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ヒルデガルト研究会

12世紀ドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神学・医学・薬草学・音楽についての研究

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天空のハーモニーとヒルデガルトの医学―『病気の原因と治療』を読み解く(概論)

1 12世紀ルネサンスの巨星                   
12世紀北部ドイツに、「ラインの女預言者」と呼ばれる女性がいた。ヨーロッパの東と西に騒然とした十字軍遠征があり、フランス南部からドイツにかけて燎原の火のように拡大したキリスト教異端・カタリ派に対する、情け容赦ない拷問と火刑が繰り広げられるこの時代は、逆光に目をこらせば、長い中世の闇を食い破る人間の叫び――16世紀ルネサンスに先駆ける12世紀ルネサンスの夜明けを告げる時代でもあった。重い病を負う女預言者は、この沸騰する歴史の真只中を、ライン川上流のベネディクト会女子修道院長として、皇帝や教皇権力におもねることなく大胆に生き抜き、多分野でオリジナリティの高い独自の業績を残したが、その名は長く歴史の闇に埋もれていた。しかし誰もが近代文明の衰亡を予感し始めた二十世紀の世紀末、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの思想は、人間と自然-宇宙の調和を奏でる壮大な交響曲のように、瑞々しい響きを放って復活した。
               *
「おなかの中に、まだら模様の子どもがいるわ」
まだ5歳の頃、妊娠している牛を見てこう言い当てた少女は、その後もたびたび未来を予言したが、神からの啓示を繰り返し幻視(ヴィジョン)として示されたその生涯は81年に及ぶ。42歳のとき、開いた天の一角から炎のように輝く「生ける光」が現れ、啓示された預言を書き表すように強く求められる、という大事が起きた。その光に照らされて、彼女は一瞬のうちに、見ることと聞くこと、理解することを同時に行う。罪に苦しむことのない魂は、預言を通して未来を見たのだろう。こうして書かれた第一の書『道を知れ』を皮切りに、『神の御業の書』『生の功徳の書』など大部の預言書を世に表したが、その活動は神学的著作にとどまらず、12世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼びたい衝動に駆られるほど多岐にわたっている。音楽では『天の啓示の交響楽』と題される一群の楽曲を残しているが、近年復刻されたその曲は、中世のイメージを根底から覆すほどに伸びやかで自由な響きに満ちている。この音楽的なハーモニーは、ヒルデガルト思想の根幹に息づいていることは、後に述べよう。またヴィジョンを描いた数多くの絵画の、たとえば「宇宙卵」と名付けられたその絵は、現代のビッグバン宇宙論を直ちに想起するほどに精緻で特異なものである。当時の修道院は施療院を兼ねていたが、豊富な薬草学の知識をもつセラピストとして奉仕するとともに、その臨床経験をベースに、ギリシャ医学・修道院医学・ドイツ伝承医学を集成したといわれる薬草学・医学書を著している。ここに扱う『病気の原因と治療』もその代表作の一つである。

2 『病気の原因と治療』(Causae et Curae)
日本では保元・平治の乱が起き、源平の武士団が台頭し始める平安末期――1150年からおよそ10年の歳月をかけて、ヒルデガルトは自ら創建したルーペルツベルク修道院の一室で、自然学と医学に関する大著『さまざまな被造物の精妙さに関する書』を書きあげた。それは「単純医学の書」と呼ばれる『自然学』、そして「複合医学の書」とも呼ばれる『病気の原因と治療』の二書からなっている。このうち『病気の原因と治療』は、病気の原因と治療法、具体的な処方を、当時の伝統的な手法に従って百科辞典的に網羅したものだが、それは文字通り、単純な医学書ではない。
なぜ人間が病に苦しむのかという根本的な問いは、アダムとイヴの原罪にまで遡り、さらには人間の肉体と精神を形づくる4元素の始源を求めて天地創造の瞬間にまで、その思索は飛翔する。そしてついには天地創造以前の無の淵源に潜行するというその精神的な体力は凄まじく、天地を貫く宇宙史的なスパンの中に、病の原因と治癒法を探り出そうとするスケールは、ダンテの神曲に比しても壮大である。
「人間は原初から、つまり上部においても下部においても、外部においても内部においても、どの部分においても、肉体として存在しています。そしてこれこそが人間の本質なのです」――ルネサンスの宣言のように昂然としたこの断言は、「人間は、天と地と一切の生きとし生けるものすべてを自身のうちにもち、万物を自身のうちに保護し支えるただ一つの形姿である」という、人間存在への強い自覚と一つのものであるが、それは同時に、人間を他の被造物―自然に対する支配者とするキリスト教的・西欧的自然観に対するアンチテーゼともなるであろう。
                  *
宇宙や世界の構造、雨・雷・雹などの自然現象、さらに人間の形成―人間の魂と体液、肉体的諸器官や諸感覚の細部に筆は及ぶ。わけても夢や溜息、伸びなどを無意識下の魂の働きとして言及するくだりは、フロイトやユングが無意識に光をあてる近代心理学成立のはるか以前のことである。
続いて諸疾病の原因とその治療法が、ヒルデガルトに特有な体液論を通して綿密に述べられる。具体的な病名と病状は多岐にわたるが、特に妊娠・出産・月経など受胎に関わる産婦人科的な分野と、性欲や性の快楽など性に関わる分野の記述は大きなウエイトを占めている。
「この辛辣でエロティックな文章が、処女である彼女にどうして書けたのか?」とは、女流研究家バーバラ・ニューマンの嘆息であるが、肉体を罪の原因と穢れとして扱ってきたキリスト教神学の伝統に抗して、ヒルデガルトは肉体―性―女性性を神の与えた被造物の自然として、おおらかな眼差しのもとに見つめていたということではないか。魂がその形姿を受肉する器としての母性―女性性への、ここを基点とした展望は、やがて旧約聖書の知恵文学を基礎に、宇宙論的な女性性の神学へと昇華してゆく。
後半に展開される治療法は、食養をベースに薬草の組み合わせが中心で、その処方は具体的であり、体液説に不可分な瀉血や乱切法、焼灼法、入浴法なども季節・年齢・性別・症状に応じてきめ細かく触れられている。また血液や尿、脈拍や声、目などに現れる死の兆候の観察は、肉体から出てゆこうとする魂の働きの表れとして捉えられているが、その記述はターミナル・ケアに実際に関わった者以外にはありえない具体的なものである。

3 肉体と霊[魂]
「子どものころには、非常に多くのことを知っていたはずの霊のことが、老人になった後は、何もわからなくなっているのは確かです。私は、霊があるのかないのか、知りません。実際それ以上に、霊という語が何を意味するのか、私にはわからないのです」
こう率直に吐露するのは、18世紀の哲人カントであるが、霊をめぐる私たちの気分も、このときのカントに近いのかもしれない。近代の思想は、霊の忘失―精神と肉体の分離を前提として成り立っている。だが、霊[魂]を語るヒルデガルトの口調に迷いはない。
「体が魂と分離している場所は一つもなく、魂はその熱をもって体全体を覆っている。魂とは、人間の中の特別な本質であり、魂なしに人は生きてゆけない。」
魂は身体の内なる支え、内なる担い手であり、理性や感覚、身体的な諸反応も、この魂の働きにほかならない。魂は人間を動かす原動力であるが、一方で肉体は魂にとってその本性をなすものとしてつかまれる。人間は魂と肉体という二つの本性において一つのものとしてある! 受胎を通して神の霊が人間に下り、命を与えた瞬間から、霊(魂)と命―肉体とは、私たち人間の中で一つのものである。
ヒルデガルトにとって魂は肉体-精神を貫く命の働きそのものであり、意識や知識や理性は、この魂の働きの一部に過ぎない。この思想は、魂の力能を記憶・理性・意思―脳の活動に特定した15~16世紀の思想家や、霊の実感を喪失した件のカントとは明確に異なっており、中世の前後にも彼女と同一の地平はない。自我の拡張と共に滅びゆく世界の姿を、近代思想の帰結としてつぶさに見てきた私たちの目には、近代以前のヒルデガルトの方が、はるかに人間の全体性を捉えて不朽のものに見えるのはどうしてだろうか。
               
4 天空のハーモニー
神は世界を4つの元素で創られた。火と空気は天上的なもの、水と土は地上的なものである。4つの元素は、遺伝子を構成する2対4種の塩基を思わせて示唆的だが、これら4つの元素は他から切り離すことのできない一体のものであり、だからこそ「礎」(firmamentum)と呼ばれる。Firmamentumは天を支える礎であると同時に「天空」そのものを意味し、また人間という枠組みを支える「支柱」をも指す。人間は元素とともにあり、元素は人間とともにある。元素は、人間の営みに影響を受ける。人間が戦争や憎しみによって相争うとき、元素は本来のありようとは異なった真逆のものへと転換し、天地は熱や寒冷、洪水や嵐の異常に襲われるようになる。このようなものとして、人間はおのれの内にもつ4つの元素を通して、天空―すなわち宇宙の全被造物を総括する存在であるとともに、全宇宙に責任をもつ。それは自然を支配するということではなく、自然に対して責任をもつ存在としてである。ヒルデガルトは、天空がその回転とともに奏でる不思議なハーモニーを聴き取っていた。それは「ミクロコスモスとマクロコモスは同じ法則の下にあり、耳で聞き分けることが出来る」という古代ギリシャの幾何学者ピタゴラスのことばに響き合う。
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「世界が互いに調和しあう4つの元素で構成されているように、人間も互いにハーモニーを醸す4つの体液によって構成されている。この4つの体液がそれぞれ適切な秩序と適量を保っていれば、人は安らいでおり、健康でいることができる。」
健康とは体内における諸要素の調和、すなわちハーモニーをさす。魂は天空のハーモニーを、自分のハーモニーとして聴き取る力をもっている。「罪を犯す前のアダムは、天使のように歌っていた。彼はあらゆる音楽に通じていて、モノコードのようによく響く声で歌っていた。」――だから音楽とは、天空のハーモニーと響き合う天上の記憶である、とヒルデガルトはいう。魂はその均衡のとれたハーモニーから逸脱し、あるいは欠落した状態を鋭敏に感じとる。病とは、ハーモニーの変調を言い当て、調和のとれた状態に連れ戻そうとする魂の作用そのものにほかならない。魂は、このハーモニーの変調を「不快」として感じ取る。逆に、自然でどこにも無理のない状態を「快い」と感じる。「快―不快」という魂のベーシックな感受性への深い信頼は、ヒルデガルト医学の根本をなす。この「快―不快」は、心身においては「甘い―苦い」という感覚によって識別される。魂の感受性は、理性―脳の働きよりもずっと肉体に近く、音楽のハーモニーを心地良いと感じとる、あの感覚に近いといっているのだろう。ヒルデガルトにとって治療とは、壊れた楽器の調律のような作業であったに違いない。
「ことばを話す前のネアンデルタール人は歌を歌っていた」と近年の人類学者はいうが、罪を犯す前のアダムは、エデンの園に遊びながら、天上の声で高らかに歌っていたのだ。この美しい詩的なイメージは、救済されるべき人間の未来への、ヒルデガルトの揺るぎない希望でもある。


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johanusuda

Author:johanusuda
臼田夜半
鴨川市在住
著作『病という神秘』(教友社)
  『ネロの木靴』(地湧社)
  『聖ヒルデガルトの病因と治療』(ポット出版)
制作『いのちの大切さ』
(文部科学省学習支援ソフト)

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