた。「息子よ、この女をお前の花嫁としなさい。それは私の民を取り戻すためである。彼女は私の民の母となり、水と聖霊の救いの神秘を通じて彼らの魂を蘇らせるであろう」(SCI VIAS Ⅱ第6の幻視)
②図⑥「キリストの網としてのエクレシアの子宮」(Sci vias Ⅱ 第3の幻視)
右上:キリストの祭壇を抱擁するエクレシア 
左上:子供とともに音楽を奏でる母なるエクレシア(教会が巨大なオルガンとして表される時もある)
右下:三位に触れ、呼び出して洗礼を施し、キリストの網である子宮で志願者を養うエクレシア
左下:救いと滅びの道を教えるイエス・キリスト
●キリストの花嫁としてのエクレシアはカルワリの丘での婚姻から生まれた。

まとめ
シンフォニーを懐胎したマリアは、神人協力の地上の共同体であるエクレシアの姿を、計画された救済の完成として、宇宙―神のことばと響き合うシンフォニーとして予示する。

全体のまとめにかえて
●エヴァの罪とは何か?命の源であるべきエヴァは、物質の母体が「神の愛」であることから遠ざかってしまい、いわば唯物論的な元素を懐胎・産出するに至った。マリアはこの物質に神の言葉(知恵)を再妊娠し、命(の意味と根拠)を再創造する。
●知恵とは響きである。響きとは神の始原的な言葉である。私たちは祈りにおいて、響きに感応する。
●救済とは罪からの根源的な解放を意味する。それは性的な穢れに一面化されるものではなく、「知恵に聴き従う」、ということではないのか。それは人間の霊的・自然的本性に根差している、というのが、救済可能性の絶対的根拠である。イエスはその模範であり、マリアはその例示でもある。
●「人類の歴史[宇宙の歴史]は救済の歴史である」
―救済史というパースペクティブから見れば、時が満ち御子を生むマリアは、一方にエヴァを予示的な形姿としてもち、エクレシアを終末論的な形姿として立っている。エクレシアは時の終わりにおける救済の完成へと地上を旅する。

補追
遠藤周作が、「母の宗教」「父の宗教」というエリック・フロムの概念を用いながら、自分のキリスト教の根底にある「罰し・怒る神」としての「父の宗教」への違和感を、『沈黙』の主題として説明している。(「異邦人の苦悩」)
「おそらくイエスもこの母なる川のない土地に生まれた宗教に育ちながら、母なる川のないことに苦しまれたに違いないと、私は思うのである」(同上 153P)
「母なるもののイメージを自然のなにかに結びつけるのは汎神論のひとつのあらわれであるが、同時に東洋人の宗教心理の特徴であるように私には思われる」(「ガンジス河とユダの荒野」165P)
「東洋人の宗教心理には「母」なるものを求める傾向があって、「父なるもの」だけの宗教にはとても従いていけないというのが私の持論である」「旧約聖書的な父の宗教との隔たりをいつも感ぜざるを得なかった」(168P)という述懐は、遠藤のキリスト教理解を端的に物語っている。
この点の深部において、ヒルデガルト「受肉論」の日本における紹介は、意味を持つのではないか。

参考A)ギリシャにおける「魂とハーモニー」
① 「ハルモニア(音の調和・音階)には、いましがた魂についていわれたすべての特性が備わっている。つまり、これもやはり美しくて目に見えず非物体的なものである。あるいは魂とは、一部の人たちが主張するように、一種の「調和」であって、死に際して、ちょうど竪琴の響きが絶えるように消え去ってしまうのかもしれない。」(シミアス 158P⇒これは「魂の不滅説」とは相いれないという点でプラトンの説とはならない)
アルクマイオン(BC500):等律説(Isonomic)・ガレノスに影響を与えている(『西洋医学史ハンドブック』106P)
② 「(アルクマイオン等にとって)健康とは体内における諸要素の「調和」であった。そうした見地からすれば、「生命原理」がやはり「調和」と定義されることは当然であったはずである」(『プラトン入門』159P)
③「(神が人間に視覚を与えたのは)天にある理性の循環運動を観察して、この乱れなき天の循環運動を、それと同族ではあるが乱れた状態にある我々の思考の回転運動のために役立てること・・・音声を聞かせる用をなす分野のものにしても、諧調(ハルモニア)のために与えられたのです。そしてこの諧調というものは、我々の内にある魂の循環運動と同族の運動を持っているものなのでして、いやしくも理性に与り、その上で詩神たちと交際を持つほどの人にとっては、(快楽のために与えられたのではなく、我々のうちにあって)、調子外れになってしまっている魂の循環運動のために、これを秩序と自己協和へ導く友軍として、詩神から与えられたものなのです。なおまた律動(リュトモス)も、我々の内部が、大多数のものにあっては、尺度のない、優雅さを欠く状態にあるために、やはり同じことを意図して、同じ神々から援軍として与えられたのでした。(『ティマイオス』72P)
③ 「音」とは、「耳を通じ、空気の作用によって、脳と血液に及ぼされ、魂にまで伝えられるところの打撃」であると規定し、また、「その打撃によって引き起こされ、頭に始まり、肝臓の座のあたりに終わる動き」を聴覚だと規定する。(同上122P)
④ 「こうして高―低を混合して、一体化された感覚印象を産み出すのです。そしてこうしたことから、愚か者には快楽をもたらしましたが、知力あるものには歓喜をもたらすのです。――というのは、神的な調和の模像が、死すべき運動の中に生じたのですから」(同上152P)
⑤ タゴラス(BC500頃)―医師であると同時に哲学者―音響学者でもあった。
ミクロコスモス=マクロコスモスは同じ数学的法則の支配下にあり、それを耳で聞きわけることができると考えた。

B) ヒルデガルトとハーモニー
① この世の終わりには、すべてのものが浄化される。やがてそののち四つの風[元素]は交響曲の中で一つの歌を生み出すのだ。(5 審判の日)
⑥ 回転する石臼や荷を運ぶ荷車が独特の音を出すように、天空もその回転とともに不思議な音を出している。だが天空は非常に高く、かつ広いために、私たちはその音を聞くことができない。(10 天空のハーモニー)
⑦ 世界が互いに調和しあう4つの元素で構成されているように、人間も互いにハーモニーを醸す4つの体液によって構成されている。この4つの体液がそれぞれ適切な秩序と適量を保っていれば、人は安らいでおり、健康でいることができる」(57 要約)


<歌詞>Ave, generosa
Ave, generosa,gloriosa et intacta puella.
Tu pupilla castitatis,
tu materia sanctitatis,
que Deo placuit.

Nam hec superna infusio in te fuit,
quod supernum Verbum in te carnem induit.

Tu candidum lilium,
quod Deus ante omnem creaturam inspexit.

O pulcherrima et dulcissima,
quam valde Deus in te delectabatur,
cum amplexionem caloris sui in te posuit,
ita quod Filius eius de te lactatus est.

Venter enim tuus gaudium habuit,
cum omnis celestis symphonia de te sonuit,
quia, Virgo, Filium Dei portasti,
ubi castitas tua in Deo claruit.

Viscera tua gaudium habuerunt,
sicut gramen, super quod ros cadit,
cum ei viriditatem infudit,
ut et in te factum est,
O Mater omnis gaudii.

Nunc omnis Ecclesia in gaudio rutilet
ac in symphonia sonet
propter dulcissimam Virginem
et laudabilem Mariam, Dei *genitricem.
Amen
めでたし、いと気高く栄光と完全に満ちた乙女、ああ①純潔の瞳よ
あなたは神がおおいなる喜びを感じられた聖なる②物質[母体/源/matrix]
③ 天(上の精髄)があなたに注ぎ込まれ、神の偉大な③ことばは、④あなたの中で肉をまとわれた
⑤すべてが創られるはるか以前、神はあなたが⑥白い百合のように輝くのを視た
ああ、美しく愛すべき[甘美なる]お方
神が熱い抱擁をあなたの中に埋めたとき、神の喜びはいかばかりであったでしょう
こうして御子はあなたの⑦乳房に養われるのです
② あなたの胎は、響き渡る⑪天上の調べに歓びの声をあげ、①あなたの純潔が神にあって光り輝いたとき、処女よ、あなたは御子をお産みになりました
あなたの胎は歓びに満たされた
露が降りる草のように、⑧露は緑の命を草に注ぐ。ああ、すべての歓びの②母、⑨御身の中でも同じことが起きたのです
すべての⑩教会が喜びに輝き、⑪天上の調べに響きわたりますよう
いと甘美なる処女マリア、神の母を讃えますよう
アーメン
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プロフィール

johanusuda

Author:johanusuda
臼田夜半
鴨川市在住
著作『病という神秘』(教友社)
  『ネロの木靴』(地湧社)
  『聖ヒルデガルトの病因と治療』(ポット出版)
制作『いのちの大切さ』
(文部科学省学習支援ソフト)

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