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ヒルデガルト研究会

12世紀ドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神学・医学・薬草学・音楽についての研究

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第4回ヒルデガルト連続セミナー「病とは何か」

第4回ヒルデガルト連続セミナー (2013・6・15)

第4回セミナー

Ⅰ 一精神疾患者の治療経過
Ⅱ 感情・肉体・魂の相関と病の根源
Ⅲ ヒルデガルトの全体性医療
Ⅳ 病とは何か
Ⅴ 治癒することの意味
Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)

Ⅰ 一精神疾患者の治療経過
A) ジグヴィツァの症状と治癒までの経過(『聖女ヒルデガルトの生涯』第20章~24章要約)
① ライン川下流域に住むジグヴィツァという名の高貴なる若い女性が悪魔に取り憑かれたという知らせが入った。彼女はすでに7年以上病んでいたが、正気を失い、下品な振舞いをし、しばしば叫んだ。
②ジグヴィツァを収容したある修道院では、3ヶ月にわたって治療を試みたがその効果はなく、ヒルデガルトに救援の手紙を送ってきた。
③ヒルデガルトは手紙を返し、断食・苦行・布施の後、ミサを執り行い、7人の司祭による伐魔式を行わせた。すると邪悪な霊は力の限りわめき、周囲の者を恐怖におとしめるほどに悲しく恐ろしい叫び声を上げ、半時間も狂乱状態が続いたあと、ついに悪霊は憑依していた器から去っていった。ジグヴェツァは自ら祭壇の前にひれ伏して神に感謝のことばを捧げた。会衆から歓喜の声が上がったのも束の間、彼女は全身を震わせて叫び、咆哮を上げ、以前にも増して荒れ狂い始めた。そして、空になった器に再び舞い戻った悪霊が叫んだ。「あの年老いた女の前でのみ自分は去るだろう」。悪霊はヒルデガルトを指名したのである。
④こうしてジグヴィツァはヒルデガルトのもとに送られてきた。民衆を長い間不安に陥れた女の到着に、会うまではヒルデガルトも恐れを抱いていたが、男手を借りることもなく大騒ぎになるともなく、ジグヴィツァを修道女たちの部屋に連れて行くことができた。
⑤修道院に移って以降、悪霊はジグヴィツァに混乱や恐怖を沸き起こし、嘲笑や下品な言葉を吐かせ、忌まわしい蒸気を吐いた。だがこの悪霊が聖堂から聖堂に移る際、あるいは女のために施しをした時や聖職者の祈りを聞いたときなどに、一瞬ひるむことがあるのを、ヒルデガルトは見逃さなかった。
⑥自分の修道院と近隣の人々に、聖母マリアの清めの日(2月2日)から復活祭前日の聖土曜日に至る50日を越える期間、ジグヴィツァのために断食し、祈りと喜捨を奉げ、苦行に励むことを求め、実行された。
⑦ジグヴィツァに聖霊の力が及び始めたのだろう、ジグヴィツァは洗礼の救いや聖体の秘蹟、破門の危機やカタリ派の破滅などを人々の面前で口走るようになった。●時代背景
⑧1170年(ヒルデガルト72歳)の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式が行なわれた。司祭が洗礼盤の聖別した水に息を吹き込むと、ジグヴィツアは恐れおののき、その足をばたつかせて震え始め、口からは靄のようなものを何度も吐いた。
司祭が命じる。「サタンよ、この女の体から立ち去れ。」
するとおぞましい霊はおりものとなって排出され、出て行った。こうしてジグヴィツァは解放され、その魂と身体の感覚は健康に保たれることになった。

B)ヒルデガルトの診立て
①「私はヴィジョンの中で、この症状はある悪魔によって一つの球の中に集められた黒い影と煙が、その娘を暗くしたものであるとみた。これが彼女の理性ある魂の敏感な部分の全域を圧迫し、彼女の高い理性をもって行う祈りを許さなかった。」
●この見立ては上記②の時点であり、遠隔にジグヴィツァの魂を見ていたことになる。
②「わたしは悪魔がどのような形で人間の中に侵入するのか知りたいと考えていた。
「たいていの人は、発狂した人を悪魔に取り憑かれていると考えがちだが、そうではない。」(90 狂気)
「悪魔はその本来の姿で人間に入ることは許されないので、黒い影と煙とをもって人間を覆って暗くし、正気を失わせ、下品な振舞いをし、叫ぶのである。・・・その間、人間の魂は眠ったようになっており、その間、肉の体が何をしているかを知らない」(『ヒルデガルトの生涯』253~254P)

C) ヒルデガルトには魂がどのように見えていたか―5種類の状態(Scivias Ⅱ-6 195P)
1) 体に光を、魂に炎をもつ人
2) 体は青ざめ、魂は暗く見える人―信仰において生温かく鈍い心のもの
3) 体に剛毛を生やし、魂には多くの穢れをつけて不潔になっている人
4) 体がきわめて鋭い棘に覆われ、魂には癩が現れている人―心が怒りや憎しみ、妬みに覆われている人
5) 体に血をつけ、魂は腐敗した屍さながらに悪臭を放っている人―血に染まった手で残酷な行為を行ったもの
●ある者は炎のような輝きを注がれ、他の者は暗雲に閉ざされたように暗くされていた。


Ⅱ 感情・肉体・魂の相関と病の根源
A) 怒りの奥にある悲しみ―症状と病理 
●上記に描写されるジグヴィツァの症状には「怒り」と「錯乱」がある。
「怒りは悲しみから生まれる。」(146 胆汁とアダムの罰)
①怒りと錯乱が発生する身体的メカニズムと魂の働き
「人の魂は自分や自分の体に1)*逆らうもの(aliquid adversi:something adverse)を感じ取ると2)心臓や肝臓そして血管を収縮させる。そして3)心臓の周りには霧のようなものが立ち昇り、4)心臓を曇らせ、こうして人は5)悲しくなる。」*見、聞き、考え
「心臓を覆っていた6)悲しみの霧は、7)すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出す。この蒸気が8)胆汁をかき立てる。こうして9)胆汁の苦みから静かに10)怒りが生まれる。」 
②悲しみから転化した怒りが治まらずに継続した場合、どのように精神を錯乱させるのか、そのメカニズムが次に述べられる。
「11)怒りが治まらないままでいると、12)蒸気は黒色胆汁にまで達して13)黒色胆汁をかき立てる。すると黒色胆汁はひどく黒い霧を送り出すようになる。」
「14)この霧は胆汁にまで達し、15)胆汁からは非常に苦い蒸気が吐き出される。さらにこの霧は蒸気とともに脳まで達して有害な体液をかき立て、まず最初に17)頭を患わせる。
18ついで胃にまで下りてゆき、19)胃の血管と胃の内部を襲い、20)その人を錯乱状態に陥れる。こうしてその人は無自覚なうちに怒り出すのである。人は精神の錯乱から荒れ狂うというよりはむしろ、怒りから荒れ狂うことのほうが多い。」
(146 悲しみと怒り)
① 2)~20) 臓器と体液の反応と連鎖
魂⇒心臓・血管・肝臓の収縮(注意!)⇒心臓周辺に霧(魂の場である心臓:悲しみ)⇒胆嚢[肝臓]に温かい蒸気⇒胆汁を掻き立てる⇒胆汁の苦味から怒りが生まれる」⇒(怒りの継続)⇒蒸気が黒色胆汁を掻き立てる[脾臓]⇒黒い霧を出す⇒⇒胆汁[胆嚢]に浸透して苦い蒸気⇒この蒸気が脳を患わせる⇒蒸気が胃に達し、錯乱し、怒る
② 2)~20) 精神的反応の連鎖:「錯乱⇒怒り⇒悲しみ⇒魂の不快感(逆らうなにか)」と、魂へと遡る。
③ 蒸気・霧はヒルデガルトに見えているもの
④ 1)魂は「逆らうなにか」[敵対するなにか]を瞬時に感じ取り識別している。
●上記の主語「魂」を「心」と読み替えることが可能だろうか?

■補足:どこにも「逆らうもの」がないときの魂の喜び⇒「甘い」
魂のもつ知識が自分の中に悲しいことや敵対的なもの、害するようなものを感じ取ることがなければ、心臓は花が太陽に向かって花開くように喜びを解き放つ。(149 喜びと笑い)⇒次項「甘い」
●「魂の注入」が川の流れのように描写されたように、体液の反応も川の流れのように見ている。川に岩礁があれば波立つように、体液も変化を通して「逆らうもの」を伝える働きをする。
●「自分の中に」とは、全身にいきわたる省察の感覚。糾明。祈って決める感覚に同じ。

B) 「甘い-苦い」―魂(あるいは身体)の内的感覚
●上記A)は診察側から見た「病理」であるが、病者の側の内的な感覚は「甘い」「苦い」であることが述べられる。この中には診察側の観察も含まれている。
① 甘い―苦い
1)「思い(cogitationes:thoughts)が心臓に留まっているとき、その思いは甘いか苦いか、そのどちらかを持っている。2)甘さは脳を豊かにし、苦さは脳を虚ろにする。3)思いに甘さがあると、その人の目や耳や口は喜びを表す。 4)思いに苦さがあると目は涙を流し、話しぶりや聞き方にさえ怒りや悲しみが表れる。5)人の目は天空に似せて造られている。」(91 脳)
1)「思いは心臓にある」
1)2)思いは脳ではなく心臓に座を占める魂の感覚であり、したがってこの「思い」は非言語的であり、アリストテレスのいう植物的・動物的生魂の感覚を含んでいること。(⇒後述)
2) 「思いの甘さ」とは、魂の基軸と一致した感覚であり、「苦さ」とは魂の基軸から「逸脱」(ずれ・歪み・無視)した感覚であること=「逆らうなにか」=魂が本来の働きを覆われている状態。
脳はこの心臓の思いの反映であること。
② 参考:プラトンとイグナチオの「甘い」
●「甘い」「苦い」はプラトン以来の霊的・肉体的感覚である。「自然に反した無理な影響が、それも一気に起こる場合には、この影響は「苦しい[苦い]」ものあり、逆に自然の状態へと一気に戻る影響は「快い」ものである」(『テイマイオス』116P)
●イグナチオは霊動弁別の感覚を「憂鬱」と「はればれ」としているが、これは「精神」に偏した感覚ではないか。ヒルデガルトの「甘い」「苦い」は、肉体を含む生命の感覚に近い。
3)目や耳や口が喜びを表すとは、「甘い」という感覚が「自然的・全的」であることを示している。(⇒「贖われるアダム」の図想起)
●ヒルデガルトの望診、特に魂の露出の場としての目の観察―死の兆候。
話し方や聞き方、理性や精神状態だけでなく、常に感覚作用の観察を通して魂の状態を見る。
●霧や靄や蒸気は魂を「覆い隠し、暗くするもの」であることがわかる。「暗さ」は魂が覆われているサインである。


■魂-感情-身体の関連
肝臓(感情) 心臓     脳            魂
怒り     悲しみ―苦い    虚ろ          逆らうもの―不快
喜び      喜び―甘い    豊か       どこにも逆らうものがない―快*「喜び」には霊肉の位相があり、それを識別する場は心臓である。
●スピリチュアル・ケアとは、シンプルにいえば、「甘い」「苦い」という魂の基本感覚の覆いを取り去り、露出させることになる。

■参考
主体液 プラトン  アリストテレス ガレノス ヒルデガルト
大脳 粘液 理性の霊   理性的霊魂 精神の霊 思考力・理解力の質料     
心臓 血液 感情の霊   動物的生魂 生命の霊 魂の場/思念・思考の識別
肝臓 胆汁  強い欲望の霊   植物的生魂 自然の霊 液汁の器・/感情

●プラトン・アリストテレスの3霊説はガレノスにより「血流説」に採りいれられ、霊は3つの臓器で霊が発生・作用するとされたが、ルデガルトにとって魂[霊]は一つであり、一つの働きである。

C) 怒りの奥にある悲しみについて―原罪と黒色胆汁
●怒りの奥にある「悲しみ」とはなにか。
①アダムがリンゴを食べ、善を知りながら悪を行った時、アダムのこの自己矛盾により、彼の中に黒色胆汁が生まれた。アダムが罪を犯してのちに抱く悲しみと絶望とは、この黒色胆汁から生まれたものである。この黒色胆汁はすべての人間にとって本性となり、すべての病を引き起こす源となった。
●黒色胆汁は、原罪の記憶の体への刻印であり、その「遺伝的」継承である。それは原罪を想起するために埋め込まれた記憶である。
②黒色胆汁は黒くて苦く、この黒色胆汁はいかなる慰めも疑念で覆うという悲しみをもたらす。こうした人は、天上的な命の喜びを感じることも、地上的な慰めに喜びを感じることもない。
●疑念とは「神が自分を守ってくださるという希望を見失う」ことである。
アダムの魂は自らに悲しみを招き寄せ、怒りの中で罪の責苦から逃れる道を探し求めたのである。怒りは悲しみから生まれる。
●「怒り」とは、罪の責め苦から逃れるための屈折である。この世を彷徨っているという悲しみから逃れようとする誤った抗いが、怒りとなって現れる。悲しみと怒りは何層にもなっている。それは黒色胆汁と胆汁との間を行き来する躊躇に現れている。
参考:プラトン「肝臓の獣的欲望に対する「理性」の反応が心臓の「怒り」として現れる。
●逆に見れば、病は、体液の氾濫を通して魂の深部に導く働きである。病とは魂が、身体的・精神的自然からの逸脱を言い当てる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもあるということができる。

D)ヒルデガルト体液論について
①「体液には四つの種類がある。二つの優位な体液は粘液と呼ばれ、それに次ぐ二つの体液はリヴォルと呼ばれる。」(50 体液)
②「火の性をもつ熱から乾いた粘液が、空気の性をもつ湿から湿った粘液が、水の性をもつ血から泡だった粘液が、土の性をもつ肉から生ぬるい粘液がかき立てられ、引き出される。もしこれらの粘液のうちどれか一つが過剰となり、他の粘液によって抑制されたり調整されるようなことがなれば、その人は衰弱し、死んでしまうであろう。もしそれぞれの粘液がしかるべき適量を守り、他の粘液によって相応の量を守るように調整されていれば、各々の粘液は人の体を調和のとれた状態に保ち、健康にする。もし一つの粘液が支配的になると、別の粘液はその下に忠実に従い、それ以外の二つの粘液はリヴォルとともに節度をもって従うようになる。こうした作用が働いて人の体は、鎮まった状態でいることができる。」(50 粘液の種類)
●シッペルゲスの見解:「四つの体液のうち二つの支配的な体液は粘液と呼ばれ、二つの副次的な体液は『リヴォル』と呼ばれる。しかしこのリヴォルという液体が病気の有機体に生ずる変化のうち何に該当するかを正確にいうことは不可能である。」(BH)

■ヒルデガルト体液論の理解と多田富雄「超システムとしての免疫論」の示唆
①「(脳胞を移植されたひよこ[キメラ]が脳自身への拒絶反応を示し、死に至る事態を受けて)身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって脳ではない。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。」(『免疫の意味論』18P)
●これは自己を決定するのは脳ではなく免疫系であるとする象徴的な実験。
②「免疫は「非自己」に対する反応系として捉えるよりは、「自己」の全一性を保証するために存在する。免疫は「外部世界」を監視する反応系ではなく、「自己」の「内部世界」を監視する調整系である。(同上47p)
③「免疫という生命反応を司る分子は、実はさまざまな作用をもった曖昧な分子である。・・・「自己」は本質的に「冗長性」と「曖昧さ」の上に成立する混沌の世界である。」
免疫系における「自己」と「非自己」のに識別能力は環境に応じた可塑性を示す。すなわち場に応じて多様化し、変容した新たな「自己」に適応し、「自己」に言及(リファー)しながら、新たな「自己」を組織化してゆくシステムを造り出す。この動的なシステムを、多田は「超システム」と呼ぶ。(同上104P)
●多田のいう「新たな自己を形成してゆくシステム」は、ヒルデガルトの人間観の核心「孕みの総体としての人間」の思想に含まれている。多田の「超システム」の中心にある自己形成の主体とその働きこそ、ヒルデガルトの統合する主体である「わたしの魂」であろう。「わたし」は「関係の総和」ではないことに注意。

D) ルチフェル―悪魔(Satan)―悪霊
●ジグヴィツアに対する総合治療は「悪魔払い」で仕上げられるが、いったい「悪魔」とはなにか?それは実体なのか、魂の状態なのか?
①旧約聖書:ヨブ記⇒Satan:Satan( or The Accuser ):「中傷者」
新約聖書:マタ4-3(荒野でのイエスの誘惑)⇒tentator:the tempter:「試みる者」「誘惑する者」
●diabolus(悪魔・サタン)の原義は「中傷者」、新約では「試みる者」(誘惑する者)
②ヒルデガルトにおける悪魔と悪霊
1)「悪魔(diabolus:the devil)は嫉妬と憎しみと嘲笑という悪しき感情に起因するすべての悪事をなすもの」(『生涯』255P 要約)
2)「大勢の悪霊(daemonum:demon)の群が普段は人間と一緒に暮らしており、ルチフェルに従ってこの世で謀を企むものである」(58 ルチフェルの墜落)
●悪魔・悪霊とも「人間の魂を眠りこませるもの」=「魂の働きを覆い隠すもの」として描かれており、悪霊の取りついたものの身体からは「黒い霧のようなもの」が発せられる。この黒い霧とは黒色胆汁の発するものであり、天上的な喜びも地上的な慰めも覆い隠す。その状態が固定化したものを「悪霊の取りついた状態」と呼ぶ。
●ヒルデガルトの「悪魔祓い」は、「外科手術もひとつの免疫療法である」という多田富雄の指摘に似て、外科療法的な手法であろう。多田によれば、癌の摘出手術を受けると、それまで癌を異物として認識できなかった免疫システムが働きだし、残留した癌に対して有効に作用し始めるというが、それと同じように、悪魔祓いの後のケアこそが重要であることを、ジグヴィツァの最初の悪魔祓いの失敗は物語っている。


Ⅲ 具体的な治療
●ヒルデガルトの施す治療法のベースはベネディクト会を中心とした修道会医学にある。
「病人に対してはキリストに仕えるように仕える」(ベネディクト『戒律』)
A) 生活法にとって重要な6つの要素(以下『戒律』)
① 光・空気・静寂などの環境 
②飲み物と食べ物
1)食事:第9時にのみ食事。木・日は第6時と夕食。ただし病人には早めに与えてよい。(食事時にランプの灯が必要でないような時間帯の配慮)
1日にパン1斤・調理したもの2品+果物
2)野菜が中心でソラマメ・人参・玉ねぎなど。
四足獣は禁止だが、「非常に衰弱している者は例外」となっている。
ヒルデガルトには四足獣(牛・豚・山羊)なども治療用に登場する。
3)ワインは一日1/4リットル。ヒルデガルトはワイン・ビール、薬用酒には寛容である。
③運動と安静
「運動そして安静」(motus et quies)
●労働―機織・糸巻き・写本・その他の手仕事(『病因と治療』では触れられていない)
④ 適度の睡眠(通常は6時間)) ●「治癒力のある睡眠、そして人をさわやかにする夢」
⑤体液の排泄または保持
●風呂はあまり勧められていない。ヒルデガルトは風呂・サウナを治療に活用
⑥感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る

B) 食事療法
●食養の基本
①「食物の摂取において人間は日々新たにすべての被造物との、きわめて具体的な肉体的な交わりを結ぶ。胃は世界の素材を交換する中心であり、したがって胃は宇宙の受容力と呼ぶことができる。」(『神の御業の書』Ⅳ105 BH138)
●「食べる」とは、被造物との交わりである。「知る」ということの意味。
②食物の摂取において重要なのは中庸である。
「悲しみにある人はよく食べるべきである」●怒りと胃
●狂気に対する食事の注意
①乾燥した食べものは狂気の乾燥へと導くのでこの病の人は避ける。血液に程よい水分を与え、体液を適正なバランスに戻すには、良質であっさりした食べものを摂るようにする。油ではなくバターかラードを使ったセモリナのポリッジを食べるのもよい。ポリッジは虚ろな脳を満たし、脳の冷えを温める。油は粘液を引きつけるので避ける。
②ワインは混乱した体液を更に混乱させるので、飲むべきではない。ハチミツ酒も飲むべきではない。ただの水も意識を更に鈍化させるので飲まない。ハーブ(フェンネル・コストマリー)から造った醸造酒かビールを飲むようにする。

C)ハーブの処方―被造物に秘められた御言葉を言い当てること
①「主は大地から薬を造られた。分別ある人は薬を軽んじたりはしない。一本の木によって水が甘くなり、木の備わる力が明らかにされたではないか。主は自ら人々に癒しの知識を授け、その驚嘆すべき業のゆえにあがめられる」(『シラ書』38-4~6)
②「目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることが出来ます。」(ロマ書1-20)
ⅰ) 脳の冷えが原因で頭が狂った場合は、ローレルのベリー[液果]の粉末に小麦粉と水を混ぜ、こね合わせる。頭を剃り、頭部全体にこのこね粉を塗る。頭の内部が温まるまで、こね粉を塗った上にフェルト帽を被せ、患者を眠らせる。こうすることで、脳に熱を運ぶことができるようになる。(166 狂気)
ⅱ)  種々雑多な思いから分別や理解力を失い狂気に至った場合、フェンネルとその三倍量のコストマリーを茹で、冷ましたゆで汁を頻繁に飲ませるようにする。コストマリーの液汁には悪い体液を妨げ抑制する働きがあり、体液が極度に不安定になることはない。この液汁は人を正気に戻す。フェンネルの液汁は、適度に調和のとれた喜びをもたらす。これらのハーブを混ぜ合わせ軟水に入れて加熱したものには、理解力を回復させる作用がある。
ナツメグとその倍量のカヤツリグサを粉末にし、グラジオラスの根と同量のオオバコの根を用意する。これをすり潰し、塩を加え、さらに小麦粉と水を加えて薄いスープをつくり、それを患者に飲ませる。(168 狂気)
●ただし処方は固定的とは思えない。

C) その他の療法
1)瀉血療法
●ハーブの処方に瀉血が加わるのが一般的である。瀉血には性別・年齢・季節・瀉血量などの細かな規定がある。
2)乱切法(scarification)
3)焼灼療法(ustion)
4)下剤(purgatives)
5)対話
●対話の情景は出てこないが、魂同士が向き合うことであり、いわゆる「対話療法」ではないだろう。
⇒イエスは「治りたいか」とだけ聞いた。
6)音楽:1日7回の時課 典礼音楽
●声は心身の診断である。

D) 共同の祈り
1)祈り・ミサ・最高の薬としての聖体拝領
●祈りとは霊による霊との対話である。(じつはこのことがヒルデガルトの一切である)
「わたしたちが語る言葉は、人の知恵に教えられたものではなく、霊によって教えられたものである。祈るとは、霊によって霊と対話することである。」(1コリ2要旨)
2)伐魔式―最後の仕上げ
●ジグヴィツァの精神に悪と向き合えるだけの総合的な力が与えられる。力とは、共同体による祈りの集積とそれへの感謝、身体を包む住環境や孤独を癒す人間関係、体を養い力を与える食事や薬、瀉血、温浴などのその総体である。そして伐魔式はその仕上げである。


Ⅳ 病とは何か
A) 病の原因―原罪と体液
①原罪―黒色胆汁
第2回で「原罪論は永遠の命の喪失―死や病の発生の根拠を求める衝動から来ている」ことを話した。ヒルデガルトにあって原罪論は体液論に貫通する。
「病は人間の犯した最初の悪に由来している。すべての病気を引き起こす元である黒色胆汁とは、体に刻印された原罪の記憶であり、原罪を想起させるために体に残された棘である。」
●体液自体が自然学としてだけでなく、神学的に掴まれる。
黒色胆汁の存在と体液の不調として掴まれるヒルデガルト体液論の根底には、アダムにおける「水晶のように輝いていた」原初的な生命―体液の均衡を保っていた身体の、罪による崩壊―原初的な状態の喪失と、それからの根源的回復の希望というキリスト教信仰の独自性がある。
②体液の乱れ
「体液がそれぞれ適切な秩序としかるべき適量を保っていれば、その人の体は安らいでおり、健康でいることができる。もし体液が衝突し合うと虚弱になり病気に罹る。」(57 健康)

B) 病の意味
①病は病の意味を問う。病は言い当てられることを求める。
②病とは、体液の氾濫を通して魂の深部に導く働きである。病とは魂が、身体的・精神的自然からの逸脱、「なされずにいる状態」「欠如、あるいはズレの状態」を言い当て、告げる作用であると同時に、根源的な状態に戻ろうとする人間的本性の叫びでもあるということができる。
病とは告げ知らせるものである。
③ヒルデガルトのように、なんの咎もない人間が病を負うことがある。
ヨブ記:「見よ、幸いなるかな、神の懲らしめを受ける人。・・・彼は傷つけても包み、打っても御手で癒してくださる。」『ヨブ記』5-17)
●病とは試みである。試みとは存在に聞くことである。病者は神を内に見る。
「苦難は忍耐を、忍耐は*練達を、練達は希望を生む」(『ロマ書』5-3)
 *probatio:character⇒probation(車前草)
③深い病とは、自分個人ではなく人間という普遍を背負うことである。ヨブは人間という普遍を病む。それはキリストの欠けた部分を身をもって満たすことを意味する。

Ⅴ 治癒することの意味
①治癒の徴:甘い涙(伐魔式後のジグヴィツァン)
●治癒の徴は甘い涙となって表れる。それは私という存在の奥底の姿を見たからである。
「魂は悲しみを通して、あるいは理解することを通して、自分は本来、天に属するものであるのにこの世をさまよっているのだということを悟った時・・・魂は目に穏やかな涙を送るようになる。ここにはかすみも蒸気の旋風もなく、あるのは歓喜と幸福に満ちた吐息だけである。」
②病とはひとたび自分を死ぬこと、治癒とはひとたび死に、浄化された感受性とその五感において深々と世界と向き合うことである。(⇒Ⅵ③ヒルデガルトの恢復の姿参照)
③それは言い換えれば、自我としての「わたし」から真我=「わたしという魂」の姿に回復することである。
それは覆い隠すもののない敏感な魂がのびのびと発現することであり、理性を含めた魂の全感覚領域の解放として表れる。
(⇒右図「購われるアダム」想起)
「男はその香りを鼻で嗅いだが、口で味わうことも、両手で触れることもなかった。神は人間が全世界を見ることで知り、聞くことで理解し、嗅ぐことで区別し、(対象物の内的な力を口に入れて)味わうことで消費し、触れることで支配する(両手の業によって成就する)ように、人間に創造の武具を着せた。」(『神の御業』)●世界との創造的関わり
③「治癒」とは、関係性(共同性)の回復を含んでいる。(⇒Ⅵ「ホモコンパティエンス」)
●それは「旧に復する」ことを意味しない。実際に病が治るかどうかは、神に属する事柄であり、自分には属するものではない。それは病に限らず、生死ともにそうである。
●ヒルデガルトにおいて、自然的本性の恢復と救済への核心は、「魂は善に向かう」というこの不動の一点に拠っている。人類の歴史は救済の歴史であるというときも同じ確信である。なぜか。ヒルデガルトは深い病の底で、自我を脱ぎ払った命の原初的姿体―真我を見ており、それは自らの働きによるものでないことを知っているからである。

Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在)               
①ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトは病に襲われる。
「この後、つまり彼女の解放後に大いなる病がわたしに侵入した。血管はその血が、骨はその髄が干上がり、内臓はばらばらになって全身は衰弱し、まるで緑を失った冬の植物のような有様でした。四十昼夜にわたり、わたしはこの病に苦しみました。」
●これはなんらかの施術上の誤りがあったのだろうか。ヒルデガルトには人の罪を引き取り、十字架上で購うイエスの姿がある。
②ベトサダの池での癒し(ヨハネ45-2~9)
「エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトサダ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが大勢横たわっていた。そこに38年も病気に苦しんでいる人がいた。イエスはその人が横たわっているのを見、また長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中入れてくれる人がいないのです。私が行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床(とこ)を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐによくなって床を担いで歩き出した。」
●イエスは病者の魂の低みへと降りて行く。それは命の底の低みである。魂は魂の共感において出会う。この一点が「共苦する」ということの根拠である。
③ ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。ヒルデガルトは自ら言う。「血脈は血液もろとも、骨は髄もろとも、死から目覚めたもののように、再び健康を取り戻しました。」その姿は「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。●文字通りヒルデガルトの関係性は「孕む」ということにある。
●そして共苦する共同体
「あなたがたはキリストの体、一人一人はその部分です。体の中では他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」(1コリント12-22/27)


資料1 共苦する共同体―中世修道院の例
●修道院の建築思想は「オイコス(家:家政)」の概念によっている。
① 例:聖ガレン修道院の建築構造(右図)
ボーデン湖 ライヒナウ島に建設され、ベネディクト会則を体現した修道院建築として後世の模範となった。
1)病気または高齢な修道士のための病院―僧房の東側
2)貧困者と巡礼者の救貧院(オテル・ディユ:神の客たちの宿)―修道院の門の西側
3)集中治療室を備えた医師の住宅
4)患者浴場と瀉血室
5)修道院の会堂から少し離れたところに癩病患者専用の治療所
6)新鮮な水を供給する水道施設と下水管―排水管―水洗トイレ施設
7)薬草園(養魚場)
●教会と住居・病院と作業所や菜園などの生産施設を併せ持ったひとつの独立した町のような総合空間。
●身体としての建造物:共同体的身体⇒思考(頭)から排泄までの全身的身体機能をもつ
■参考:ベネディクト会則
1)空腹な者には食を与える。
2)渇いたものには水を与える。
3)裸のものには着物を着せる。
4)他国人には宿を貸す。
5)捕えられた人は解放する。
6)死んだ人は葬る。

資料2 『病因と治療』の構成と特異な記述
●全体構成
BOOKⅠ 宇宙と元素
世界の創造と諸元素/太陽・月・星と人間の本性
BOOK Ⅱ 人間の本性と病気の原因
    アダムの堕落と諸体液/霊と魂・魂の働き/受胎論―妊娠・出産・胎児/病の発生と気質/男女の性衝動/諸臓器の病/目の多様性/女性の生理/食養/瀉血等の治療/無意識下の諸作用/怒りと笑い
BOOK Ⅲ 治療法(1)
BOOKⅡの諸病に対応した、主に臓器別の治療法
BOOK Ⅳ 治療法(2)
BOOKⅡの諸病に対応した症状別の治療法/家畜の治療法
BOOK Ⅴ 生と死の兆候
   生と死の兆候/各種の発熱/誕生時の月齢と気質の関連

●BOOKⅠの冒頭は次のような記述から始まる。
「世界が造られる以前から神は居られ、そして今も居られる。神に始まりはない。神はかつても、そして今も、光であり、輝きである。神は命である。」
これはヨハネ福音書、第一章「初めにことばがあった。ことばは神であった。万物はことばによってなった。ことばによらずになったものはなにひとつなかった。ことばのうちに命があった。命は人間を照らす光であった。」の、ヒルデガルトに与えられた解釈である。病の原因を観想するヒルデガルトの精神は、宇宙誕生の第一日目の瞬間にまで遡らざるをえない。それは、なぜ神は人間に肉体を―すなわち物質をまとわせたのか、という大いなる疑問から湧きおこる衝動である。肉体をまとったがゆえに、その滅びの死があり、病がある。この死と病を生み出した原罪こそが、ヒルデガルトにとっては病の根拠なのである。
●性行動において特徴的に描写される体液類型論が、ここでは病の類型として展開される。

BOOKⅤ 命の兆候
●生死の兆候とは、魂が肉体を離脱しようとしているか否かをめぐる観察である。
①目に現れる兆候
1)身体的に健康な人が、どのような色であれ純粋で澄んだ目をしている時は、命の徴をもっており、すぐに死ぬことはない。
2)健康なのに目に輝きがなく、荒れ狂った目をしている人は、たとえどのような虹彩の色であれ、それは死の兆候である。上の方が濃く下の方にガラスのような雲が認められない荒れ狂った目の人は、すぐ病気に罹り、やがて死ぬであろう。こうした人の視線には、魂の力強さがない。
3)何らかの病気で床についている病人の目が水槽のように輝いており、いくらか潤んではいるが目覚めたばかりの人のように顔が腫れている場合、その人は病気から回復できず、間違いなく死ぬであろう。魂は自分の火を目に現すので目は輝いて見え、また魂の火は体を離れるにあたって炎を生むので目は潤んで見える。これは魂が足早に体を離れようとしている徴である。
②皮膚に現れる兆候
1)艶々として汚れないリンゴがそうであるように、皮膚の色は、皮膚の下の色で識別される。頬の皮膚の下に赤い色が認められる場合、それは命の徴といえる。
2)頬の皮膚の上に、赤い色か、あるいは適度に赤い色が見えても、その赤みのため、その下の皮膚が見えない場合は、たとえその人が健康であったとしても、これは死の兆候を意味する。
③声に現れる兆候
1)これという病気もなく健康で丈夫そうに見える人の、それまではいつも明瞭であった声がときおりしわがれるようになった場合、それは死の兆候を意味する。
2)それとは逆に、普段しわがれていて不明瞭だった声が明瞭になり、それが続く場合、病気でなくともそれは死の予兆を意味する。
④知性に現れる兆候
1)体が健康なうちは常に知恵があり分別をわきまえていた人が、病気に罹ると、心の中に怯えがある人のように理性を失い、愚かしい状態に留まっている場合、その人はもはや生きず、死ぬであろう。魂は理性の翼を折りたたみ、出てゆく準備をしているのである。
2)魂のもつ理性の翼により、常に知恵があり分別をわきまえていた人が、病床にあって理性を失った場合、魂は命から手を引くかのように理性から手を引く。この病気の過程で、突然以前の分別を取り戻し、それを維持できるような場合、それは魂が以前のように理性の翼を広げ、再び命の徴を表したということであり、その人は辛うじて死を免れる。
3)体は健康であっても普段は愚かで無知であった人が、病気に罹ると知性的になった場合、その人の魂は、別の命のために知力と道筋を準備をしているということになる。もしこのような人が病気の状態から突然元の愚かな状態に戻り、その後もずっとそのままでいるような場合、この人は辛うじて死から免れるであろう。というのも、魂は体の中の以前の場所、すなわち慣れ親しんだ状態に戻り、まだそこから離れようとしてないからである。
⑤脈拍に現れる兆候
1)何らかの病気で病床にあっても、右腕の血管が規則的にバランスのよい脈を打っている場合、その人は生き永らえ、死ぬことはないであろう。魂が血管を死に向けて突き動かしていないからである。
2)右腕の血管の脈が速く、脈動が止まない場合、その人の息はほとんど止まりかけているとみてよい。その人は死ぬ。というのも、魂は体から離脱するほかないので血管を説得してそれを突き動かし、自分を血管から解き放とうとしているからである。
3)同じように速く脈打っている血管が、一度か二度、正常な脈を打ち、その後また元の速さに戻るような場合、それは魂がこの脈の速度を通して、体を離れるのは難しいということを表しているからであり、それゆえその人は死なず、生き永らえる。
4)生死の兆候は特に右腕に認められるので、右腕の血管には細心の注意を払う必要がある。というのも、もっとも偉大な力は、常に働いている右腕にあるからである。左腕は働かないので、その兆候を示すにはやや鈍感である。
5)魂が体を出ようとする時、関節は弛緩する。この関節部の血管が脈打つのは、死に向かおうとする時の激しい混乱の現われである。もし魂に体を出るつもりがなければ、いかに重篤な状態であっても、関節部の血管は静かで規則的な脈を打っている。
⑥血液に現れる兆候
1)血管から出た血が人の息のように濁った色をしていて、その色の中に黒い斑点があり、周辺部が蝋のような場合、神がその人の生命力を回復されない限り、速やかに死に至る。濁った血の色は、冷えによって体液が死にかけていることを表している。血中の黒い斑点は、黒色胆汁が死にかけていることの現れである。黒色胆汁が放散するものは濁っていて蝋のように見えるが、黒色胆汁はこのような状態で存在している。
2)血が蝋のような色をしておらず黒く濁っている場合は、神がその人の咎を解かれない限り、病から解放されることはないという深刻な絶望状態にあることを示す。しかしその人は死を免れる。なぜなら黒色胆汁と体液は死に向かって突き進んでいるが、胆汁は動くことをせず自らの場に留まっているからである。だから死ぬことはない。
⑦尿に現れる兆候
1)尿が毒や凝固した牛乳のように白い場合、そしてその中心が紫と白のどんよりした雲のように見える場合、それは死の兆候であり、その人は死ぬであろう。 
2)紫と白とどんよりした雲に似た尿であっても、その周辺部がわずかに澄んでおり、そのため完全には濁っていない場合、その人は重篤であっても、辛うじて死を免れる。周辺部が澄んでいて、そのため中心部が完全には濁っていないのは、体液がまだ完全には分離しておらず、互いにしっかり結合していることを表す。
⑧便に現れる兆候
1)便が黒くて乾いている場合、それは死の兆候を意味する。体液が死に備えようとする時、黒色胆汁は消化物をそのような乾いた黒色に変えるからである。
2)黒く乾いた便が普段と同じような臭いであれば、その人は辛うじて死を免れることができる。排泄物が黒く乾いているのは、黒色胆汁の働きが弱まっているからである。
3)便の臭いが普段と異なる場合、それは死の兆候を意味する。腐敗が完全ではなく、適切な熱の働きが失われているからである。




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johanusuda

Author:johanusuda
臼田夜半
鴨川市在住
著作『病という神秘』(教友社)
  『ネロの木靴』(地湧社)
  『聖ヒルデガルトの病因と治療』(ポット出版)
制作『いのちの大切さ』
(文部科学省学習支援ソフト)

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