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ヒルデガルト研究会

12世紀ドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神学・医学・薬草学・音楽についての研究

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ヒルデガルト序論―共苦する眼差し

①はじめに― 一枚の絵から―「宇宙=人間」
「人間は天地と一切の生きとし生けるもののすべてを自身のうちにもち、万物を自身のうちに保護し支えるただひとつの形姿」(『病因と治療』)なのである。

② ヒルデガルトという女性
1) 1098年、ドイツ・ライン川中流域ベルマースハイムの地方貴族の家に10人兄弟の末っ子として生まれ
2) 8歳でベネディクト会系女子修道院に入り、その生涯を修道女として過ごした。
幼時から81歳の死に至るまで、その生涯は、重い病の連続で時には数年間続く病臥を幾度となく経験した。
3) 3歳で最初のヴィジョン(幻視)を見る
42歳のとき、ひとつの大いなる輝きとともに轟きわたる天上の声に、見聞きしたすべてのことを書き表すように強く促される。
4) 預言書などの著作
第一の書『道を知れ』、『生の功徳の書』『神の御業の書』
⇒「預言書」「ヴィジョン」とは何か?
自然学・医学・薬学にも通じ、『自然学』(単純医学の書):百科事典
『病因と治療』(複合医学の書):総合的手引書
5) 音楽家・劇作家
6) 医学家・施術者:施薬院・療養所の性格を併せ持っていた修道院で、数多くの実践的な治療を施す。
●「病因と治療」

③ 時代背景1)
12世紀ルネサンス
2) 1147年:十字軍の第二次遠征
3) カタリ派(「清浄なるもの」南仏アルビ派)の異端審問の激しい時代:グノーシス主義(霊肉二元論)⇒マニ教(⇒ゾロアスター教)
4) シスマ:皇帝バルバロッサと教皇との関係

④ 思想的系譜または関連
1) 知恵の書を中心とする旧約―ヨハネ福音書・黙示録を中心とする新約
2) 教父神学 アウグスティヌスほか
3) アリストテレス以降のギリシャ思想―自然学
4) ガレノスを中心とするヒポクラテス以来のギリシャ医学とアラブ医学の影響の可能性

⑤ 治療例―ジグヴィツアという女性
A) 経過
1) すでに7年以上病んでいるジグヴィツァという「ごく若い高貴な一人の女性」がいる。
2)「正しい感覚と行動を奪われて、しばしば叫び、見苦しいやりかたで振舞った」。
3) 民衆を長い間不安に陥れた女をじかに見たり声を聞くようになるこの女の到着に始めはかなり動揺した。だが男の人の手を借りることもなく、この病人を修道女たちの住まいに連れて行った」
⇒「統合失調症」に近いものであろうか。当時は「悪魔憑き」と呼ばれた。

B) 祓魔式[抜魔式]
1) 1170年の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式の儀式が行なわれる。
2) 司祭が洗礼盤に湛えられた水を聖別し、水に息を吹き込む。
3) ジグヴィツアは恐れおののき、その細い足は地面を掘るほどに震え始め、口からは靄のようなものを吐き出す。
4)「サタンよ、この女の体という仮小屋から立ち去れ。」
5) 不純な霊は重いおりものとなってジグヴィツァの体外へと排泄される。

C) ジグヴィツアの病態とヒルデガルトの診立て
1)精神錯乱
「湿ったリボールが錯誤を生み出し、そのため彼は自分を引き裂き、邪悪で正気とはおもわれない言葉を発する。彼はまた邪悪でもあり、怒りやすく、脳は逆上しており、落ち着かず、めったに高齢まで達しない。」(「病因と治療」57 再び一時的精神錯乱について)
2) 怒りについて―悲しみと怒りの身体論
1. 「しばしば叫んだ」と描写されるこの叫びは、怒りを推測させる。
2. 悲しみはどのように怒りを生み出すか
「人の魂は自分や自分の体にとって都合の悪いものを感じ取ると心臓や血管そして肺を収縮させ、心臓のまわりに霧のようなものが立ち昇って、心臓を曇らせる。それで人は悲しくなる」
⇒「心臓を覆っていた悲しみの霧は、すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出し、この蒸気は胆汁をかき立て、この胆汁の苦みから怒りが生まれる。」(『病因と治療』悲しみと怒り)
「怒りが治まらないと、蒸気は黒色胆汁にまで達し、黒色胆汁をかき立てて黒い霧を外に送り出す。」
⇒「この霧は胆汁に達し、胆汁から非常に苦い蒸気が生み出される。やがてこの霧は蒸気とともに脳まで達して有害な体液をかき立て、まず最初に17)その人の頭を病気にする。ついで胃まで下りてゆき、胃の血管と胃の内部を襲い、その人をまるで錯乱状態のようにする。こうしてその人は知らぬ間に怒り出すのである。」(同上)

■4体液―体液説の一般的な説明 
体液病理学は古代ギリシャから18世紀にいたる。
「人間の体液は血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁からなり、その体液のバランスによって病気が引き起こされる」
1) 4元素(空気、水、火、土)
2) 4元性(冷、熱、乾、湿)
3) 4体液
1. 空気のように温かく湿った血液
2. 火のように温かく乾いている黄色胆汁
3. 水のように冷たく湿っている粘液
4. 土のように冷たく乾いている黒色胆汁

■固体病理学
●1) 古代ギリシャには固体病理学(臓器病理学)の学派があったがヒポクラテス(紀元前400年頃)コス派の体液説が優勢となる。
●体液説の主要な治療は瀉血や下剤によって悪い体液を排出することが中心。
●2) 古代ローマ時代、ガレノス(紀元130-200年)によって体液病理学は系統化される。
●3) 18世紀、モルガーニ(1682-1771)により4体液説が否定され固体病理学の基礎が固まり臓器病理学へと発展する。顕微鏡の発明。

■細胞病理学
●現代病理学の父といわれるウィルヒョウ(1821-1902年)によって細胞病理学(病気は細胞の質的・量的変化によって生じる)が誕生し、体液病理学の幕は閉じる。
●電子は粒子と波の両性格を持つ。
●身体論的には
東洋医学でいう五行「木・火・土・金・水」と4元素
「気・血・水」と4体液の相関性に戻って捉え返すことが、西洋医学と東洋医学の根底的な止揚にとって必要なのではないか。

●次にC)で見た見立てに対してどのような処方がなされるのか。

D) 薬の処方
a) 精神錯乱(狂気)への処方
1) 帽子の着用
 脳に冷えがあり、それにより頭がおかしくなった場合は、ローレルのベリー(液果)を粉末にし、それに小麦粉と水と混ぜこねたものを、頭を剃った上で頭部全体に塗る。頭の内部(脳)が温まるまで、こね粉を塗った上にフェルト帽をかぶって眠る。練り粉が乾いたらまた同じように造って頭に塗る。これを繰り返し行えば正気に戻る。
(166 狂気)
⇒これは冷えのある場合の処方。
2) フェンネルとコストマリー
 雑多な思念から知恵や理解力がなくなり、狂人になってしまった場合、フェンネルとその3倍量のコストマリーを茹で、この冷ましたゆで汁を頻繁に飲ませる。コストマリーの液汁は悪い体液を抑制し、正気に戻す。フェンネルの液汁は均衡のとれた幸福感をもたらす。この薬草に軟水を入れ加熱したものは、理解力を回復させる。(168 狂気)

●次に先に見た怒りに対しはどのような処方がとられるのか。
b) 怒りへの処方
1) 香りの療法
「怒りに駆られて具合が悪くなる人は、ローリエの漿果を熱い瓦の上で乾燥させ、それを粉末にしたものを用意する。セージとマジョラムも天日で乾燥させて粉末にし、それをローリエの漿果の粉末とともに小さな箱に入れる。心地よい芳香がするので、これを顔の近くに置くとよい。」(『病因と治療』怒り)
⇒香りの作用。「正しい感覚と行動を奪われた」ジグヴィツアの理性に、香りが働きかける。
2) 塗り薬                 
「この粉末の一部を少量の冷たいワインと混ぜ、額、こめかみ、胸を清めるとよい。ローリエの漿果は怒りによって乾の状態になった体液を湿らせ、マジョラムの熱は怒りに突き動かされた脳を鎮め、セージの乾いた熱は、怒りが打ち砕いた体液を凝集させる。これらが常温のワインがもつ本来の甘さと混じり合うと、怒りによって惑乱した額やこめかみ、胸の血管を落ち着かせる働きがある。」(同上)
⇒これは乾の体液状態の患者への処方。

3) 食事療法
■食事の基本
1. かゆ
「乾燥した食べ物は体液をさらに狂気の乾燥へと導くので避けたほうがよい。血液に程よい水分をもたらし、体液を適切なバランスに戻し、意識を狂気から逸らすには、良質であっさりした食べものを摂るのがよい。油ではなくバターかラードで作ったセモリナ(訳注:小麦の粗びき粉)のポリッジ(かゆ)を食べるのもよい。これは脳の虚ろを満たし、脳の冷えを温める。油は粘液を引きつけるので避けたほうがよい。」
2. スープ
さらにナツメグとカヤツリグサを粉にし、グラジオラスの根とオオバコをすり潰したものに塩を入れ、これに小麦粉と水を加えて薄いスープを作り、これを飲ませる。
3. ワイン
ワインは混乱した体液をさらに混乱させるので、飲まないほうがいい。蜂蜜は貧弱な体液をいっそうだめにするので、蜂蜜酒も飲まないほうがいい。ただの水は意識をいっそう愚鈍にするので飲むべきではない。フェンネルとコストマリーから造った醸造酒とビールは貧弱な体液と意識を抑えこみ、狂気の猛威を打ち倒すので飲んでもよい。」(168 狂気)
●ベネディクトのRegula(規則)の病者の食事に関する規則
病者には週3回は豚肉または羊肉・または鶏の肉

4) 瀉血療法
●これに瀉血が加わるのが一般的である。-性別・年齢・季節・瀉血量などの規定
 *乱切法
E) 全体性治療
1) まずジグヴィツァを収容した自分たちの修道院と、修道院を取り巻く周辺の地域共同体の住人全員に、聖母マリアの清めの日(2月2日)から復活祭前日の聖土曜日に至る少なくとも50日を越える期間、ジグヴィツァのために祈りと喜捨を奉げることを求め、そして実行される。
2) 修道院における共同生活
=建築思想:「オイコス(家:家政)」の概念 療養所はオテル・デュー(神の客たちの宿)
病室・看護所・薬局・医師の家・瀉血室・入浴場/食堂・書斎・図書館/薬草園・果樹園・菜園・養魚場
●教会と住居・病院と作業所や菜園などの生産施設を併せ持ったひとつの独立した町のような総合空間。
●身体としての建造物:共同体的身体 
1. 思考(頭)から排泄までの全身的身体機能をもつ
2. 祈りという精神性と労働という肉体性⇒「祈れ、そして働け」オーラ・エト・ラボラ」
1日7回の祈りと労働
3. 生の場であると同時に死の場でもある。(ソレムの予約された墓地)

3) 生活法にとって重要な6つの要素
1. 光と空気=環境(上記2参照) 
*音楽と香り⇒ヒルデガルトの音楽 香りと塗油
2. 飲み物と食べ物 特にぶどう酒の位置
3. 運動と安静
「運動そして安静」(モトゥス・エト・クイエス)
4. 適度の睡眠
5. 体液の排泄または保持
 水分の供給と入浴=体液と力の制御⇒入浴後の塗油

■特に性について
●女性性にまつわる精神的・社会的苦悩が身体化したもの
●ヒルデガルトにおける性の本質的な相補性の理解
「男と女はまったく互いのために創造されている」[男と女は一つの全体として互いに応えあう]「欠けることのない喜びを人間はけっして自分自身の内部だけから得ることはできない。人間はそれを他者からの贈り物として受け取らねばならない」(神の御業の書)
⇒ヒルデガルトにおける性の理解の自然性・寛容性とジグヴィツアの性的抑圧からの解放
(肉体を悪・穢れたものとするカタリ派への対応があった)
6. 感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る
⇒ジグヴィツアの場合は、ここが治療対象となっている。
 ――「言葉による治療」(ロゴテラピー)女の中の悪霊とのたえまない対話の継続
   *記憶の遡行
4) 病に対する総合力
こうして初めてジグヴィツァの精神に、悪と向き合えるだけの力が与えられる。力とは、共同体の祈りの集積とそれへの感謝、身体を包む住環境や孤独を癒す人間関係、体を養い力を与える食事や薬などの、その総体である。
●治療とはその総体であり、中心となるのは傷ついた魂の救済(と関係性の回復)である。

●「悪魔つきは肉体の病である」として掴まれて施される総合的な治療法は最終的には抜魔式という魂の救済の象徴的な場面で大団円を迎える。ではこのような一連の治療は、魂と身体をどのような関連の中でつかまれたものだろうか。

⑥ 魂と身体
1)「人間は原初から、つまり上部においても下部においても、外部においても内部においても、どの部分においても彼は肉体として存在している。そしてこれこそ人間の本質である。」
●肉体こそが人間存在の本質であるという明快な断定!これはパウロの霊肉論を含め、キリスト教思想の中では特異なものである。
(キリスト教的唯物論:ベーメ⇒テイヤール・ド・シャルダン)
2) 「樹木のうちなる樹液、それにあたるのが身体のうちなる魂であり、樹木がそのすがたを繰り広げるように、魂はその霊的な諸力を繰り広げます。魂は身体の内なる支えであり、担い手なのです。」(「道を知れ」)
●これは身体各器官に位階制のない流動的体液として理解される身体論によっている。
「ヒルデガルトは肉体の外なる魂の立場も、身体の内なるこの魂の場も知らない。魂は身体のどの部分にも生きている。ちょうど身体がまた魂によって生かされているように、身体と魂は相手なしには成り立たない関係である。」(シッペリゲス)
●肉体は細胞の一つ一つに至ってもなおそのうちに精神を宿すものであり、精神はその隅々まで肉体を負っているものである。

●ヒルデガルトにおける魂と身体との関係を見てきたが、身体―とくに各臓器についてどのように捉えられていたのか補足的に少しみておく。ここでは特に脳と心臓の理解に注目したい。

⑦ 身体論について
●まず各臓器と人間の精神的諸要素との関係について。
1)「知識は心臓に属し、感情は肝臓に、理性の回路は肺に属する。目は人の通路であり、鼻腔は人の知恵である。」
●脳はヒルデガルトにあっては必ずしも主要な身体的器官としてではなく、[狂気]の次の項目で、感情の作用する場としていわば病理的に扱われるに過ぎない。
「脳は良い体液と悪い体液の影響を受けるので、常に柔らかく湿っている。乾燥すると患う。脳は本来湿っていて脂肪質であり、人の意識や知恵、理解するための素材である。
脳はまた思考する力を持っている。煙突に口があるように脳には目、口、鼻という通路があり、この通路の出口が喜びや悲しみなどの感情を表す。」(病因と治療 91 脳)
「魂は心臓に位置し、窓を通り抜けるようにして思考し、燃える火が煙突を通り抜けるようにして思考力を脳に送り出す」「脳は思考を心臓で識別し、思考を体に広げる。」(同上 95 魂の居場所)
●心臓が中心で脳はその従位にある。
●胃についての特異な身体思想
2) 身体の根幹を占えめるのは脳や心臓ではなく、むしろ消化器である胃である。
●「人間は天地と一切の生きとし生けるものすべてを自身のうちにもつ」という「宇宙=人間で見た人間論が基本にある。諸物を人間の内に取り込む一つの重要な行為が「食べる」ということであり、それを司る胃は、その宇宙論的な身体論の中心的な臓器となる。

■脳死判定の身体論についての若干のコメント
●注:中世における脳と心臓の位階の転移(ル・ゴフ「中世の身体」)
1. 脳(頭)ローマ時代、脳は魂の座す場―体の統御機能を行使する器官:斬首・首狩は人格と力の切断を意味する。
2. 頭部の位置の上昇はキリスト教の体系の中で高められる。:キリストの体と頭であるキリスト
頭:教皇(教権) 心臓:君主(王権)⇒このメタファーは後に逆転したりする。
3. 12世紀終わりから15世紀にかけ、心臓のイデオロギーが花開く。
「体の中の太陽たる心臓」
⇒聖心信仰「イエスの柔らかなる心臓」(聖ベルナール)
⇒十字架上のキリストの傷口が右から左に移される。
●心臓か脳かの議論は、人間という存在の全体性の中で何を最重要と思っているかということを鋭く描き出す鏡であり、死生観を含んだその社会の身体論(生命論)の根本的な表白である。
「脳死」を法律化する社会とはどのような社会であるか?
●肉体は細胞の一つ一つに至ってもなおそのうちに精神を宿すものであり、精神はその隅々まで肉体を負っているものである。

●以上のような魂と身体との関係及び身体論を見てきたが、ではこのような身体ととって病とはなにか、を見てゆく。
●病とは忌むべきもの、避けて通りたいもの、できるだけ早く押さえ込み、直すもの、病とは敵なのだろうか。

⑧ 病とは何か
●ヒルデガルトにとって病の原因は、次のように考えられている。
1) 病の原因
1.原罪(アダム⇒黒色胆汁)⇒病とは根源的な状態の喪失を意味する。
●4体液の乱れ―わけても黒色胆汁の過剰として掴まれるHの体液論の根底には、アダムにおける「水晶のように輝いていた」原初的な生命-胆汁の均衡を保っていた身体の罪による崩壊と、それからの根源的快復の希望というキリスト教信仰の独自性がある。
2.病とは試みである⇒病とは人間的な本性に至る道筋である。
3.病は不節制による⇒肉体の自然的中庸からの逸脱
2) 病とは人間の自然的本性自体が、身体的・精神的自然からの逸脱を言い当てる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもある。
病とは「なされずにいる状態」「とりやめた状態」「欠如、あるいはズレの状態」の告知である。
●これらは論証されるべきものというよりは、ヒルデガルトが痛みの中で経験した信仰的真実というべきであろう。
3) 病者
「病者に対してはキリスト自身に対するように奉仕すべきである」(ベネヂクト「規則」)
「病者への介護は労働や個人的欲求や個人的願望よりも上位の、最上の地位を与えられ、神への奉仕よりも上位ですらあった。」(シッペルゲス「中世の医学」

⑨ 治癒することの意味
1) 「治癒する」とは、自然的本質の快復を通した存在の全体性とその関係性の快復を意味する。⇒それは必ずしも「旧に復する」とことを意味しない。
●世の終わりにおける快復への希望(⇒⑩参照)
2) 快癒に向かう治療は存在の全体に及ぶものである。こうして存在の総体に及ぶ治療において初めて「治療」(heilkunde)は、魂を含む存在の「救済」(heilskunde)となる。
●「治癒の歴史は同時に救済の歴史である」という時、この歴史すなわち時間性が人間の自然的本質の恢復する過程だとすれば、人類史はそれ自体として救済史であるという「希望」を意味する。
3) ヒポクラテスの箴言
「ことばが癒しえぬものは薬草が癒す。薬草が癒しえぬものはメスが癒す。メスが癒しえぬものは死が癒す。」
4)死という救いについて
 死からの自由と死という希望
⇒万物は滅びることができる(ヤコブ・ベーメ)

⑩ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)               
1) ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトはジグヴィツァと同じ症状に襲われる。
2) 癒す者(ホモ・コンパテイエンス)と癒される者(ホモ・パティエンス)との関係
3) ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。ヒルデガルトは自ら言う。「血脈は血液もろとも、骨は髄もろとも、死から目覚めたもののように、再び健康を取り戻しました。」
 その姿は「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。

結語に代えて
―私たちはこの世を巡礼する民である。
1) 一枚の絵に戻って
「このとき、今はまだ精神を身体に縛りつけている私たち人間の魂は、その魂に見合った体を身につけるであろう。こうして人間は全体として救われる。」(『生の功徳の書』)
「人間たちは魂も身体もその無傷の肢体において、すなわち身体と性の完全な状態において、ただ一瞬のうちに復活するであろう。」(『道を知れ(スキヴィアス)』)

2) 病んでいることは、中世にあっては、われわれに割り当てられたこの地上での限りある生の期間に、病める者と健康な者がともに共同して両者の永遠の救済を遂行する一つの生の形式なのある」(シッペルゲス「中世の患者」)            
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johanusuda

Author:johanusuda
臼田夜半
鴨川市在住
著作『病という神秘』(教友社)
  『ネロの木靴』(地湧社)
  『聖ヒルデガルトの病因と治療』(ポット出版)
制作『いのちの大切さ』
(文部科学省学習支援ソフト)

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